エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

酔芙蓉

2016年08月30日 | ポエム
酔芙蓉の花言葉は・・・。
「幸せの再来」「心変わり」である。
因に木芙蓉の花言葉は・・・。
「繊細な美」「 しとやかな恋人」「熱い思い」である。

朝咲いて夕方にはしぼむ、1日花だ。
未練もけれんも無い。
だから良い。
心惹かれるのである。







「酔芙蓉揺らぎの中の母の声」







上の写真が、朝の内の色。
下の写真は、午後3時の花の色である。

花の周りの赤い花の後は、前日の花である。
一日花の所以である。

咲き終わると、赤くなって枯れ落ちるまで枝に付いている。
完全に土に還るまで、熱い思いを残すのである。



     荒 野人

おみなえし

2016年08月29日 | ポエム
おみなえし・・・秋の草花の代表格である。
風に揺れる様は、優雅でもある。

その名前も又、オマージュを膨らませる。



おみなえし・・・は「女郎花」と漢字表記する。
また「おみなめし」とも云う。

俳句にする場合「おみなめし」は使い易い。
語呂が良いし、響きも良い。







「拳骨で小突かれ揺るるおみなめし」







ぼくは、いつもこの花を八ヶ岳の麓で見ていた。
けれど、ここ数年は都会で見る。

昨年の手術以降は、都内を飛び出して吟行する事が少なくなった。
ましてや、泊まりで出かける機会は無くなった。



「おみなめし」があるのだから「おとこめし」もある。



lこれは、おみなめし。
さてさて、ご覧あれ!



これが「おとこめし」である。
普通は「オトコエシ」と云う。

白い花が、キッと咲く。
オミナエシがホロホロと咲く印象であるとすれば、オトコエシはキッと咲く。

色の違いが大きいのである。
ぼくは、おみなめしが好きだ。



     荒 野人

紫式部

2016年08月28日 | ポエム
実紫、とも云う。
俳句の場合は「実紫」と云った方が使い勝手が良い。

俳句の場合、送り仮名もなるべく省略したい。
発音が同数であったとしても、文字面としては少ない方が美しい。
とりわけ短冊や色紙で表現する場合、なるべく字面も押さえておきたい。

そんな、文学的表現である。



紫式部も、白式部も色づき始めている。
季節がどんどん進んでいく。

台風の変な動きのせいでもあるけれど、天候が不順である。
昨日今日と、寒さが感じられるほどである。
紫式部の色合いは、ますます進むだろう。







「実紫転ぶ思いの鎮まれり」







白式部の、白さの限りに季節を謳歌する様も良い。
紫だけが式部ではないのである。
転は「まろぶ」と読んで下さい。



けれども、やはり紫式部は高貴な印象がある。
秋・・・。
秋思の季節でもある。



       荒 野人

エノコロ草

2016年08月27日 | ポエム
エノコロ草・・・。
猫じゃらし、である。



秋の深まりとともに、穂の部位が見目麗しく枯れてくる。
幼かった日この穂を千切って、つぼめた手の平に逆に差し込む。
その手の平をニギニギすると、差し込む向きによって沈んだり浮き上がったりする。

それが面白かった。







「エノコロや風の隙間に入りこむ」







猫じゃらしを句にするのは、普段から目にする雑草だけに難しい。



けれども幼かった日々の母や父の記憶と重なって、甘酸っぱくなってくる。
雑草で、そんな感覚を覚えるのはエノコロだけである。



昨日、一つの句会が終わった。
来月までじっくりと句作に励む事としよう。
参加者の選は頂いたけれど、なかなか主宰の選はいただけない。
句風が合うのかどうか。真剣に学ばなければと思うのである。

来週カルチャーセンターの句会がある。
それで、八月の句会は全てだ。

このところ、じっくりと勉強が出来ている。
楽しい、ことである。
世話役の大変さを感じつつも、俳句を詠む事に専念したい。
そう思っている。



     荒 野人

蝉時雨

2016年08月26日 | ポエム
そろそろ、法師蝉が啼く。
田舎に行けば、おそらくカナカナが鳴いているだろう。

だがしかし、まだミンミン蝉の蝉時雨が喧しい。



二匹の蝉。
家の蝉は「ちっち蝉」かもしれない。
ちっち蝉は、夏の終わり頃姿を現す小さな蝉である。



前日までの曇天と打って変わって,昨日は暑いけれど涼やかな一日であった。
木陰を通り過ぎる風が爽やかであった、のだ。

まさしく「片陰」の一日でもあった。







「蝉時雨足下の穴の奥深く」







土に穿たれた穴。
その上には蟬の脱け殻。

蝉時雨の元である。



空蝉、源氏物語が脳裏に浮かんでくる。
美しい例え、である。



穴は、かなり大きい。
一度この穴を穿った蝉が、再び戻ってくる事は無い。

悲しい物語、である。



けれども、命の限りに謳歌せよ!
生きる、その事は素晴らしい。



     荒 野人