エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

今日・・・大晦日

2012年12月31日 | ポエム
今日は大晦日である。
2012年は愛おしい日々が続いた。
愛おしいけれど、懊悩する日々もあった。



街の灯がこれほど懐かしく、夕陽の赤さがこれほど痛かった一年も無かった。
周りの群像の無神経さや、価値観の違いも痛いほど理解できた。
性善説の弱さも靭さも迎い入れなければならないという現実にも、この年になって・・・やっと目覚めたと言うべきか!

昨日・・・晦日は終日雨のカーテンに閉ざされた。
とりわけ夕刻には「車軸を流す」雨であった。

大晦日の今日、雨後の曇天である。
これが、新たな年を迎えようとする準備なのかもしれない。







「大晦日誰の上にも讃歌あれ」







雨滴で装う木々は、生きている。
例えば、緑を失いながらも生きている。



だがしかし、明日は待っている。
誰の上にもだ。



自然のその優しが嬉しい。
皆さんに、素晴らしい年が訪れますように。



         荒 野人

冬の空

2012年12月30日 | ポエム
冬の空は、厳しい。
けれど、雲は何知らぬ風でもあり、虚しく湧きあがって来ることもある。

冬の雲が湧くのは見ていて「寂寥感」を感じるのである。



昼の雲はポッカリ、フンワカと空を遊弋する。
冬の雲は造形が楽しい。
昨日は、ケムンパスのような・・・あの赤塚氏の漫画のキャラクターのような形があった。
そうかと思うと手塚氏の描くキャラクターもあったりする。

飽きる事のない冬の空である。







「冬の雲湧き上がり直ぐ抑えらる」







午後も押し迫ってくると、光芒が地上を照らし出す。
光芒・・・レンブラント光線である。



トワイライトの地平である。
街に福音をもたらすかのように輝く。



街は沈んでいく。
今日は晦日である。



         荒 野人

横浜中華街

2012年12月29日 | ポエム
横浜中華街には、異国で生きてきた人々の歴史が凝縮して詰まっている。
異邦人扱いされ、だがしかし懸命に生きてきて定着した在日中国人。
いま、尖閣を巡る祖国と、日本との外交的軋轢をどう見ているのだろうか・・・。

だが、横浜中華街がワンダーランドである事は言を俟たない。
国際国家日本の面目を多いに発揮すべき場所である。
中国のように、日本バッシングをして日本系企業や商店を打ち壊したり不買運動を煽ったり、日本人を襲て怪我させたり、果ては国際的な約束事すら平然と破る。
文化交流すらドタキャンしたり、スポーツの国際大会で日本選手団の入国を拒否して平然としている中国政府の感覚。

ぼくには理解できない。
中華街の在日中国人に同じような扱いをしてはならないのである。
だがしかし、同じように出来たらどんなにスッキリするのだろう等と考える自分に気づく事があって慄然とする。

様々な事を考えさせられた横浜港のディナー・クルーズであった。



いまは昔の物語である。



これは1930年代である。



鬻ぐ品数も飛躍的に増えているのだと思う。
ぼくの記憶でも、かつては中華レストランが主役であった。



いまは、雑貨品の店も多いのである。



美味しそうにディスプレイされている。
これこそが中華街である。







「冴え返る夜空の下で喰い歩く」



「港町異国楽しむ年の暮れ」







約0.2平方キロのエリア内に500店以上の店舗があり、日本最大かつ東アジア最大の中華街となっているのである。



もちろん、一般の人々の生活もある。
従って、八百屋もあったりするのである。



来年の春節は2月10日である。
旧暦の元旦である。

獅子舞を見に出かけてみると楽しいはずである。
とまれ、異国情緒たっぷりの横浜中華街である。



     荒 野人

横浜港の夜景

2012年12月28日 | ポエム
昨夜は「ディナー・クルーズ」でクリスマスと決め込んだ。
渋谷から、みなとみらい線で中華街元町に行き、少しばかり散策の後、大桟橋に向かった。



久しぶりの中華街であった。



当然、関帝廟に向かった。
喰い歩きをしたかったけれど、船でディナーが待っている。
「ふかひれ饅」半分で我慢したのであった。



大桟橋埠頭から見る、みなとみらい地区は美しく輝いた。



船が出航すると、食事が始まった。
遠景のみなとみらいは、海面に光を投影して輝いている。







「凍星や光年の先の波を踏む」


「客船のタラップ渡り往く凍てる蝶」







食後にデッキに出て、横浜を眺めた。
風は冷たかったけれど、楽しい時間が流れていった。

こういう時、孫は役に立つ。
寒さしのぎのための、ブランケットを人数分持ってきた。
ブランケットに包まれ・・・。



レインボー・ブリッジを眺めたのであった。
こんな日、熱い珈琲は誠に美味いのである。



      荒 野人

月という物語

2012年12月27日 | ポエム
昼に見える月は妖しい。
見透かされてでもいるかのように中空にかかる。

けれど、何故か月が見えると言う現実が嬉しいのである。
「昼月」は秋の季語となっている。

冬は「冬の月」が季語である。
月に関わる殆どの言葉は、秋の季語である。



今頃の午後の空には、鮮やかな昼の月が見える。
凍れる大気が、冷たければ冷たいほど鮮やかに見えるのだ。






「眉墨を刷いたかんばせ冬菫」







午後3時くらいから、空を見上げると良い。
必ず月が見える。
そして、優しい音楽が胎内で鳴り始めるに違いない。



そう・・・非日常的な時間があなたの周囲に流れるのである。




       荒 野人