エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

霜柱踏む

2014年12月31日 | ポエム
霜柱が、むくむくと成長する。
よく見ると、透き通っている上にあたかも流氷のように青く輝いている。

けれども、ぼくのカメラではとても表現しきれない。



霜柱を撮っていると、良く男の人が声をかけてくる。



男はみんな気になるらしい。
そして、踏んで遊ぶ事を記憶の中から引っ張り出す。

霜柱は男の子の遊び道具だったのだ。







「霜柱女は踏んで遊ばない」







今日は、大晦日。
明日はいよいよ新年である。



霜柱も、新しい光を纏うのだろうと思う。
白いハタを纏うのは、新鮮な感覚を呼び覚ますのである。



霜柱を踏んで、新年を迎える。
懐かしくもあり、悲しくもある。

エピローグを進んでいる。



       荒 野人

雨上がり

2014年12月30日 | ポエム
雨が上がった。
年も押し迫った12月29日である。

氷雨となった朝・・・。
年末だから、やらねばならぬことが多い。
雨だと足が止められる。

無為に過ごす半日となりそうである。



小ぶりになった時を見計らって、出かける事としたのである。
とにかく、動き出さなければなるまい。







「雨上がり滴ため込む冬木立」







木々の芽が、雨を留める。
それがキラキラして美しい。



雨上がりは、至る場所が「パワースポット」である。
雨滴に、全身を晒す。
雨滴の中に、入り込む。



雪になるとの予報もあったけれど、雨で終始した。
もし、雪になっていれば・・・この南天の実が雪ウサギの目になっていた筈である。

少し残念!
きっと孫たちが歌うだろう「雪だるま作ろう!!」と。



夜、辻井伸行さんのCDを買いに出かけた。
リストのCDである。
煌めくような珠玉の音を、今夜は聴く。



楽しみである。
早く帰ろうっと!




       荒 野人

寒木瓜

2014年12月29日 | ポエム
木瓜の木は、すっかり葉を落として冬眠に入っている・・・。
かのようだ!



けれど、部分的には青々とした葉を残す。
それが命の営みを感じる縁(よすが)となっている。







「寒木瓜の点睛となる緋色かな」







緋色の点睛である。
寒木瓜は、点睛である。

寒木瓜に緋の花が無ければ「画竜点睛を欠く」結果に陥るのである。



木瓜の花の花言葉は・・・。
「指導者」「先駆者」である。
厳冬の花としては、納得である。

けれども、下記のような花言葉もある。
「熱情」「魅感的な恋」「平凡」「妖精の輝き」
寒さの中で持ち続ける「パトス」に敬意を表したのであろうか・・・。




     荒 野人

寒椿

2014年12月28日 | ポエム
寒椿の花が、誘う。
寒椿は、実は山茶花である。



キーンと冷えきった空気の中で、赤々と「たいまつ」を掲げるかのように咲く。
その様は、あの凛として生き抜いた母や伯母たちの姿である。

戦後の食糧難の中で、ぼくたち団塊の世代の子を育て上げた愛すべき群像である。
あの時代、寒椿はいまと変わらず咲いていたのだ。







「寒椿茂みの陰の母の愛」







この赤い花に、母を描く。
母は、全てのシーンで生きている。
ぼくの心に生きている。



       荒 野人

ピュアな辻井伸行

2014年12月27日 | ポエム
辻井伸行の「東南アジア紀行~心を繋ぐメロディー」という番組を見た。
何故か、涙が零れてならない。
辻井のピアノを聴くと、いつも涙が零れるのだ。



彼が、無機質なピアノという楽器から紡ぎ出す音が、余りにもピュアだからだ。
音たちが、真珠のように連なる。
音たちは、月の雫のように沁み込んでくる。

琴線に触れ、心が揺さぶられる。



sm21525892 ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 作品18 辻井伸行 / Nobuyuki Tsujii BBC Proms full




無垢な情熱!
へんな表現かもしれない。
天使のような心は、そう表現するより他は無い。







「鍵盤にいのち吹き込む去年今年」






アシュケナージも、辻井の才能を高く評価した。
なによりも、佐渡裕は流石である。



佐渡裕の見出した才能こそが、辻井伸行である。
辻井がショパンに挑戦した時、音楽愛好家の一部は否定的であった。

いま、辻井のショパンを否定するものはいないだろう。
彼の紡ぎだす音楽は、至高であるといっても過言ではない。



この年末から、新年にかけて辻井のCDを聴く。
そうして時間を、磨いていこうと思うのである。



   
      荒 野人