エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

一本の鉛筆

2013年08月31日 | ポエム
たまたま、パソコンの入力作業に飽きてテレビのスイッチを入れたのである。
美空ひばりが画面いっぱいに映っている。

流れている歌は「一本の鉛筆」であった。
この歌は、ぼくの大好きな歌の一つである。

横臥しながら曲を聴き終えた。
涙が滂沱として止まることが無かった。
一本の鉛筆に託した、松山善三の詞も素晴らしい。

松山善三は、現在88歳。
映画監督であり、脚本家でもある。

平和を静かに希求する歌である。
美空ひばりが、広島で歌ったユーチューブを引っ張ってきた。
静かに聞いてほしい。








実は、今日は「残暑」のテーマでブログを準備していた。
けれども、一本の鉛筆の方が大切である。

子の歌詞の中に「一枚のざら紙」というフレーズがある。
学生時代、学生運動で走り回っていた時、下宿に戻り「ガリ版」を起こし、ざら紙をトントンと纏めて印刷したものだった。
アジビラである。

その貧しかった時代。
しかし、明日の希望に溢れていた学生の日々。
その日々が想起されて、涙が溢れ出るのであった。

涙腺が緩んでいるのも、その理由の一つではある・・・。

この歌は8月6日の朝も歌い込む。
戦争は嫌だと歌い込む。

第二次世界大戦(太平洋戦争)末期の1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、アメリカ軍が日本の広島市に対して投下した原子爆弾を言う。

実戦で使われた世界最初の核兵器である。
この一発の兵器により当時の広島市の人口35万人(推定)のうち9万~16万6千人が被爆から2~4カ月以内に死亡したとされる。

パトスに満ち満ちた青春の日々よ。
よみがえれ!
パトスに全てを賭けた若き日のぼくよ。
よみがえれ!

一本の鉛筆で、ざら紙に「矛盾」と大書して雪降る窓の外へ放擲した若き感性よ。
よみがえれ!

放擲したその軌跡が、高々と舞ったあの日よ。
よみがえれ!

怒りに満ちた・・・・・・・。
青春の日々よ。
よみがえれ!

ごめん!
なんだか、とってもナーバスになってしまった。
青春の日々が走馬灯のようにぼくの脳裏を駆け巡っている。
青臭さが、懐かしいのである。



「青春のざら紙に書けるヒロシマ忌」




       荒 野人

小さな秋

2013年08月30日 | ポエム
小さな秋が、街中で見られる。
もう、秋である。

小さき秋の、清しきよ!
今日は、二つの小さな秋。



紫式部。



ススキである。
見上げれば、柔らかな日差しが降り注いでいる。



この清々しさよ。
体が洗われていく。
酷暑で疲れた身体は、最早残暑すら受け付けないではないか。



紫式部は、気がつけば色づいている。
そんな楚々たる色気が良い。

あたかも「良い女」がひっそりと佇んでいるかのような、色気が良いのである。



このススキは、とある川沿いにあった。



陽が当たっている。
それが白さを際立たせている。

遠目だと、金色に輝く。







「ススキ映ゆ日差しの彼方引き寄せぬ」







箱根の仙石原のススキも良いけれど、何気なく佇むススキは水が良く似合う。



今年も行かなければならぬ。
箱根へである。



        荒 野人

プールで遊ぶ

2013年08月29日 | ポエム
おそらく、この夏最後の水遊びとなろう。
豊島園のプールに出かけたのである。

折り畳み式のテントとチェアー一つ。
チェアーにパラソル・・・それもUVカットのパラソルである。
天気は晴れ。
風は爽やかである。
湿度が低いのが知れる・・・木陰の涼しさは格別の快感である。



プールに向かって、炭酸飲料を飲みながらメモを重ねたのである。
パラソルは、良い塩梅に陽射しを避けることが出来る。
チェアーへの取り付けは、可動式であってお久間に挑戦し続けてくれる。



空はと見れば、秋の雲が遊弋する。
水は波紋を重ねて揺らぐ。
パラソルの下は、さながら天国である。







「まず母がいて妻がいるプールかな」


「水の色子のかき混ぜし秋の空」







朝晩の爽快さは、秋模様である。
昨日のプール・サイドは、気分が良かった。
日差しも良かった。
風も良かった。

今年最後のプールなのか!
その気分の高揚である。



かつて豊島園の水は冷たかった。
それは、井戸水を使用していたからである。

いまは、指摘を受け水道水を使っている。
だから太陽の恵みを素直に受け入れる。



だがしかし、秋である。
写真に撮れなかったけれど、プールの水面近くを秋茜がスイスイと飛んでいるのであった。



         荒 野人

凌霄花

2013年08月28日 | ポエム
凌霄花・・・ノウゼンカズラの漢字表記である。
10世紀ごろには渡来していた、と言うから、かなり古くから愛でていた花である。



ぼくはこの花を見ると、沖縄の街歩きを連想する。
沖縄の青空が似合う花である。

一輪を髪に挿す。
その花の下にある小顔の、小麦色の肌が輝く。
まさに南の国の雰囲気である。



ノウゼンというのは凌霄の字音によるといわれる。
古くはノウセウカズラと読まれ、これがなまってノウゼンカズラとなった。
霄は「空」「雲」の意味があり、空に向かって高く咲く花の姿を表しているのである。



言われてみれば、空と雲が良く似合う花である。







「のうぜんの毅然と染める道の端」




家毎に凌霄咲ける温泉(いでゆ)かな  子規

のうぜんの暮れて色なし山の家 亞浪

凌霄は妻恋ふ真昼のシヤンデリヤ 草田男







花言葉は「栄光」「名声」「名誉」「華のある人生」「豊富な愛情」「愛らしい」である。
また、性を特定した花言葉「女性らしい」というのもある。
確かに女性らしい。

この花を髪に挿す男は考えられない。



        荒 野人

気持ちの良い空に訣別す

2013年08月27日 | ポエム
雨上がりの今日は、爽やかに晴れ上がった。
気持ちの良い空である。



蝉時雨は、晩夏を報せる如く降り注ぐ。
だがしかし、騒がしくは無いのだ。
いとおしくもある。



去り行く夏の日々よ!
耀かしく煌めいた夏の日よ!
さらば、甘やかだった夏の日々。

そうだ、この秋は東北に行こう。
返す刀で、奄美の海のブルーに会いに行こう。
美しくも情感溢れる我がふるさと、日本であるのだから。







「空翔る耀く雲の秋茜」







空は高く、広い。
遊弋したい衝動が、突き上げてくる。
自然の美とは、そうしたものだ。





君との日々に訣別する、
寂しい秋よ!
だがしかし、
煌めくであろう、
落葉松の黄葉よ!
繊細に織り成す、
一片よ!
ぼくの心を・・・
突き刺すな。
しかしてぼくは滅寂の世紀へと、
入りぬ。
君の、
あまりにも悲惨な冷酷は、
ぼくを打ちのめす。
寂しい秋よ!
いまこそ言おう。
さらば、
と。





晩夏。
交尾の季節であるのだろう、そこここでトンボが子孫を残そうとしている。
充実した季節である。



なんだか、寂しさに満ちた風であった。
爽やげる風であるのにだ!



        荒 野人