エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

八ヶ岳の麓から・・・あなたへの便り

2010年07月31日 | 日記
八ヶ岳の麓の茅屋に来ている。
昨朝早く東京を脱出したのである。



ここでウグイスが囀っている。
おかげさまで、今朝はウグイスの囀(さえず)りで目覚めたのであった。

昨日は、途中何箇所かで休憩しつつ辿り着いたのである。
もちろん石川のラーメンは外せない。
談合坂も、とりあえず休憩してみる。
釈迦堂は、血が呼んでいる。



これは縄文中期の住居跡である。
この釈迦堂遺跡は高台である。



遺跡からは、下界がこう見えるのである。



甲府盆地である。
今回は双葉PAで一休み。

いつも富士山を眺めるPAである。



空が渾沌としており、どこに収斂されるのか予想もつかないけれど、間違いなく夏の空に向かっているのだと思う。

ああ、今もウグイスが囀っている。
さわやかな風が吹きわたっている。

肌がサラサラして汗ばむことを忘れている。

今朝、畑のとうもろこしで「カブトムシ」が捕獲できた。
元気な奴である。



掴(つか)むと、暴力的に人を攻撃してくる。



野生の本能なのである。




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パイナップル・リリーが咲いた

2010年07月30日 | 日記
パイナップル・リリーという花がある。
花の咲き方は、あの百年に一度咲くと言うペルーの山岳に命を托した「プヤ・ライモンディー」に似ている。



まるで星の砂浜を歩いているような感じである。
花の上の葉っぱがパイナップルに似ているから「パイナップル・リリー」である。



色違いである。
こうした小さな花は、その色を楽しむのが手っとり早いのである。



原産地はアフリカである。
この花を地上に撒いて、思う存分駆けてみたい。

きっと星砂のように、キュッキュッと鳴るに違いない。
楽しい連想が膨らんでいくのである。



あなたは、この花から何を連想しますか?
ちなみに、花言葉は・・・。

「完璧」「あなたは完璧」
である。






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源平カズラの花・・・色彩感で納得

2010年07月30日 | 日記
源平カズラ。
面白い花である



紅白が鮮やかに確認できる花である。
驕る平氏が敗れ去った「壇ノ浦の戦」で、関門海峡の海に散った平氏の赤い旗が連想できる配色である。

源氏の圧倒的優勢である。



滅び去った平氏への追悼であろうか、赤い花がより綺麗になっている。
まるで、赤い花を見せたいがためにその他の花がある!
と言っている。



花言葉は「つつましやか」「チャンス到来」「運命」である。
「勝利」「必ず手に入れる」という言葉を当てているケースもあるのである。

いずれにせよ、勝負の時の刹那を切り取った花言葉となっている。
この色彩感覚に脱帽!
納得させるはなである。

あっ、そうそう。
この源平カズラ「クサギ属」である。
「へくそかずら」と同類である。





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ミソハギという花の正体~男の純情

2010年07月29日 | 日記
百日紅がミソハギ科に属するという事を、拙ブログを訪問した識者に教えられた。
「そうなんだ!」
と改めて自分の浅学非才を知った次第である。

「寡聞にして知らず!」などと偉そうには言えない。



ミソハギの花である。
ぼくはミソハギとは、この花であってまさか百日紅までもがミソハギとは思いもよらなかったのである。

まさに浅学非才である。



盆花としてよく使われ、ボンバナ、ショウリョウバナ(精霊花)などの名もある。
ミソハギの和名の由来はハギに似て禊(みそぎ)に使ったことから禊萩である。

小林一茶が詠んでいる。

   みそ萩や 水につければ 風の吹く

千屈菜(せんくつさい)と呼ばれて下痢止めなどの民間薬とされた。
国・地方によっては食用にされる。

千屈菜(みそはぎ)は秋の季語である。
従って、上記の一茶の俳句の「風」は「秋風」であって涼やかな風なのである。



ミソハギの花言葉は、なんだかぼくの気持ちを忖度(そんたく)しているかのようである。

        「悲哀」
        「慈悲」
        「愛の悲しみ」
        「純真な愛情」

である。

あなたはこんな歌謡曲知っていますか?

   男いのちの純情は
   燃えてかがやく 金の星
   夜の都の 大空に
   曇る淚を 誰が知ろ

   影はやくざに やつれても
   訊いてくれるな この胸を
   所詮 男のゆく道は
   なんで女が 知るものか

「男の純情」という歌である。
  作詞: 佐藤惣之助
  作曲: 古賀政男

この歌謡曲を歌ったのは藤山一郎である。

歌謡曲の揺籃期から、成熟期にかけて優れた楽曲が次々と産まれた。
この曲は、歌っているとしみじみと沁みて来て涙を求める。

この歌だけがぼくの心を分かってくれている!
そう思わせてくれるのである。

でも・・・口ずさんでいると「辛い」。





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牧野富太郎博士を思う

2010年07月28日 | 日記
世界的な植物学者であって、練馬区が誇る文人でもある牧野博士の居宅がリニューアル・オープンとなる。



オープンは8月1日である。
練馬区立「牧野記念庭園記念館」と命名されている。

場所は、西武池袋線「大泉学園駅」下車(南口)徒歩5分である。



トケイソウである。
パッションフルーツの蔓系の木である。

「日本の植物学の父」といわれる。
多数の新種を発見し命名も行った近代植物分類学の権威である。

発見、命名した植物の例には枚挙の暇もないけれど・・・。
ムジナモ、センダイヤザクラ、トサトラフタケ、ヨコグラツクバネ、アオテンナンショウ、コオロギラン、スエコザサなど多数である。

その研究成果は50万点もの標本や観察記録、そして『牧野日本植物図鑑』に代表される多数の著作として残っている。



これもトケイソウである。
この記事にトケイソウを入れてあるのは、特に意味は無い。

意味は無いけれど、トケイソウはぼくのシンボルフラワーである。
残された時間を測りながら生きていくぼくを、いつも励ましてくれる花である。

さて牧野博士に戻る。
博士が命名した植物の和名については、ワルナスビやノボロギクのような、当該植物種の性質を短い言葉で巧く言い表しているものもある一方で、ハキダメギクなど発見場所をつけただけの命名もある。
イヌノフグリのように意味を考えると(犬の陰嚢の意)、少々破廉恥なものもあるのだ。



しかし、亡き妻の名を冠したスエコザサは、一貫して学問に真摯な態度で臨んだ牧野からすればこうした学問の場以外の私情をはさんだ献名は例外的であって、研究を支え続けてくれた妻への強い感謝の気持ちが伝わってくる。

麗しいほどの夫婦愛が伝わってくるのである。

「花在れバこそ吾れも在り」
牧野博士の言葉である。

「きみ在れバこそ吾れも在り」
きみに伝えたいのである。

8月1日に行くのは無理だけれど、8月早々には参観に出かけようと思っている。
牧野博士の居宅や、その庭園をこの目で見ておきたいと思っているのである。

ガーデニングの妙・・・草花の配置に隠された意図など探ってみたいのである。




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