エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

プール

2013年06月30日 | ポエム
昨日は、終日「じいじ」をした。
孫を連れ、イルミネーションが点灯する夕方まで「豊島園のプール」に出かけたのである。



水の中は疲れるけれど、若々しい生命が躍動するのを眺めていると自分まで活き返る。
気がする!



豊島園のプールは、最近は土日の限定オープンらしいとの噂がある。
人の入りを見ると、それも分かる気がする。
ぼくたちが子育てに懸命だった頃、この豊島園はテーマ・パークとしては東京近郊の目玉だった。

豊島園のプールは子どもたちの憧れであった。
だがしかし、やがてディズニー・ランドが誕生して、大分客が減ったようであった。







「弾けたる若き生命のプールサイド」


「木洩れ陽や無数の穴からまぶたまで」







けれど、水遊びは楽しい。
ヒトは、母の胎内では羊水の中に入る。
それを揺籃と云う。

水脈のせせらぎ・・・それは母の心音だという。
美しいイマージュである。



ましてや、孫と遊ぶのはより楽しい。
夕飯は、メリーゴーランドの横でざるうどんと焼きそばで済ませた。

二人の孫は、早々と白河夜船に乗ったと娘から報告があった。

ぼくは、木洩れ日を瞼で受け止めつつ「うつらうつら」した時間を懐かしんでいる。



       荒 野人

塩釜・・・芭蕉の足跡

2013年06月29日 | ポエム
塩釜から松島までの道程は、さしたることも無かった筈である。
指呼の距離である。

ましてや、芭蕉翁は舟を雇ったと書いている。
塩釜の浦から、その距離約8キロである。
翁は「その間2里余」としている。

現在の観光船で、40分弱の乗船時間である。



現在の塩釜の港である。



震災前は、もっともっと賑やかであった。



カモメだけが、したり顔で羽を休めているのであった。

ところで、芭蕉は塩釜に一泊している。
夕暮れのころに塩釜の浦に着いている。



翁は、かなり旅情を感じたようである。
つまるところ、かなり疲弊していたのであろうと推測できる記述が続く。

旅情という面では、この塩釜の裏での感覚は「おくのほそみち」の中でも出色の出来である。
「人生の無常」を感じ「古歌の心が伝わってくる」漁師の声を聴き「夕暮れの鐘の音」に聞き入るのである。



しかも、投宿したその日である。
どこかから聞こえてくる「琵琶法師」の声を聴いている。
耳障りであるけれど、こうして古い芸能を守るのはたいしたものだと「感心」するのである。

翁は良翌朝早く、塩釜神社に参詣する。
華麗な社殿にいたく感銘を受けたのである。

そして、午後に近い頃・・・日の明るいうちに松島に着くべく塩釜を離れるのである。







「塩釜の浦から続く夏の海」







きっと、カモメの群れに追いかけられるようにして松島に向かったであろう。
旅情豊かな芭蕉の旅である。

同時にまた「おくのほそみち」は、壮大な旅枕であると、ぼくたちも追体験するのである。




         荒 野人

塩釜港から松島へ

2013年06月28日 | ポエム
みちのくの旅を始める。
昨夜、帰宅したのである。

家を出た朝、梅雨寒の朝である。
旅の始めは、塩釜港。
ここから、松島へと向かうのである。



もちろん、遊覧船の名前は「芭蕉丸」である。



芭蕉翁を同行させることとし、句帳の最後のページに「そっと」芭蕉と書いた。



翁は、杖をついて現れた。







「未だなお時空を刻む故意の夏」







塩釜港には、まだ大震災の爪跡が残されている。
しかし、人々の生活は逞しい・・・。
と思えた。



鷗は、この地方の目玉である。
なんたって「カモメのたまご」なる菓子が土産で売られているのであるから。



カモメを従えつつ、芭蕉丸は進む。



塩釜港を出港して最初に出会う島である。

松島の島々は、個性的である。
ここから、松島の景観が始まる。



      荒 野人

夕焼

2013年06月26日 | ポエム
昨日は、午後から驟雨があった。
夕方には淡い夕焼けが空を覆った。



この夕焼けには、今年は騙されている。
夕焼けの明日は、天気が良いという体験的予断が通用しないからである。

だがしかし、昨日の夕焼けはしみじみと染み入る淡さであった。







「夕焼けや照り返しゆく天の岸」







夕焼けが、人の意識の裏返しとは思わないけれど、染み入るのである。



さて、今日は山形へ行く。
山寺の秘宝仏は開帳は終わっているけれど、芭蕉の眺めた風景は確認しておきたいのである。

したがって、明日はブログの更新はお休みにしたい。
ご了承あれかし!



荒 野人

闘い済んで日が暮れて

2013年06月25日 | ポエム
昨日、東京は都議会議員選挙の投票日であった。
闘い済んで日が暮れて・・・そして政治は先祖返りをしてしまった。

この間まで政権を執っていた政党の罪は大きい。
誰が見たって、その政党が勝てるなどと思っていなかったはずである。
当事者以外・・・。
もう、支持が戻って来ることは無い。
あそこまで国民を裏切って、まだ支持されるなどと白昼夢も甚だしい。



当事者だけが夢を見ている。
国民は醒めきっている。
その関係が分からないほど、その政党は自惚れている。
これを「度し難い」と言う。



ここのところ、ずっと万緑をみている。
しかしながら、これだ!と云う俳句が詠めない。







「万緑のいよいよ黒きスクリーン」







新緑は、緑を重ねても緑であった。
光を透過する柔らかさがあった。

しかし万緑は、重ねれば重ねるほど漆黒の闇にぼくを導いていく。
黒々とした闇である。
この色が、古今東西人を畏怖させたのである。




          荒 野人