エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

環境月間最終日

2009年06月30日 | 日記


鮮やかな紫陽花に梅雨の鬱陶しさをしばし忘れるが・・・。

今日は6月末日。
政府が決めた「環境月間」の最終日だ。

ニュースを見ていたが、政府関係者の誰からも、この事に関するコメントが聞かれないのは何故なのだろうか?

CO2削減目標を口して、しきりに環境大国を目指すとしたあの麻生総理の発言は何だったのだ!

環境問題を所管する大臣ですら、発言は無いのだ。

政府も政権与党も野党も、口を開けば「自己保身」「自己正当化」ばかり。
自民党の役員人事の山が明日だとか、内閣改造の山が明日だとか、そんなことはどうだっていい。
もっと、安心して暮らせる社会制度の修復と充実に力を注いで欲しい。

マスコミも、報道のトップ情報は「政局絡み」ばかりである。

一体この国はどうなってしまったのだ。
ぼくたちの子供たちや明日に産まれる世界中の未来に残さなければならない地球環境である。

環境問題はそんなに大した課題ではないのか?

財政困窮のこの時代、この月間のために大金をつぎ込んだのではないだろうか。

たとえば、このポスターをあなたは目にしたことがありますか?
ご覧になったとして、記憶に残っていますか?



これは政府・環境省のポスター。



これは、(財)水と緑の惑星保全機構のポスター。

もしご覧になったとして、あなたの環境意識に働きかけましたか?

ぼくは、これは大変重要なことだと思うのです。

こうした、政治的な事柄に発言したくはないのですが、これだけは発言しておきたいと思ったのです。

こうした国の取り組みばかりでは無く、各自治体もポスター公募をやっていましたね。
この公募には、学校単位で児童たちが動員されたと思われます。
こうした公募の当選ポスターも、市民はなかなか目に出来ませんでした。

因みに、こんなポスターが選に選ばれています。



とても児童らしいポスターです。

  

こうした取り組みが無駄にならないように、ぼくたちはいつも環境問題に目を向けていきたいものです。

環境月間に関して、環境省はこのように発信しています。

 6月5日は環境の日です。これは、1972年6月5日からストックホルムで開催された「国連人間環境会議」を記念して定められたものです。国連では、日本の提案を受けて6月5日を「世界環境デー」と定めており、日本では「環境基本法」(平成5年)が「環境の日」を定めています。
 「環境基本法」は、事業者及び国民の間に広く環境の保全についての関心と理解を深めるとともに、積極的に環境の保全に関する活動を行う意欲を高めるという「環境の日」の趣旨を明らかにし、国、地方公共団体等において、この趣旨にふさわしい各種の行事等を実施することとしています。
 我が国では、環境庁の主唱により、平成3年度から6月の一ヶ月間を「環境月間」(昭和48年度~平成2年度までは、6月5日を初日とする「環境週間」)とし、全国で様々な行事が行われています。世界各国でも、この日に環境保全の重要性を認識し、行動の契機とするため様々な行事が行われています。

