エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

尖り石遺跡と与助尾根遺跡

2011年07月31日 | 遺跡
尖り石遺跡と与助尾根遺跡は、浅い沢を挟んで位置する。
どちらも縄文中期の遺跡である。

ここの遺跡からは土器が多数出土しているのである。
石器は少ないと、昨日紹介した。

土器の上部を注意深く観察すると、面白い造作が施されている。
その時代の人物観が現れているのである。



例えばこれ!



例えばこれ!



顔である。
とりわけ、目と口がデフォルメされている。

目力(めぢから)が求められていた時代なのであろう。
眼力で獲物を射すくめる力こそ勇者の印(しるし)なのであろう。
そう考えると、縄文とは楽しい時代である。



ムンクの「さけび」の様である。
顔を斜めにして叫んでいる。

両の眼は、夫々違う表現である。
あるいは義眼という発想があったのであろうか?



面白い表現方法である。
サルのような動物と水鳥のクチバシが記されている。

隠し絵のような、あるいはまた騙し絵のような表現である。
なんという表現力の確かさであろうか。

火炎土器も動的で面白いけれど、こうした土器も興味深いし、観察・洞察力の確かさが感じられる。
縄文人に敬服である。



沢を渡ると与助尾根遺跡である。
ここは住居が再現されている。

住居の周辺は、一面深い林である。
木の実をたっぷりと拾う事が出来る環境である。



緑豊かで、憩う事のできる木陰がふんだんにある。
それでいて住まいには十分な陽光を浴びせかけている。

住環境としては快適である。

尖り石遺跡は戦前から発掘されてきた。
集落遺跡は、東西170m・南北90mの範囲をU字形に巡り中央に広場が存在していたことが判明したのである。
これによって日本で最初の縄文時代の集落の存在が確認された遺跡となった。

歴史的な遺跡なのである。





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 荒野人

国宝・縄文のヴィーナスと重文・仮面の女神

2011年07月30日 | 遺跡
尖り石遺跡にある、土偶・縄文のヴィーナスは国宝であってほぼ完全な形で出土したのである。
土偶が破壊されずに出土するのは稀有である。

縄文人たちは、土偶に願いを込めて破壊して埋めたのである。
しかも何里も離れた場所にすら埋めているのである。



縄文のヴィーナスである。
間違いなく妊娠した女性である。

種の繁栄と健全な発展を祈ったのであろう。
膨らんだお腹、どっしりとした腰部、足。
全てが健康な女を表現している。



この展示館では、縄文のヴィーナスのストラップを安産のお守りとして配布した事があったそうである。
残念ながらいまその残りは無い。

ここ尖り石には、もう一つ重要文化財となっている「仮面の女神」がある。



仮面の女神である。
これもまた、基本的には完全な形で出土しているのである。



後ろ姿である。

こちらの土偶の方が重厚感はあるけれど、ぼくはやはりヴィーナスの方が好きである。
清楚にして簡潔なのである。



仮面の女神の出土状態のレプリカがある。
埋まっている間の土の重さで下半身が欠けているけれど、学芸員さんの話によると完全な形での出土状態であったという。

尖石では竪穴式住居跡33ヶ所をはじめ、53ヶ所の炉跡や列石、竪穴群、屋外埋甕などが発掘されたが、土器に比べ石器の出土が極端に少ないとされている。



これらは数少ない土器の一部である。
ここは縄文中期の遺跡であるけれど、焼畑農業が生業されていたのではないかと推測されているのである。



さて尖り石遺跡の謂れであるけれど・・・。



この石が「尖り石」である。
遺跡の南方向の斜面下にある。

何時の頃からか「尖り石様」と信仰の対象になっている。
注連縄が張られ、横には石の堂が安置されている。

不思議な一画である。

因みに、縄文のヴィーナスは「棚畑遺跡(縄文中期)」から、仮面の女神は「中ツ原遺跡(縄文後期)」からの出土である。
二つの遺跡とも、尖り石遺跡の近くである。
大事なことなので付記しておく。





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 荒野人

井戸尻遺跡に咲く大賀ハス

2011年07月29日 | 
井戸尻遺跡の蓮田には、古代ハスが花開くのである。
今、盛んなのは大賀ハス。
次いで、行田古代ハスも咲くのである。



南アルプスを背景に咲き誇っている。
千葉県から譲り受けた大賀ハスである。



古代ハスがきっとこの井戸尻でも咲いていたのだろうけれど、種子は発見されていない。
だがしかし、やはりこうした景色だったに違いないのである。



淡く可憐な花である。



蓮田と山との境目にネットが張ってあるけれど、サルや鹿の侵入を防ぐ防護ネットである。
その防護ネットの向こう側は、縄文の里であり子どもたちの遊び場となっている。

昨夜ぼくは富士見高原を走って温泉に行く途中、野生のシカと出会った。
車のヘッドライトで照らされたシカは、驚いたような目でこっちを見、瞬間的に林の中へと消えていった。
つぶらな瞳であった。



