エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

秋の蝶

2015年09月29日 | ポエム
秋の蝶は、自らの命の儚さを知っている。
儚さ故の舞い方であり、花の蜜を貪欲に吸う姿であったりするのだ。



秋の蝶は、白い秋を知っている。
同時に、キバナコスモスの残照のごとき黄色を熟知している。







「秋の蝶ゆくえは風の音ばかり」







だからと言っては・・・可笑しいけれど秋の蝶は、直ぐに見つかるのである。



黄色か白の花を見つければ良いのだから。



        荒 野人


白い秋

2015年09月22日 | ポエム
初秋・・・ものみなほの白く感じられるのである。
秋の色を白、とした先人の慧眼に感服するのである。

北原白秋、の名前も頷けるものがある。
白秋は、秋が良く似合うのだ。



これは「エノコロ(猫じゃらし)」だ。
エノコロも穂が絮に変わり始めている。







「風止んで秋の光の白さかな」







万緑だった緑が、仄白い。
夏の陽射しに、目が疲れている訳では無い。



とりわけ、蒼穹に映える緑は白さを増している。
白い秋の所以である。



      荒 野人

ほろほろと

2015年09月17日 | ポエム
萩の花は、誠にほろほろと咲くのである。
そのたおやかさに、ぼくは感銘を受ける。

秋の気配であり、佇まいであるのだ。



萩の花にいろいろと語るべき蘊蓄を、ぼくは持っていない。
ただ・・・愛でるのである。



而して、秋の耽美的な装いに埋没する。
その精神的豊かさに、どこまでも沈殿していくのである。







「ほろほろとなをほろほろと萩の花」







萩の花がしばらくは楽しめる。
秋の深まりが楽しみである。



        荒 野人

銀杏の実

2015年09月13日 | ポエム
もう銀杏が落果している。
秋が深まりつつあるのだ。

けれど、あの銀杏の実の特有の臭いはない。
風がさわやかに過ぎ去るのみである。



昨日は風があった。
だがしかし、音を立てて落果する気配は感じられないのである。



枝もたわわに実を付けている。
踏まれた実も、全く臭わない。







「風よ吹け明日も銀杏拾えるぞ」







この実が臭いを醸し出す頃、季節は晩秋へと移っていくのである。
そして、この実を拾う人々がシルエットになる。



早朝もしくは夕暮時に大樹の下に集うからである。
拾って直ぐの銀杏は、柔らかくて旨い。



      荒 野人

一位の実

2015年09月08日 | ポエム
一位の実は、秋が深まる頃の季語となっている。
けれども、生け垣の一位の葉影に赤い実が隠れている。
なんとも媚惑され色合いである。



この実は、美味しい。
姿形は、ブルーベリー似ている。

熟した実は、触れるだけでポロッと零れる。
その脆さや儚さが、好もしい。







「一位の実誰も摘まぬは罪の内」







一位の実が、颪(おろし)の冷たさに耐える赤さは暖かい。
ぼくはとりわけ、八ヶ岳颪に耐える生け垣の一位の実が好きである。




        荒 野人