エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

この空は何だ!

2012年08月31日 | ポエム
もう8月も終わると言うのに、この空は何だ。
確かに天は高く見えるけれど、雲が違う。
今日は、8月の大晦日(おおみそか)である。







「雲流る行きつく先の冷える空」


「きみは今いずこの空の時鳥草」







見上げたくない空だ。
流れる風はヌルイ。

涼風が吹かなければ可笑しい。
一昨日、向日葵を愛でながら「今年は夕立が無いね」などと話し合ったものだ。



だがしかし、夕立があったとしても蒸し暑さが残るのなら嫌だ。
道路の並木の木々は枯れ始めている。

それは木々が可哀そうだけれど・・・。



蜻蛉が舞っている。
それはそれで嬉しいのだが・・・。

早く「風立ちぬ」と詠いあげたい。



          荒 野人

蝉落つ

2012年08月30日 | ポエム
久しぶりに、ウロコ雲の片鱗が空で描かれた。
カンカン照りで無かったからであろう。



こう連日真夏日が続くと、暑さに喘ぐと言うより、暑さを笑ってしまうしかないのである。
だがしかし、昨日は雲が多かったからであろうか、夕刻からは多少涼しくなってきたのであった。



こうした雲は嬉しい。
そうであるけれど、雲の混沌と言わざるを得ない。

スッキリと秋の雲とは言えないのである。
陽がトップリと暮れた頃に涼を求めて散歩に出かけたのである。







「この場所が終の棲家か蝉落つる」







蝉が落ちていた。
落ち蝉という季語は無いけれど、通常は晩夏を指すのだと思う。
からまつの立花さんに問い合わせたところ、晩夏だろうと仰っておられた。

でも、ぼくは初秋としたい気分である。

蝉は、道路の白線部分、街灯の下で息絶えていた。
先ほどまで、頑張って鳴いていたのであろうと気分が沈んだ。
とまれ、この暑さはセミにとっても想定外であったに違いない。

季節の残酷さも垣間見える今日この頃である。



     荒 野人

追伸 今日も暑くなりそうである。
   御同輩。
   くれぐれも無理なさいませんように。

満開の向日葵の下

2012年08月28日 | ポエム
ヒマワリ畑の中を漂白した。



山の麓、向日葵葉竹のずっと先の麓には里山が広がっているのである。



誠に雄大な広がりを持った向日葵の集落である







「一瞬の迷いなきまま咲く向日葵」


「向日葵や躊躇いもなく咲き揃い」


「向日葵の向きあう事も無き運命」







向日葵畑の隣りでは、稲が色づき始め、重くなり始めている。
実りの秋もそう遠くない・・・と感じさせる。



そうだとしても、この空の按配はどうだと言うのだ。



遊弋する雲は、まだまだ暑さを痛いほど実感させる。
秋の雲には程遠い。



向日葵だけが、おひさまを喜んでいるかのように林立する。
その景色も逞しいし、目に痛い。

陽射しを避けるように、ぼくは向日葵越しに空を眺めた。



向日葵が少しだけボヤケテ見えた。



向日葵の黄色が目に優しかった。
向日葵は、相反する感覚を人に与える。



    荒 野人

暑い練馬の生き者よ!

2012年08月27日 | ポエム
暑い暑い練馬である。
一夏で、日本一暑い日もある。



冬もそうである。
東京湾から吹き来る風の道になっているのである。

途中、空調の熱気も一緒になって練馬に押し寄せる。
なんとも迷惑千万な話である。

そうだけれども、雲の峰は正しくモクモクと湧き出ずるし、成長するのだ。



夏の蝶は、ささやかな風を起こしている。
ひらひらと飛ぶ。
羽ばたいて舞う。

何とも優雅である。







「夏揚羽ささやかな風起こしたり」


「夏の蝶上昇気流のままに飛ぶ」







浅学非才のぼくは、この蜻蛉の名前を知らない。
いましがた殻を破って世に出てきたかのごとき姿である。



今年の蝉は煩い。
それが嬉しい。

この穴は、蝉の幼虫が世に出てきた穴である。



空蝉となる。



そして鳴く。
1週間の命である。

我が家の周辺で今日撮った写真である。



       荒 野人