本質的な事柄を、端的に述べています。
この発信を、今後も続けていって欲しいです。



テレ朝のこの時間のニュースでも触れられませんでした。
呆れるばかりです。

年末から設置された(民間の力で)派遣村の解散と、大雨。
そして、政局でした。

こうしたニュースの根っこあるのは、政治家とマスコミ、そして私たちの無神経さにあるのだろうか?
と自問してしまう。


今夜は少し、怒りを籠めて発言させていただきました。
あまりに酷いですからね。


もはや、この怒りを睡眠剤にするしか市民には手段が無いのか!
今夜の意見は、サイレント・マジョリティーだと思う。



では、気を鎮めて・・・お休みなさい zzzzzzzzz 。







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                       荒野人



薔薇の花芯

2009年06月30日 | 日記







             薔薇の奥部へと誘う



       薔薇の深奥は
       神秘に満ちている

       薔薇の花芯は
       エロチシズムに
       存在する





       薔薇の存在は
       いやしかし
       淫媚な熟女にも似て 
       ぼくを苛む

       薔薇のかほりは
       甘酸っぱく切ない
       ヒトはそのかほりを
       魔法の液体に変えて 
       楽しんだ





       いまぼくは
       その秘密を探ることに飽いて

       花を楽しんでいる
       
       だがしかし
       ぼくの血液は逆流し停滞する
       これがオトコのドグマなのか
       否

       限りなく青春の日々に捧げるのは

       ぼくのエプローグ
       おわりのはじまりだ





       薔薇の深奥は
       ぼくを躊躇わせてならないと言おう

       薔薇の奥部へと誘うのは
       きみの柔らかでいて温かい精神世界でありその風景だ







今日は朝から雨模様。
外出先のPCからこの記事を投稿しました。

クールダウン・・・ということで、拙い詩を作りました。



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                      荒野人

浅草と医療に関する講演会

2009年06月30日 | 日記
今日は浅草の大黒屋という天ぷらの名店で、会合があって出向いた。
友人A氏の誘いがあったからなのだが・・・。
天ぷらは食べなかった。


会場の入口で挨拶し合う、講演会参加者。


会合費用、一人千円も友人A氏に払ってもらった。。
会合の中身は、健康をテーマとした講演と音楽であった。




会合前に、小一時間浅草の仲見世を中心に歩いた。

変わらず外人観光客が闊歩している。
浅草はやはり人気スポットなのだろう。
人力車が行き交っていた。

浅草6区にはかつての面影は無いが、雰囲気だけは色濃く残っている。

ぼくにとって、浅草は好きな町の上位にある。

今年の三社祭りにも出かけた。

とりわけ宮入の時間が迫ってくる薄暮の御輿が好きである。

御輿が、宮入するのをイヤイヤするように、蛇行し、時に沈む。
御輿が沈むのは、担ぎ手のバランスが崩れた時である。

町会の役員がスムースに、社に向かわせようとするけれど、担ぎ手がそれを潔しとしない。

宮入してしまえば、祭りは終わりなのをみんな知っている。

江戸の粋を今に残す三社の祭りである。

今年に三社祭り。
雷門から浅草神社に向かう「一之宮」の本社神輿の姿である。





さて、今日の講演会である。
とても、楽しくかつ興味深い講演であった。

ぼくは、地球を救う最終の取り組みは「鉄団子」である、と思っている。
河川を綺麗にして、人間の食と健康を守る!これがポイントだと思っている。

さらに、癌に関する現在医療には大いに不信感を持っていた。
義兄を癌で亡くしたばかりなのである。

先生の話は、まさにぼくの琴線に触れるものだった。
あとは、自分で試して納得するまでだ。

ぼくが長々と書くよりも、野島尚武先生のクリニックのホームページに行ってみてほしい。

http://www.nojimaclinic.jp/


また、先生が応援するアカペラ男性4人のグループ「VOXRAY」。
とても、素晴らしくフレンドリーな男たちであり、その歌声は耳に優しい。

ぼくは帰り際、CDを買った。
帰宅して聴こうと思う。

かれらもここをクリックすれば、そのプロフィールが分かる。
是非一度行ってみてほしい。

http://www.voxray.net/pc/index.shtml


下の写真、真中が野島尚武先生。
両側の4人が「VOXRAY」の4人である。





今日は有意義であった。
友人A氏に感謝したい。

野島先生の主張からはしばらく目を離せないと思う。
改めて報告する機会を持ちたいものだ。


この日、友人A氏とインドカレーを食べて帰宅の途についたのだった。







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2012年マヤ暦が語る

2009年06月29日 | 日記
昨夜、映画を観ました。
「剱岳 点の記」です。

予告で「2012」という映画。
ショック!
CGも凄い・・・。
インディペンデンスディも凄かったけれど、これも大サスペンスだ。



映画は、マヤ歴を根拠にしている。
その根拠は研究者たちによって、いまは全否定されている。
でも、映画はエンターテナーであって、娯楽だからそんなことは一切気にならない。

