エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

平林寺の紅葉

2017年11月30日 | ポエム
ネット上では、関東紅葉名所の5〜6番目と云う。
平林寺は、全山紅葉であって比較する必要も無い。
素晴らしい紅葉、である。

丁度、今が盛りかもしれない。



毎年、この時期には訪れる事としている。
今年は紅葉が早めに進んでいる。



道一つ隔てた「睡足軒」の紅葉は、夕刻からライトアップしている。
その時間帯に、なかなか出かけられないけれど今年は一念発起して出かけてみようかと思っている。







「吹き寄する紅葉且つ散る平林寺」







明日は、紅葉川をお見せしよう!
素晴らしい紅葉川、となっている。



29日の平林寺である。
冬始めの花盛り、である。


      荒 野人

山茶花

2017年11月29日 | ポエム
間もなく「侘助」も咲き始めるだろう。
茶花としては「上花」である。
今日は、山茶花。



深紅である。
この赤さは、誠に漆黒の紅である。

紅も深まると、漆黒の闇の様相を呈する。
情熱の花言葉の所以、である。







「山茶花や陽の翳るとき覗くとき」







しかしながら、白い花の八重の山茶花も目に映える。
我が家には、ピンクの山茶花の木があったけれどお隣さんのスペースを侵してしまうので伐ってしまった。



今思うと、可哀想な事をしてしまった。
残しておけば良かった、と後悔する事頻りである。



咲いている姿から、甘いかほりを感じていたものだった。
そのかほりは、木の放つ匂いだったと思うのだけれど・・・。
でもそれだけで、冬到来を感じる事が出来た。
そんな、哀しい思い出が山茶花にはあるのだ。


     荒 野人

冬めいて・・・枯葉

2017年11月28日 | ポエム
冬めいて・・・そんな公園を歩く。



昨日は定点のショットを何枚か載せた。
その場所を過ぎ去る人たちの気配が、溜まらなく生き物の匂いを発していたからである。

そんな瞬間、ぼくは生きている喜びを感じる。







「見上ぐれば広がる空の紅葉かな」







見上げる事を忘れてはならない。
空の広さを感知するのには、何よりも狭い空間を見上げる事だ。
そこから、空想の広がりが見えてくる。



その感覚愉しむ、そうした空想の広がりがあって良い。
いや、あるべきかもしれない。


      荒 野人

冬めいて・・・街

2017年11月27日 | ポエム
街の中が、すっかり冬めいてきた。
衿を立てて歩く、そんなこの頃である。

ぼくは、一昨日耳あてを買ってしまった。
耳が誠に暖かい。
この耳あてをすると、心の中までほっこりしてくるから不思議である。

だとすると、この童謡であろう。





◆K40. 12月たき火(童謡・唱歌)










「暮れなずむ街の風向冬めけり」







昼間は比較的暖かいのだけれど、風は冷たい。
そうであったとしても、この冷たさが冬らしさである。



冬めく、候でもあるのだ。


     荒 野人

富士大山道

2017年11月25日 | ポエム
富士大山道、古道である。
今、ぼくは棲息している地域である。

この地域には、何本かの古道が通っている。
鎌倉古道も通っている。



大山古道の一里塚、と看板がある。
どこから一理なのか、それは判然としない。

そして何故なのか、子安地蔵が安置されている。



不思議なのだけれど、一年中花が絶えた事は無い。
きっと、地元の方が供えておられるのだと思う。
その心根は、間違いなく優しい。







「往還や残る祠に菊供ふ」







地蔵堂と云っても良い、小さな祠である。
かなり古い祠であって、絵馬なども古色蒼然としている。



その醸し出す雰囲気は、古武士然として風雪に耐えている。
赤い、涎掛けが目に眩しい。

そして、深く沁みてくるのである。


     荒 野人