エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

グアムの海にかかる虹!

2009年12月27日 | 旅行
今朝は9時頃にスコールがあり、海に虹がかかった。


丁度、日航ホテルの下から鮮やかな虹がタモン湾を渡るように虹が弧を描いたのである。
この季節は、花が多い。
ぼくは嬉しくて仕方がないのである。

加えて、いつでも黒揚羽(くろあげは)が飛翔している。


二つ目の虹は海から弧を描き始めた。
右にある黒い点は、レンズの汚れではない。

はっきりと見えないけれど、黒揚羽の点である。


部屋から見たタモン湾である。

花といったけれど、ねむの木が砂浜に花を落としている。
淡いピンクの花である。



      あなたは疲れた
      お眠りなさい
      と言うように
      ねむの花が咲く夕べ

と言う歌詞の合唱曲がある。
とてもよい合唱曲である。

今咲いている花をもう一つ紹介して、これから外出である。
まずは海で・・・眼を休める。
次はマイクロネシア・モールに出かけるのである。



鮮やかである。
名前は何と言うのだろうか?




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                     荒野人

成田で鰻を食らう!

2009年12月26日 | 旅行
成田山新勝寺の参道は「鰻屋」が軒を並べている。
ぼくは大概「川豊」で頂くことにしているのである。

蒸しの具合が絶妙で、柔らかくふっくらと焼き上げた熱々が白いご飯の上に載せられて供される。

一口ほうばれば、そこは至福の時間が待っている。
最近では口福と言うらしいのである。



参道である。
川豊は参道沿いで鰻をさばいている。


この鰻を店前で焼くので、そのたれの焦げる匂いが当たりに漂いたまらないのである。
落語ではないけれど、その匂いだけで飯が一杯食べられるというものだ。


白い飯が目立つけれど、鰻と飯のバランスは結構良い。
肝吸いは一椀100円也。
別料金である。
しかしあっさりとしていて美味いのだ。

あわあわとした鰻でありながら、ずっしりと美味いのである。
香の物は、朝漬けでほんのりと塩気が感じられるのである。


新勝寺はすっかりお正月の装いになっている。

間もなく新しい年なのだ。


成田空港は今日が出国のピークだという。

慌しくなってきた。




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成田空港は夢実現の窓口だっ!

2009年12月26日 | 日記
寒い日本を飛び出して、ぼくはグアムに向かっているのである。
便は遅い時間にしたので焦らず、ゆっくりと向かっている。

途中、成田山に詣で、ウナギでも食べようと思っているのである。

いま、このブログはパーキング・エリアで書いている。
明日はきっと素晴らしい海を紹介できると思うのである。

差し当たり一日遅れの記事になるかもしれないけれど御容赦いただきたいと思っている。
その代り・・・と言っては可笑(おか)しいけれど内容は充実で贈りたいのである。

いまは、世界の合言葉「マクドナルド」で書いている。


アイスコーヒーを飲み、好物のシャカシャカチキンを食しているのである。
ぼくは特にブラックペッパー味が良い。

シャカシャカする時の、洩れてくるツーンと鼻をつく刺激的匂いが良いのである。
食べる前の作業としては、なかなか洒落ているではないか。

明日は、成田山の参道で食べたウナギを紹介しよう!

この記事がアップされるころ・・・ぼくはおそらく空港に着いた頃だと思う。
まずはお休みなさいと言おう。
明日朝の素晴らしい海の色と水平線まで続く視界の感動のために。





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映画「2012」は現代版ノアの方舟

2009年12月25日 | 日記
映画「2012」は現在版のノアの方舟を描いているのである。

ノアの方舟はアララト山(トルコ)の頂上付近に漂着したけれど、現在の方舟は何処に逢着するだろうか。


アララト山の全容である。
頭に雪を被っているのがアララト山だ。


山頂の景色である。
以前から、この山で方舟の木片が見つかったなどとの情報が発信されることが多いのである。

大洪水伝説は世界中に存在する。
方舟ではないけれど、人々を大洪水から救った伝説は神話ともなって世界中に伝播されているのである。

水と火と神話・・・それは普遍的に神話の世界を構成するのである。
こうした神話は、星座とか星の運行に因(よ)っているケースが多いのである。
だから、日食や月食に関わっている。

大洪水は地球の地殻変動をも引き起こす。
世界はガラガラポンされるのである。
民族や宗教や言語の違いは、全く意味をなさず、根源的にこの惑星の在り様(ありよう)が問われるのだと思うのだ。


我らの惑星、地球である。

この惑星が温暖化で苦しんでいる。
地球のコアが沸騰している。


大地が熱を持っている事が確認できるのである。
ぼくたちのCOP15への期待は裏切られてしまった。

自からが、ささやかでも対策を講ずるのが一番なのかもしれない。
ペルーの民話「ハチドリのひとしずく」が今こそ求められているのだと思うのである。


ハチドリの地上絵である。






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映画「2012」を観た・・・もっとマヤ文明に触れたい

2009年12月25日 | 日記
板橋のワーナーマイカルで、映画「2012」を観た。
マヤの予言とされているものに題材を執った映画である。


売店の風景である。
ぼくは、ここでは買わずにスタバでマンゴーパッションフルーツフラペチーノを買い、持ち込んだのである。


冷たくて、甘くて、酸っぱくて・・・美味い!