古代ハスは、やはり澄みきった青空が良く似合うのである。



色彩は淡いピンクのグラデーションだけれど、清楚で深みが感じられる。
悠久の時間をくぐり抜けた生物だけが保有する「神秘」である。

また、この井戸尻遺跡の蓮田には睡蓮池もある。



水の近くで開く睡蓮である。
縄文の遺跡と古代ハスの取り合わせは素敵である。



山、空そして水辺の三点セットは限りなく空間を広げる魔法のエリアを形成するのである。





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 荒野人

井戸尻遺跡

2011年07月28日 | 遺跡
信州・富士見町にあるのは井戸尻遺跡である。
この周辺の遺跡は縄文中期の遺跡群である。

いわゆる八ヶ岳南麓遺跡群と称されるのであるけれど、井戸尻遺跡がその交接点であり国指定遺跡となっている。
この遺跡群は八ヶ岳の南麓と西麓の接点であり、井戸尻遺跡がその中心を成すのである。
井戸尻、曾利、新道・籠畑、藤内、九兵衛尾根、居平、唐渡宮、坂上の8か所である。



井戸尻遺跡の住居跡から眺める田園風景である。



水田が段々畑となっていて、この地域が狭縊な場所である事が良く分かる。
八ヶ岳の麓にあって、視線を転ずると富士山が聳え立っている場所である。



富士山の右方向には南アルプスの山嶺である。



この日、空は芸術家であった。



すっくと伸びた杉樹林の向こうに見える富士山は荘厳でもある。



この遺跡の展示館の庭には、すぐ傍の遺跡「向原遺跡」のストーン・サークルが移設復元されている。
とりわけ左側のサークルは、あのイギリスのストーン・ヘンジと同様に二重に石が立っている。



近在から集まった縄文人たちは、在所のを持ち寄ったのであろうか。
その石の多くは、ここ井戸尻には無い石である。

その他、石臼、石棒、石玉などがごろごろ出土しているのである。



そうして出土した石は無造作に庭石にされたり、一か所に集められて放置されている。



これは庭石として放置されている。
隣の石には、バケツが載せられている。

寂しい。



裏庭の芝生に埋もれてしまっている。
石が泣いている。



この丸石と石臼も展示棟の軒下に置いてあるのである。
縄文の人々は、この石臼と丸石で木の実を擂り潰したりして食べた痕跡なのである。

学芸員さんに何とかしてほしいものである。



夕方、墨絵のような山々があった。
縄文の時代もそうであったように・・・。





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 荒野人

金生遺跡再訪

2011年07月27日 | 遺跡
長坂の太陽光発電実験地を過ぎて、長坂インターを降りる。



一般道に出て、左折すると中央高速をくぐり直ぐ左折。
道なりに進む事、おおよそ5分程度で金生遺跡の看板が目に入る。

その看板を左折すると金生遺跡に辿り着くのである。



入口である。



石段を登ると両サイドにこの石棒が屹立している。
石棒の先に見えるのは八ヶ岳の山並みである。



縄文の人々が丹念に石を削り込んで形成したのである。
信仰の一つの形である。



これが全景である。



これは墳墓の跡と想定されている。
方墳である。



これも墳墓跡と解説されている。



ここは、祭祀に使用したものであろうか。



日時計かとも思われるけれど、やはり祭祀用であろうか。



住居前に配置されているのである。
この石の配置を眺めながら、縄文の人々は何を考えていたのだろうか。



ストーン・サークルの周りはグルリと草が刈ってあったけれど、雑草がはびこっている。
こうした気配が悠久の時代にぼくたちを惹きこんでくれるのである。



金生遺跡は、夢が膨らむ場所である。
パワースポットである事は間違いない。

とまれ、この周辺には遺跡が至るところに埋まっている。
また風雪を経て地上に現れてもいる。



例えば神社として昔から人々が信仰している土盛りの場所がる。
間違いなく墳墓の跡と考えられる。



この周辺にはかなりの規模のストーンサークルがあったと推測できるのである。
だがしかし、人々はその石を掘り起こし家々の石塀に使ったり、あるいはまた住居の境目に配置したりしたことは想像に難くないのである。



遺跡に溢れた地域の人々にとって、遺跡は邪魔なのである。
畑の中にあったり、畑を分断してしまう。

例えば、ペルーというインカの遺跡に埋もれた国家がある。
そこの農民は、畑のために勝手に遺跡を掘り起こし、崩してしまう。
そこにブドウを作り、じゃがいもを栽培し、とうもろこしを栽培しているのである。

遺跡は、日常生活にとって不可欠なものではないのである。





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 荒野人