エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

冬薔薇(ふゆそうび)の競演・・・その2

2011年11月30日 | 
競演する冬の薔薇(そうび)は愛しくもあり、ほのぼのとするのである。



王朝である。



確かに品格のある色で咲いている。
花弁を一つまみしたい!との欲望にかられる。

そんな欲望をもたせる花は、そう多くないのである。



紫雲である。



紫系の花弁が孤高な印象を与える花だ。
そう、孤高な人に合う薔薇であるのかもしれない。

ただし「性、狷介」では困る。
中島敦の山月記の世界になってしまうからである。



ゴールド・バニーである。



黄色であるけれど、黄金と称される。
ゴールドなのだ。

黄色は運気を向上させると言う。
もしもそうであるなら一輪で良い、部屋に挿して置きたいものである。



レッド・デブルである。



赤い悪魔のようである。
異性を誘う赤色である。

花弁は、ビロードのようであって馥郁とした香りが楽しめる。



シャコックである。



楚々として咲いている。
花開いて、暫くは美しい花弁を保つ。

なんの衒(てら)いも無く咲くのである。
こうした花は文句なく良いのである。



    冬そうび蕊より深く花の中        野 人


「ふゆばら」と読むよりは「ふゆそうび」と読んで欲しいのである。
蕊(しべ)、いわゆる花芯(かしん)である。

花芯のような人を、ぼくは希求するのかもしれない。
いつか会えるかもしれない、会えないかもしれない・・・。

時間がそれほど無いのだから。





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 荒野人

平林寺の紅葉は見頃

2011年11月29日 | 日記
平林寺の紅葉は今日あたりから見頃だと言うのである。
ネットで登録しておいたら、メールが来て「見頃です!」と教えてくれた。



高僧がお亡くなりになると、この看板が掲示される。



さて、モミジである。
竹塀が紅葉と映えるのである。



確かに見頃ではあるけれど、例年に比べて「少しくすんで」いる印象は否めない。



だがしかし、竹林を背景にすると一際映える。
これは竹林の手柄である。



少しピントを甘くしてみた。



桜モミジも鮮やかに見える。
そんな季節なのかもしれない。
今日は、風が冷たかった。

ここは松平家の墓所の一画である。



散るモミジは情緒的であるけれど、哀れを誘われるのはぼくだけであろうか。



紅葉のトンネルを先に進む。
なんだか不思議な気分である。

モミジという、ブラック・ホールに吸いこまれていく。
照らされている道が不思議感を増幅するのである。



先は、またモミジである。
目がクラクラするようである。



でも、例年よりは紅葉のボリュームが無い。
厚みが無いのである。



いつもだと、これでもか!これでもか!と迫ってくるのである。



まだまだ。



ここは野火止塚である。

赤さは京都にも負けない筈なのに・・・。
でも昨日会った友人の話だと、今年の京都の紅葉は期待外れであったと言う。

平林寺もまた然りである。



赤だけではなく、色彩は様々である。



池の面に映し出される紅葉は見事であった。



この木は、一枝だけ真っ赤である。
不思議である。

明日も見頃はつづくのだけれど、おそらく今週の土日もOKだろうと思う。
天気の良い日を選んで行かれたらいかがだろうか?

つづく・・・。



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 荒野人

冬薔薇(ふゆそうび)の競演・・・その1

2011年11月28日 | 
冬そうびは、寒冷の大気の中で凜として咲く。
冬薔薇は香りを楽しむのに、ぐっと鼻孔を花に近ずければ良い。



得ある事は違うこの赤は真紅に近いのである。
「かがやき」と名付けられている。



冬薔薇はどこか萎れた部分もあって、郷愁も誘ってくれるのである。



ホワイト・マスターピースである。



花弁の一番外側に赤の斑点がある。
それも良い景色となって、この花を特徴づけているのである。

この斑点が、決して嫌らしく見えないのである。
むしろワンポイントとなっている。



ファースト・F・ルネッサンスである。



この名前がどうして付けられたのか理由は不明である。
だがしかし、ルネッサンスの高揚した気分と合致していると捉えられているのかもしれない。



イントゥ・リーグである。



そつの無い花である。
鑑賞用の薔薇としてはベストに近いと言えるかもしれないのである。

可憐であることと、コケテッシュであることは違う。
だがしかし、そうした言葉が出るほどこの花は美しいのである。



マクリディス・アイボリーと書いてあった。



確かに白いけれどアイボリーの色である。
象牙色である。



セツコとなっている。



この薔薇を創った人の奥さんが「セツコ」と言ったのであろう。
自分の名前が薔薇の名前になっているなんて素敵である。

交配技術やバイオ研究が進んだ結果、新しい花や花の色が次々と産まれている。
それはそれで良しとしておこう。

楽しめるからである。



宴である。



宴に相応しい赤色である。

この薔薇の宴はまだまだ続く。
今夜はここまでとしたい。

つづく・・・。
のである。





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 荒野人

銀杏は黄葉したり

2011年11月27日 | 日記
銀杏・・・公孫樹とも表記する。
見事な黄葉を見せている。



銀杏は見上げるに限るのである。
もっとも、視線が平行であっても見応えはある。

それが銀杏たる所以である。




    綿虫はいてふと舞うまうひたすらに      野 人





    いたずらに降り積むいてふ風枯るる      野 人





    落ち葉舞い己が姿を隠しけり         野 人




俳句ってのは「捨象の美学」です。
だからこそそこに「侘」「寂」がうまれるのだと思惟するのである。

茶の湯と通じるのである。
四季のメリハリがあるからこその美学であり、精神風土であるのだ。

ねっ・・・。
日本人に産まれて良かったでしょう。




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 荒野人

デジブック 『初冬・・・白鳥来る』

2011年11月26日 | 日記
今日は日がな一日外出であった。
従って、メールの返信以外はPCに触れることも無かった。




空は晴れていて、爽やかな中にも寒風を感じる一日であった。
そんな訳で、出来あいの記事をアップすることとしたいのである。

幸い、おっぺ川のコハクチョウを写真集にしてあった。



まだ十数羽が飛来しているにすぎないけれど、日々その数は増えているに違いない。



コハクチョウですが…何か?
といった雰囲気でこちらを見た。



デジブック 『初冬・・・白鳥来る』






美しい野生の白鳥である。
初冬だからこその写真である。

時間の限りご覧頂ければ幸いである。






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 荒野人