エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

緑が分断された都会

2010年05月31日 | 日記
都会の緑が色を増している。
陽射しが思い遣られる夏に近づきつつある。

街中の緑を眺めた。





         緑断ち切る


      都会の
      とりわけ駅周辺の緑は
      断ち切られ
      分断され
      線描のように無惨な顔を見せる

      一色のクレヨンで引き描かれた緑の空間
      は
      オペの後が生々しく
      縫い痕がくっきりとして
      痛々しくも悲しい
      のだ

      断ち切られた都会の緑
      の
      救いは
      それでも鮮やかに瞳孔を打つ事実の
      積み重ねである
      雨上がりのしっとりとした緑
      は
      田舎と遜色はないと言い切れる
      のだ

      きみの風呂上がりの芳しく匂い立つ
      絹の手触りのように

      都会の緑は
      だがしかし断ち切られてしまった
      屍を晒す緑の行列は
      圧倒的な存在を示す
      示しながら立ち枯れて行き人の瞳孔を
      打つ

      都会の緑は
      断ち切られた

      人は
      その手によって
      緑断ち切る
      のだ





この風景は、例えばフランスのパリであったら考えられないのである。
ここまで電線が虚空を切り裂いている先進国の首都も探すのに苦労するのである。



電線の地下化は地震大国の日本では確かに難しいのかもしれない。
そうであったとしても、山岳の写真を撮ろうとしても電線が邪魔をするのも現実である。

これは寂しいことである。






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ヒメシャラの花の下には・・・

2010年05月31日 | 日記
姫沙羅・・・ヒメシャラの花が咲いている。
沙羅双樹と同じ花と思われがちであるけれど、実は違うのである。



娑羅双樹はインドの高地などに生えるフタバガキ科の サラノキ で種類は別なのである。
日本には存在しないことから、平家物語の「沙羅双樹の花の色」の娑羅双樹はこのヒメシャラといわれている。

因みに、平家物語の冒頭を改めて読んでみる。

祗園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必滅の理(ことわり)をあらはす
おごれる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし

である。



ヒメシャラの花言葉は「謙譲」である。
なるほど、つつましやかである。

参考までに沙羅双樹の花言葉は「愛らしさ」である。

日本では、夏椿も沙羅双樹やヒメシャラを混同している向きもある。



しかし…夫々違う花である。
釈迦が悟りを開いたのは、沙羅双樹の木の下である。

ヒメシャラや夏椿を、沙羅双樹と同一視したいという、人の心が伺われるのである。
そこには自分の運命を信じたい!という悲しいまでの人の深層心理が反映されている。





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今日は曇天・・・花は綺麗である

2010年05月30日 | 日記
天気予報では雨・・・後曇りだったけれど、実は終日曇っていた。
晴天で美しく映える花は多いけれど、曇りでも鑑賞に堪える花もあるのである。



切り花となった「ホタルブクロ」である。
玄関で咲いている。



サボテンの花である。
サボテンの花にしては地味であるけれど棘を掻い潜って姿を見せるのである。
その分、見る者を感動させる小さな花である。



ドクダミの花である。
しかも八重咲きの花である。

一重の花が蕊を突き出しているのに比べ、柔らかに咲いているのである。



ユキノシタである。
比較的、模様の少ない花である。

楚楚と咲いている。



今日の最後の花は、家のブルーベリーの実生である。
こんなに大きくなってきた。

大事に育てていきたいものである。
紫の大玉となってお口を幸せにしてくれるだろうか。

楽しみである。






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散策コースの花たちへ・・・都会の花はアダバナなのか

2010年05月30日 | 日記
いつも歩くのは川の上に作られた、グリーン・ベルトである。
その下には今も水が流れている。

暗黒の世界で川が生きているのである。
いや・・・もうその川には、川としての機能は無くなっている。
ただ水を流しているだけである。

生き物の営みは無くなっていると思うのである。

してみると、その上のグリーン・ベルトに咲く花は「アダバナ」」であるのだろうか?



ブラック・ベリーの花である。
今、ぼくの家の周辺ではこの花が咲き誇っている。

やがてベリーの実が姿を現す。
熟すと黒い実になるのである。



これからは紫陽花の季節である。
色の変化を楽しめるのだけれど、梅雨の時期でもある。



我が家の「墨田の花火」である。
花火が花開く様を連想させてくれる。



このムラサキツユクサは、紫陽花とセットのように咲く花である。
環境に敏感な花だと聞く。
「ああ、生きている!」と実感させてくれるのである。



ホタルブクロである。
いろいろの種類があり、夫々に花名がついているけれど、ホタルブクロと総称される。

それで良いと思う。




ピンクのフウリンソウである。
花の形状が風鈴のようである。
美しい花である。



家の周囲には地植えのハイビスカスだって咲いているのである。



これは完全に地植えである。
練馬恐るべし!
・・・でしょう?

食べられるために咲く花、ただ人を感動させてくれるために咲く花。
様々であるけれど、どっちでも良い。
自然が作り出す色彩は鮮やかである。





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あなたとの距離

2010年05月29日 | 日記
団塊の世代が白昼夢ででもあるかのように、愛を追体験している。
青春のリバイバルである。

プラトニック・ラブであるとか、アガペーであるとか、もてあそんだ罪であるのだろうか。
疲弊した万象への更なる挽歌である。









         あなたとの距離



      ぼくはあなたとの距離を測れない
      いったいいつから
      こんなになってしまったのだろう
      距離を測らなければならない遠さに
      あなたが居所を変える度に
      ぼくは
      悲しんだり
      喜んだりしたのだ
      距離の計測に手間暇を要すると知ったいま
      ぼくは
      耐え難い痛苦に直面した
      そうであるが故に
      困惑したのだった

      あなたとの距離は
      あなたとの男女の交わりの甘さに
      比例しているのかも知れない
      やがて気づいたのだが
      あなたとの距離は
      めくるめくようなあなたとの交わりに
      反比例して
      恍惚たる時間に反比例して
      長く遠く
      深いものとなってしまったのだった

      あなたとの距離は
      暗い蒼空のただ中で際限もなく
      肥大化していき抱えきれなくなってしまっている

      ぼくの疲弊した万象に捧ぐ
      新鮮な快感の万象に捧ぐ
      深く沈潜した深層心理のそのまた底部に
      降り積む
      ぼくは
      ぼくの純情を謳(うた)えよ





もう萩の花が咲いている。
狂った花芯(かしん)に同情を禁じえないのである。



家の近くの塀にピンクの蔓薔薇(つるばら)が満開である。
ぼくはこの薔薇の花の中に顔を埋めてしまいたい。

美しい愛の営みに、ぼくは酔っているのかもしれない。






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