終末が予告されている!
マヤ歴。
ロマンではないか。

その予告は、記述が終わっているというだけである。
とりあえず、その根拠はこうだ。

「マヤの長期暦は2012年の冬至付近で終わるとされ、その日を終末論と絡めた形でホピ族の預言がある!」

これだけである。



マヤの遺跡だ。
ウシュマル遺跡の尼僧院跡。
マヤは、中米一帯で栄えた文明である。

マヤは生贄の文明でもあった。
チャック・モール像。



チャクモールは死んだ戦士を象徴していて、神へいけにえなどの供物を運ぶ存在と考えられていて、チャクモール像の上で人身御供の儀式がおこなわれたり、チャクモールのもつ皿の上に取り出された心臓が置かれたといわれる。

マヤの文明は、同族の血であがなわれていたのかもしれない。

さて、映画である。
あらすじは、こうなっている。

「マヤ暦に記された2012年終末説を題材に、『インデペンデンス・デイ』『紀元前1万年』のローランド・エメリッヒが手掛けるSFパニック・ムービー。地球滅亡を目の前になすすべもない人々が、巨大な自然災害から必死に逃げまどう姿を描く。偶然にも地球の危機を知ってしまうリムジン運転手に『ハイ・フィデリティ』のジョン・キューザックがふんしていて、大事な家族を守るために奔走する。大地震、火山噴火、津波など最新CG技術による迫力ある映像に注目」

だそうである。

アマンザ・ピット          ジョン・キューザック
 


観たいではないか!
今年12月封切りだという。

もったいぶらないで、早くしてよ!
あまり遅いと、台湾まで行って観ちゃうぞ・・・。

あっ、そうそう、アジアでは台湾が一番早く映画が封切りされるんですよ。
台湾の映画館は快適です。



熱い夜、涼しい館内でドリンクを傾けて、ゆったりシートでどうぞ!

隣の座席に、アマンザ・ピットでも座っていたら気分は最高ですね。





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剱岳  点の記

2009年06月29日 | 日記
今夜は、剣岳・点の記を観に出かけた。
帰宅したのは、午前1時を回った頃。



流石に少し眠くなっている。

見ごたえのある映画になっている。
原作は新田次郎。
誰もが知っている「八甲田山死の彷徨」の作者でもある。

映画のタイトルになっている「点の記」とは、基準点(三角点・水準点・基準多角点など)の設置・測量の記録のことである。

原作は、参謀本部陸地測量部による剱岳測量の様子を描いたもので山の厳しさを余すところなく描き切っている。

映画は、役者をはじめスタッフの辛苦を察して余りある作品に仕上がっている。
同時にそれは、美しい山岳を映し切っているという事でもある。



新田次郎は、1955年「強力伝」で直木賞を取っている。
この作品をはじめ、山岳小説という分野を確立した作家でもある。

「武田信玄」などの歴史小説もあるが、やはり山岳小説に優れている。

ぼくの大好きな作家でもある。

映画は、スリルに満ちつつ、南アルプスの四季が綺麗に描かれている。
その美しい自然の中で繰り広げられる、人智の限りが胸を打つ。

映画のエンディングは、印象的である。

「仲間たち」とスクリーンの右上に書かれている。
その下を左から右に、単に固有名詞が流れていくのみである。
個人名、会社名、山荘名、県名、市町村名がただ粛然と流れていく。

そして最後に「原作 新田次郎」と流れて終わるのである。

ぼくは、珍しく最後まで席を立たなかった。
館内が明るくなってから、やおら席を立った。
一人の観客が、エンディングに入ると席を立ったけれど、あとは全員最後まで席を立たなかった。

映画館でご覧になられるようにお勧めする。

少なくとも、ぼくは良かった。



新田次郎の原点は、富士山の気象観測所だ。
社会人になって、最初の赴任地が富士山だった。
だから、処女作は「強力伝」なのだ。

晩年には、人物評伝をテーマに取材を続けたようだったが、その果実は城山三郎に譲った。


とにかく、監督をはじめこの映画に関わった人々の「記念碑」的作品になるであろう。
と思う。


新田次郎については、機会があったら触れてみたい。


この映画は、もう一度みたいと思う






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