映画のコンセプトは、マヤの暦に因(よ)っている。
2012年12月22日(21日~23日)に、太陽を回る惑星が一直線に並ぶ。

直列になるのである。
すると地球の磁場をはじめとして惑星の循環が狂うのである。
それは壊滅を地球にもたらすのだ・・・と言うものである。

学問的には、太陽活動の極大期が2012年頃に当たっており太陽嵐が発生する可能性があるとされているから、何かの異変が起きないとは確かに断言は出来ないのである。

しかし映画は、その惑星の直列だけがプロローグで紹介され、後はマヤの予言のマの字も無いのだ。

だからマヤの予言をあまり気にすると映画がつまらなくなると言える。


しかし、CGは素晴らしい迫力である。

そこで参考までにマヤについて紹介しておこうと思う。
ここに書いたことだけ知っていれば映画の背景が分かって面白いと思う。

2012年人類滅亡説とは、マヤ文明において用いられていた暦の一つ長期暦が、2012年12月21日から12月23日頃に一つの区切りを迎えるとされることから連想された終末論の一つであると言える。

21世紀初頭のオカルト雑誌や予言関連書などで、1999年のノストラダムスの大予言に続く終末論として採り上げられているが、懐疑的な論者はマヤ暦の周期性は人類滅亡を想定したものではないと反論をしている。

学術的にもマヤ人の宗教観や未来観を知る上で意味があるとしても、それが現実に対応するものとは考えられていないのである。

しかし読み物としては大変面白いのであって、現在の地球という惑星の未来を考えるきっかけとなれば良いのだと思う。

マヤの遺跡は、メキシコのユカタン半島に多く点在している。
この予言にも関わりあう巨大遺跡はやはり「パレンケの遺跡」であろう。


この遺跡には宮殿から天文観測所まで備えてあった。


ここから出てきた石棺である。
また石棺の蓋にはオーパーツとされているレリーフが刻まれているのである。


宇宙船を操縦している人物に見えるのだ。
民間考古学者は、マヤ文明は宇宙人が作った文明であると主張しているのである。
その主張の柱の一つが、この石棺の蓋のレリーフである。


蓋のレリーフを線で描くと、こう見えるのである。
どうであろうか?この絵柄はやはり、誰が見ても宇宙船を操縦しているパイロットのように見えるのである。

正当であるとする考古学者は、このレリーフは蓋を縦に見ると言う。
すると、王が樹の下で寝ている姿だと言うのである。


どうであろうか?
樹の下で寝ている王に見えるであろうか?

ぼくにはやはり、前かがみになって操縦しているパイロットに見える。
見てほしい、ジェット噴射すら分かるではないか。
ただ宇宙船のパイロットが裸足であることが少し悲しい・・・。

この石棺に納められていた王の遺骸には翡翠の面が載せられていた。


素晴らしい面である。
これはもう超1級の美術品だ。

ここはテオティワカンと並ぶマヤ遺跡である。

とまれ、こうした高度な文明を持ったマヤ人であるからこそ「予言」を残したとされたのである。

翻(ひるがえ)って考えてみると、前にもこれと同じ終局を予言した書があり、映画になった事もあった。

「ノストラザムスの大予言」である。
その内容はこうである。

「1999年7か月、空から恐怖の大王が来るだろう。
 アンゴルモアの大王を蘇らせ。
 マルスの前後に首尾よく支配するために。」

といったものであった。
これは『予言集』(百詩篇)の第10巻72番に登場するのである。



予言書のその部分である。
一言で言えば「地球は1999年7月、恐怖の大王が降臨して壊滅に導く!」ということであった。

ただし、地球は今もこの宇宙の一員として太陽の周りを回っている。
環境問題で団結できない地球人の悲哀を感じつつ。


予言書の初版の表紙である。

映画を観終わって、屋上に駐車場に行くと空気が澄んでいるからだろう夜景が綺麗に見えたのである。



池袋方面である。
光が点滅し、幻想的ですらあった。
地球防衛軍よ、出でよ!
と号令をかけたくなった。

そういえば、映画の中でUSA大統領が言う台詞(せりふ)にぼくはいたく感動した。
「一人の若い科学者は、年老いた20人の政治家に匹敵する!」
確かそんな台詞であった。

この台詞が凄いのは、大統領は自らを犠牲にして若き科学者を救うのであって、自らの延命は望んでいないという設定だからである。

う~む・・・深い!
のである。



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