エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

秋麗

2016年10月31日 | ポエム
秋麗の筈なのだ。
それなのに、空はいつまで経っても雲が切れず世間は薄暗い。
従って、気温も上がらない。

地球の環境は、捩じ曲がってしまったと云うのだろうか。
けれども、植物は敏感に季節を感じ取っている。
見事、である。



紅葉が平地にまで降りつつあるのだ。
人々は,多少の寒さには我慢できる。



その証左に、暖かくして公園を散策する人々が多かった。
みな、秋を満喫したいのだ。

かくいう,野人もそうである。
今月は、何回か温泉旅行に出かけようと思っている。

いまのところ確定は、三回。
温泉で、まったりとしたいものである。







「秋麗異次元の窓水たまり」







昨夜の名残の水溜り、である。
正しく「にわたずみ」だ。

紅葉、黄葉の見事さは今月終り頃であろうか。
そうそう、平林寺の紅葉は必ず見に出かけなくてはなるまい。
平林寺の紅葉狩りは、必須の行事である。



    荒 野人

セイダカアワダチソウ

2016年10月30日 | ポエム
誠に厄介な草である。
北米原産の外来種であって、いまや全国どこにも蔓延(はびこ)っている。
全国に蔓延ったのは、第二次世界大戦以降とある。

どんどん生える。
生命力は旺盛である。



この植物の命は、正体不明なほどに力強い。
数冊の歳時記に当たってみたけれど、セイダカアワダチソウは記載が無いのである。
然らば!
とネットで当たってみた。



ネットでも、やはり季語としての記載は無かった。
無かったけれど、秋の草花としての市民権は保有していると理解して良いだろうと思惟する。



小澤實氏に「セイダカアワダチソウ秋草に入るや否や」などと云う句があるに過ぎなかった。
秋草が季語であるから、添え物としてセイダカアワダチソウが措辞されているに過ぎない。

なんとも不思議な生態、である。







「群れるほど背高泡立草揺るる哉」







山野に在って、しかしながら咲き通す。
それは見事な生き様である。



背高泡立草、と漢字表記する。
それなら、キチンと俳句に詠み込んであげたいものである。



      荒 野人


ダリア

2016年10月29日 | ポエム
ダリアは,夏の季語である。
けれど、神代植物公園のダリアは今がさかりと咲き誇っている。
誠に清廉な風情で、公園の一画を占めているのである。

さて・・・ダリアをどう詠むのか。
それが理解できないまま、昨日はブログのアップを出来なかった。
俳句が詠めなかった、のである。



秋ダリア、と云うのも可笑しい。
そんな悩みを抱えつつ、昨日はふうの木句会の日であった。
繪硝子の和田順子主宰にお聞きしようと,出かけたのであった。



簡単明瞭。
「秋ダリア」などと無理して云う必要は無い。
ダリアはダリア。
秋に見たのなら、そこに秋の季語をさりげなく添える事で良いではないか・

納得である。







「花ごとにダリアのニンフ秋澄めリ」







ダリアを歳時記で読み解く。
「ダリア」「天竺牡丹」「浦島草」「ポンポンダリア」と傍題が振ってある。
スェーデンの植物学者、ダールの名をいただいた花である。
天竺牡丹は和名。
初夏から、ともすると秋まで咲き続けることから「浦島草」と称されるとある。



やはり、夏の季語である。



断固として屹立して咲き誇るダリアに、揺るぎない美学を感じるのである。
因に、歳時記には季語として扱われているものは無い。
無いけれど、結社によっては「秋ダリア」として扱う。
「山暦」の青柳志解樹主宰は、秋ダリアとして季語にしている。

秋のダリア、である。



     荒 野人

返り花

2016年10月27日 | ポエム
返り花。
なんと云う哀しい響き,であろう事か。

冬の季語である。
花の種類は幾つもあるけれど、例えば藤の花。
例えば,桜。

今日は桜の返り花、である。
冬隣の候。
今年の立冬は,11月7日なのだけれど麗らかさに引き寄せられるように咲いている。



誠に、侘しいけれど一輪いちりんが愛おしい。
今年,最後の夏日。
10月26日の返り花、である。







「返り花空の青さを突き抜ける」







ふと気付いたのだけれど、返り花の枝には青い葉が残っているものが多い。
生命力の源泉、なのであろう。
光合成の産物なのだと、より愛おしく思ったのである。

今年最後の夏日の夕景。
夕焼が、空の一画を染め抜いた。



鰯雲が、赤く染まったのである。
正に,引き込まれるような赤であった。



この色合いだけでも、一句といきたいところだけれど・・・。
浅学非才の野人、である。

詠みきれなかった。



     荒 野人

秋深し

2016年10月26日 | ポエム
もはや,秋深しなどと流暢な事は云っておられない。
朝晩は,めっきりと寒い。

布団は二枚。
景色も、冬隣に近付きつつある。



いつもの散策路だけれど、通り過ぎる風は冷たい。
風の妖精も、遠慮がちに通り過ぎるのだ。



秋の深まりとともに、いつも現れるヴァイオリン弾きの姿をまだ見かけない。
風邪でも引いているのだろうか。
少しばかり・・・いや相当心配である。

秋の深まりを実感できる、弦である。







「吹きわたる風に微かな秋の色」







見上ぐれば、木の葉はすっかり黄葉している。
平林寺の紅葉も、間もなくだろう。

楽しみである。
今頃だと、紅葉と青さのグラデーションが見事である。

青紅葉の見事さが残っていて、そのバランスが良いのである。



     荒 野人