エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

碓氷湖を行く

2012年01月18日 | ドライブ
軽井沢からの帰路にメガネ橋を見て、下ると直ぐあるのが碓氷湖である。



メガネ橋もそうだけれど、こうした人造湖なども高速道路を走っていては出会えない。
一般道を行句からこそ出会える至福の時間なのである。

この碓氷湖は人造湖である。
利根川水系烏川の支流・碓氷川に建設された坂本ダム(さかもとダム)によって形成される人造湖(ダム湖)なのである。

従って、ダム湖に付きものの秘話などもあるだろうし、水の下には人の息吹なども埋もれているに違いないのである。



記念写真用の看板が淋しく建っていた。
季節が冬だから観光客が少ないのである、と知れる。

水が温む頃には、子どもの歓声が響くに違いない。



これが坂本ダムである。
場所はメガネ橋の直ぐ下であるけれど、群馬県安中市松井田町(旧・碓氷郡松井田町)坂本地先にあるのである。



通りかかったのが夕刻だったから、こんな夕景の写真しかないけれど、小さな可愛い人造湖である。



ダムの対面にはこの赤い橋が架かっている。
紅葉の季節には、さぞや綺麗だろうと予想させる。

今年の新緑の候、あるいはまた紅葉の候に再訪したい場所である。
一般道をトロトロ走るのも、また楽しからずや・・・である。




にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
 荒野人

碓氷峠の眼鏡橋

2012年01月15日 | ドライブ
軽井沢に食事に出かけたのである。
その帰り道、改めて碓氷峠の眼鏡橋を見上げ、歩いたのであった。



そう、あの吉永小百合がJRのテレビ・コマーシャルで映された眼鏡橋である。
サユリスト世代でありながらも、サユリストでなかったぼくであるけれど、やはり吉永小百合という名前は特別な響きを持っているのである。



このトンネルから吉永小百合が歩いて来たのだという。
不幸にして、ぼくはそのCMを見ていないのである。

「へぇ~、このトンネルね!」と答えるしかリアクションの取りようが無かったというのが真実である。
とまれ、ここを歩いたのである。
そして、ここがその撮影現場であるのだ。



この橋を架けるのは大変な工事だったと思う。
ものの本によるとこうである。



寒さはきつかったけれど、この橋を見上げ、あるいは見下ろしつつ観光客になりきったのであった。
橋から駐車場へ降りるとき、竈の跡を見た。



寒さが厳しい現場であっただろうと推察ができる。
あるいはまた、虫の襲撃やら、暑さの中で働いた群像が垣間見えたのである。

この竈で湯が沸かされたであろう。
この竈で飯が炊かれたであろう。
この竈で采が煮られたであろう。
この竈で汁が煮られたであろう。



寒さの冬には、この竈で作られた飯で暖まったであろう。
暑さの夏には、この竈の湯がその汗を拭きとってくれたであろう。



労役に服した逞しい男たちの汗や、喘ぎが聞こえてきたのである。

いまこうして考えてみると、涙なくして振り返られない。
艱難辛苦を乗り越えた人々に敬意を示さなければならないだろう。

便利さを追求したあまりの原発事故の悲惨さを彼らは許容しないだろう。
少なくても、最低の生活のために作った橋。
不便もあるけれど、この橋が人々に与えた光明。
その喜び。



この橋が完成して、どれほどの人の命や生活を救ったであろうか。
ぼくたちは、目先の利便性にのみ目を奪われすぎてしまった。

携帯電話然り!
家電製品然り!
である。

電気が不足したって工夫次第で生きていける。

改めて、自分の生活を見つめなおす良い機会になったと思うのである。
自己満足の感想であって、他者に求めるものではない!

と知りつつ書きたいと思ったのである。
暑苦しさを感じられたなら、許されたい。

あくまでも荒野人の独りよがりである。




にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
 荒野人

八ヶ岳と富士山と中央高速

2011年12月12日 | ドライブ
ぽかぽか陽気の一日であった。
中央高速は、快適に流れているのであった。



この道は、八ヶ岳の麓に行くと八ヶ岳の遠景を見に行く山道である。



先には枯れたススキが見える。



視線を上げると、このような八ヶ岳が視野に飛び込んでくる。
昨夜、雪が降ったのである。
白さが増している。

そう言えば、温泉帰りの道すがら風花がしきりに舞っていた。



これが本当の木守柿である。
一つだけ残すのである。

美しく優しい気持ちである。



これは「アマンド」である。
豆柿ともいう。

これではまだまだ甘くない。
もっともっと、真っ黒にならなければ甘さが出てこないのである。



八ヶ岳の麓のメタセコイヤの枯れた葉である。
天を突く姿は凛凛しい。



富士山である。
雪を頂いた姿は荘厳である。

まさに、富士は日本一の山である。



たなびく白雲は甲府盆地にかかっている。
なんとも幽玄な世界である。



山道の途中で見つけた。
なんの実生だろうか。

白い南天である。



これが赤い南天。
葉まで赤いのである。

八ヶ岳を離れ、中央高速の上り石川PAで昼食を認めたのである。



深大寺蕎麦である。
腰が合って旨い。

かくしてぼくは東京に戻ったのであった。




にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
 荒野人

信州伊那高原「赤そばの里」

2011年09月30日 | ドライブ
赤そばの花が見ごろを迎えている。
信州伊那高原箕輪町の山塊にひっそりと咲いている。



数年前から行きたい!と思っていた場所である。
その朝、空はシスティーナ礼拝堂の壁画のような色彩に満ちた。



遊休地の活用と名物作りのため「高嶺ルビー」という赤い花の咲くそばを標高900m、東京ドームほどの広さ約4.2haの広大な畑で栽培しているのである。



空、山、そばの花。
その三色のコントラストが感動を呼ぶのである。



日本のそばの花は白色だけれど、そばの原産地の雲南省からヒマラヤにかけては、ピンクや赤色のそばがある。
ぼくも、今までに赤そばの花を見てきたけれど、ここ信州伊那高原箕輪町のそば畑は素晴らしい。

正に、ヒマラヤにある天空のそば畑に似た風景となっている。



1987年にヒマラヤの標高3800メートルの場所から、赤い花の咲くそばを日本に持ち帰り、信州大学の氏原教授(現 名誉教授)が民間会社と共同で品種改良を行い、真紅の花を作って高嶺ルビーと名付けたのである。



高嶺ルビー。
ぴったりの名前である。




   赤そばの花に埋もれるいのちかな       荒野人


このそばは、花も綺麗だけれど食べても美味しい。
二度楽しめるそばである。





にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
 荒野人

デジブック 『安曇野わさび田』

2011年08月21日 | ドライブ
安曇野は、道祖神の溢れる地域である。
それも優しい石仏である。



例外なく、男女が仲睦まじく刻まれているのである。

あるいは手を握りあい。
あるいは見つめあい、といった風情である。



デジブック 『安曇野わさび田』




山葵は、清冽な湧水を好むのである。
加えて、砂礫に根を張る。

水の透明な養分のみを吸収する、といった感じだろうか。
だからこそ、あの辛さが育くまれるのであろうと納得できる環境で育っているのである。



澄みきった凛冽な水の流れに浸っていただけると嬉しい。





にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
 荒野人