エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

連休中

2013年04月30日 | ポエム
連休中である。
世の中は、移動のただ中にあって街中は静かに時間をうっちゃている。



カモミールの花が咲き始めた。
我が家のお隣の空き地である。



幸い、連休前半は好天に恵まれた。
ぼくは、お弁当をもって公園に出かけた。
孫との触れ合いである。



新緑を指差して「あっ、黄緑色だ!」
と大きな声を出した。
色の判別とその呼び方(語彙)が増えるのは、良い事である。
成長を感じる瞬間である。



街中に色が溢れている。



この連休中は、海外旅行をパスした。
どうしても外せない用事があったからである。



母子草の黄色である。

ニュースを聞きながら、出かけずに結果オーライ!
などと一人悦にいっている。
加えて、円安であって海外はしばらくお預けが宜しい。



連休中の街の色を探す事としている。
色が豊富すぎて「どれかこれか」と悩んでいる。



こうした「悩ましさ」は贅沢である。



明日は、連休の中休み。
俳詩に浸ろう、そして俳句序論の骨格を吟味しようと思っている。



「余はいかにして俳句に辿り着いたか」



がテーマである。







「鯉幟踊る少女の弾けたる」







帰りなんいざ
田園荒れなんとす!

ゲンゲを愛でながら、そう思ったのである。



      荒 野人


花々の宴

2013年04月29日 | ポエム
風薫る一日であった。
誠に爽やかであって、心身共に洗われる。
幕末、国の洗濯を唱えた獅子がいた。

昨日の陽気は心の洗濯そのものであった。

緑を透かして緑を見る、の呈である。
花々は、最上の姿態をもって現れ出でる。







「花々の宴続けりシャボン玉」







蕾でさえ、豊かである。
豊穣の大気が匂い立つ。

それにしても、日本海と東シナ海はかまびすしい。
かててくわえて歴史認識の齟齬は、甚だしい。
日本は、所詮世界の大国たりえない。



パックス・ジャポニカは、夢のまた夢である。
あのバブルの時代、一瞬でも夢見たことを良しとすべきであろう。
日本は、厚みと広さ、奥行きに欠けるのかもしれない。

嗚呼、やんごとなき現実よ。
狭さと深さは、島国の育んだ美徳であり、類い希なる文化である。
とりわけ短詩形の文学は、発展した。
だがしかし、大河小説は未発達のままである。



日本では、トルストイの「戦争と平和」は生まれない。
ツルゲーネフもそうである。



日本では、私小説をもって孤高の世界を描き出した。

夏目漱石しかり、芥川龍之介しかりである。
それは、詩の世界でもしかりである。
梶井基次郎、坂口安吾、太宰治しかりである。



ホメロスの壮大な叙事詩は、日本人にはものしえない。
だがしかし、叙情詩では特筆すべき作品があまた排出している。
島崎藤村しかり、高村光太郎しかりである。
加えて、萩原朔太郎しかり、西脇順三郎しかりである。

西脇はノーベル文学賞にまでノミネートされた詩人である。
英語で詩作を始め、類例のない詩を生み出した。



萩原朔太郎と西脇順三郎は、ぼくの詩の世界の原点である。
何だか、毎年ぼくはこの時期に記憶に残る詩人を想起している気がする。



そんな気にさせる候である。



      荒 野人

芝桜・・・またまた羊山

2013年04月28日 | ポエム
芝桜がなだらかな斜面を這いあがって、幾何学的であったり、具象的であったり、人に感動を呼び起こすのである。
実に、使い勝手の良い芝桜である。



羊山公園は、秩父の名峰「武甲山」に抱かれているのである。
名峰と言っても、セメント原材料の山として無残にも削り取られてしまっている。
けれども、その部分が風景としてある・・・その不思議の山である。



山の麓の緑は濃い。







「芝桜色重ねつつ緑濃く」







緑を重ねることで産まれる色彩は、いま楽しむしかない。



かてて加えて、八重山吹は鮮やかなコントラストを見せる。
山で咲く山吹は生き処を得て、より鮮やかである。



見上ぐれば、山は新緑の艶めかしさに横溢する。



正に、今が木の芽時。
都市部に遅れてきた、その時期である。
精神が掻き乱され、揺さぶられる。

揺らぐ・・・揺らぐ。



そこに、色が落とされる。
ますますぼくの心が鳴り響く。

静かに、しかして穏やかに進む恋の季節である。



      荒 野人

秩父の羊山公園

2013年04月27日 | ポエム
羊山公園は、芝桜の名所である。
山の斜面に貼り付けられた芝桜が妍を競う。

だがしかし、見どころはそのスポットに至るアプローチの径である。
山のオゾンを肺の中に満たしつつ、歩く。
その散策こそが楽しいし、芝桜への期待も大いに盛り上がろうと云うものである。



羊山公園の入口は、規制中であって臨時駐車場へ停めて歩くのである。
実はそれでこそ楽しい。



山は大笑いしている。
新緑の後、万緑の前・・・山はしかつめらしくしている。
だんだら模様の緑が美しく、その重なった緑の目に優しいことは言うを俟たない。







「藤棚の醸す気配や風よぎる」







秩父はまだ八重桜が満開である。



アプローチに入って直ぐの場所に、小さな池がある。
おそらく、小さな小さな堰止め湖である。



こんな気配はそうそう経験できない。
山を歩くのは楽しい。

いつもいつも車で出かけてしまう・・・反省である。



アプローチを抜けると、最初の芝桜が出迎えてくれる。
目に沁みる・・・この事か!
と合点する。



       荒 野人

浅草へ

2013年04月26日 | ポエム
久しぶりに浅草に出かけた。
相変わらず人では多いけれど、外国からの旅行客が目立った。

大震災以降、徐々に観光客が戻って来ているのだろうか。
そうだとするなら、嬉しい。







「人混みの言葉の響き余花一つ」







浅草は、息を吹き返しているように見えた。
歩く人々は、楽しそうである。



うんこビルはあいも変わらず聳えている。
いまや、アサヒビールのビルで、うんこではなくビールの泡だ!
などと、今やアサヒビール関係者も言わない。

浅草うんこビル・・・の方が通りが良いのである。



雲古が、川面に照り返していて水が綺麗に見える。
これも、うんこの効能である。

浅草界隈はお花見の、名所である。
ソメイヨシノに余花があった。



もう夏に近づいているのである。



夕方、淡い夕焼けがあった。
散策の善男善女が弾けていた。



シャープな飛行雲が走った。
どこに向かっているのだろうか?

あの飛行機にも人々の夢と希望が詰まっている。



     荒 野人