エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

真実の口

2012年08月03日 | 旅行
真実の口の写真真実の口 (トリップアドバイザー提供)

真実の口である。
変哲もない、銀行の入口に置いてある。

あのローマの休日でも登場する。
グレゴリー・ペックが手を差し入れ「あ~っ」だったか「や~っ」だったか、叫ぶ。
すると女王役のオードリ・ヘップバーンがおたおたする場面である。

実は、ぼくもこの口に手を差し入れるのに躊躇した。
本当に挟まれたらどうしようかしら!
と思ったものであった。
かなり、後ろめたい気分である・・・。

さて、今回はどうなるであろうか?

と言ったところで、実は持病が再発してイタリアには行けなかった。
出かける前々日、救急車で病院に向かった次第である。

いまは少し正常な状態に戻りつつあるけれど、PCに向かうのは長時間は無理である。
この記事まで、イタリア旅行中の記事として予定稿を準備していたものである。
帰国後、さらにフォローして内容を充実させようと思っていたのだけれど、それも不可能になった。
イタリアは来年までお預けとした。

完全なる健康を取り戻すべく努力するつもりである。
従って、ブログの更新も気儘にさせていただく。
ランキングも参加しない。

好きな時に…好きなように俳句を詠み更新していく。
それが一番だと思うのである。

今まで、立ち寄っていただいた方、お読みいただいていた方に心から感謝申し上げる。
いつか、完復したときには毎日更新するつもりである。

それまでは、気儘をお許しいただきたいのである。




  荒 野人

最後の晩餐

2012年08月02日 | 旅行
レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」である。

最後の晩餐の写真最後の晩餐 (トリップアドバイザー提供)

実に様々の憶測を生んできた絵画である。
イエスの右横の人物は、マグダラのマリアではないか?
と言う説が最近までの、最も確実性の高い解釈だった。



マグダラのマリアのイコンである。



絵画にも描かれているのである。
しかし、最近では「使徒ヨハネ」だと言うのが専らの解釈となっている。

映画の「ダヴィンチ・コード」でも登場した絵画である。
映画の中では、マグダラのマリアとされているのである。

キリスト教の聖書に登場するイエス・キリストの最後の日、最後の晩餐の情景を描いている。
ヨハネによる福音書13章21節より、キリストが12弟子の中の一人が私を裏切る、と予言した時の情景である。

「最後の晩餐」の絵にはキリストと12人が描かれているので、件の人物が使徒ヨハネとして描かれたことはほぼ確かなのである。

さて本日帰国である。
午前中に成田に着くのである。

今日は句会の日である。
帰宅して直ぐ向かう事とした。
間に合うはずである・・・。



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  荒 野人

マテーラ

2012年08月01日 | 旅行
Sassi di Materaの写真Sassi di Matera (トリップアドバイザー提供)

マテーラである。

マテーラは、「サッシ」と呼ばれる凝灰岩に穴を開けて作られた家(洞窟住居)がある旧市街地区が有名で、丘になっているチヴィタ地区とサッソ・カヴェオーゾとサッソ・バリサーノという地区に分れている。







「風が来た太陽が来たオーソレミオ」




ここマテーラの洞窟住居は、1993年にユネスコ世界遺産となったのである。
ぼくは、このマッテーラを訪ねてみたいと思っている。





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  荒 野人

アルベロベッロ

2012年07月31日 | 旅行
アルベロベッロのトゥルッリの写真アルベロベッロのトゥルッリ (トリップアドバイザー提供)

アルベロベッロにはトルッロ(「部屋一つ屋根一つ」の意)という建物が約1,000軒ある。
16世紀半ばに約40軒のトルッロが建てられ、以後100年の間に土地開墾のため集めた農民が住むのにこの家屋を作らせたといわれる。







「アルベロベッロお伽話しの夏の夢」





一つの屋根に平らな石を何層にもつみかさねており、一つの屋根に一つの部屋がある。玄関や廊下がないので、ドアをあけるといきなり部屋に入る構造になっている。
とんがり屋根がひしめき合う、まるでおとぎの国のような街である。

これらトルッロ群(複数形で「トルッリ」)は「アルベロベッロのトゥルッリ」として1996年に世界遺産として登録されている。






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  荒 野人


ポンペイの遺跡

2012年07月30日 | 旅行


ポンペイの遺跡である。
ポンペイは、、イタリア・ナポリ近郊にあった古代都市。
79年のヴェスヴィオ火山噴火による火砕流によって地中に埋もれたことで知られ、その遺跡はユネスコの世界遺産に指定されているのである。

ローマ人の余暇地として繁栄したポンペイの最盛期の人口は約2万人といわれる。
都市機能としては充分なものがあり、大きな都市であった。



噴火当時のイメージ画である。

62年2月5日、ポンペイを襲った激しい地震によりポンペイや他のカンパニア諸都市は大きな被害を受けた。
町はすぐに以前より立派に再建されたが、その再建作業も完全には終わらない79年8月24日にヴェスヴィオ火山が大噴火し、一昼夜に渡って火山灰が降り続けた。
翌25日の噴火末期には火砕流が発生し、ポンペイ市は一瞬にして完全に地中に埋まった。
降下火山灰はその後も続いたのであった。




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  荒 野人