エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

鰯雲が覆う空

2012年09月30日 | ポエム
今日は関東地方、夕方から夜にかけて台風に見舞われそうである。
かなり大型であると見る。
昼前後から台風に備えられますようお願い申し上げます。

さて、昨日の空である。
鰯雲。
ウロコ雲である。



この日、鰯雲の前は気温が上がって「雲古」が空を彩った。
暑さが少しだけ戻って来たのである。



けれど、午後の2時を過ぎる頃から気温が落ちてきて、空には鰯が泳ぎ始めたのであった。
トンボを二翅お見せしよう。







「鰯雲遠き記憶の空を見る」







一翅だけトンボを拡大してお見せする。



本当は数翅飛んでいたけれど、彼らはすばしっこい。
この写真が精いっぱいである。







「雲の先晴れ渡りたる夕べかな」







夕方近くの空である。
壮大なイメージを抱かせてくれる雲と空である。

雲になって、高い大空を遊弋したいものである。



      荒 野人

奥の細道

2012年09月29日 | ポエム
新日本風土記で、26日朝「奥の細道」を流していた。
「おく」・・・「みちのく」の事である。

名句が数多(あまた)あるけれど「おくのほそ道」なる作品は、壮大なる前書きの文学である。
俳句を引き立てるための散文集でもある。
「おくのほそ道」を貶しめているのではない。



俳文としての最高峰であると言っているのである。
大学一年の時、この「おくのほそ道」を学んだ。
写本がテキストであった。

その後、俳句から離れてしまい、璽来数十年。
俳句に戻った。







「翁の歩む道を進めば山笑う」







芭蕉翁の姿がかなり正確に書かれているとされる絵画である。



奥の細道に出かけた直後の絵である。
俳句の世界では「翁」と言ったら松尾芭蕉のことである。

翁の句碑に出会う事が、嬉しくなっている。
結構目にする。



因みにこれは軽井沢の裏道にあった翁の句碑である。



この句碑にある句は「野ざらし紀行」の一句である。



この句碑の先には、細い川が流れている。
橋に向かう曲がり角にある。

礎石が苔むして良い雰囲気である。

そろそろ「野ざらし紀行」を紹介する時期に来ているのかもしれない。
ぼくの野ざらしをである。



      荒 野人

ドリアンのスナック

2012年09月28日 | ポエム
ドリアン素材のスナック菓子類も我が家に来た。
誠にドリアンそのものである。

だから、口に含めば臭い!
過日のドリアンと共に、土産として頂いたものである。



フィリピンのマーケットのビニール袋である。
この袋に、はちきれんばかりに入っていた。

嬉しいのである。







「南国の臭い楽しむドリアン菓子」







ミルク・キャラメル風に、カットされており食感はキャラメル菓子だけれど、ドリアン味である。
見た目は、とても美味そうである。



次いで、ドリアンの半生風菓子である。



見るからに、ドリアンの小粒である。
口に含んだ時、これが一番臭かった。



これをスティツク風にしてあるものが、これである。
こうした菓子類の種類は多い。

一寸した駄菓子屋でも売っているのを見ると、フィリピンの人たちも良く食べるのだろうか。
それにしても不思議なのは、街中にドリアンの臭いは漂っていないことである。



これも、カラフルに包装されているけれどドリアンの生乾き風な菓子である。
臭いの素は街中に溢れていると言うのに、本当に臭っていない。

フィリピンはマニラの不思議である。
最もマーケットや屋台街では臭う。
これは当然である。

ドリアンの臭いは、大気に放出されると直ちに雲散霧消するのだろうか。
元を断てば、臭いは一カ所に留まらないのであろう。
それが素晴らしい。

流石は果物の王様である。

ドリアン以外では、マンゴーである。



これは青マンゴー。
生で食べても甘いのである。



マンゴーは乾燥させると、甘味が凝縮して風味が一層増す。



こうした乾燥スナックは、見ているだけでも微笑ましく、かつ楽しい。




       荒 野人

軽井沢の初秋

2012年09月27日 | ポエム
色が増えてくる。
秋が始まるのである。

軽井沢の秋が、始っている。
風が立ち始めたのである。







「先ずもって漆の在処知らせたる」



「やがて来る赤色黄色秋便り」







軽井沢である。
間もなくここは、紅葉・黄葉のシーズンに入るのである。

いざ!
出掛けなくてはなるまい・・・。



      荒 野人

ドリアンが来た

2012年09月26日 | ポエム
銀杏のブログで紹介した「ドリアン」がフィリピンから我が家に来た。
不思議なものである。

だがしかし、我が家の内といい、玄関から数メートル先の周りにすらドリアンの独特の匂いが立ち込めている。
強烈な匂いである。







「ドリアンのずしりと重き棘の数」


「ドリアンの誰もが知れる在処かな」







棘が切られている。
持ち運ぶ際の利便性を考えているのだ。
このドリアンはフィリピンから渡来した。

現地の人の優しさが、この棘無しドリアンから伝わってくる。
同時にこれを持ってきて頂いた事に深く感謝するのである。

さて、この果実は美味い。
ねっとりとして、甘味が深い。



果実は黄色く熟していて、旬の味であった。
それだけに臭い。
臭いが美味いのである。



ドリアン・・・PCで調べてみた。
検索欄に「ドリアン 季語」と入れてみた。

季語として、確定出来る根拠は無かったけれど、実に以前のぼくのブログが検索されてきている。
その国によって、旬が違うらしいのだけれど大枠で「夏」で良いのだと思う。

従って、ここで詠む俳句は「晩夏」として理解していただきたい。
ただ、保存技術の発展によって果実は年間を通じて食味できるのは残念であると言わざるを得ない。

正に、その意味では今がドリアンの旬である。
旬は、6月から始まっているけれど、今が旬のギリギリである。
だから「晩夏」である。


     荒 野人