エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

河津桜咲く

2014年02月28日 | ポエム
我が家の近くに、河津桜の木が一本ある。
毎年、楽しませていただいている。



昨日は雨模様であったけれど、出かけたのである。



この河津桜に、ぼくは思慕を寄せている。
妖しくも臈長けた婦人である。

この河津桜を確認してから、梅苑に出向く。



そこには、三椏がやはり一本ある。
黄色の花が零れそうである。

街を歩くと、春色が溢れ出している。







「桜咲く雨のしずくを溜めこんで」








春色の代表格は、桜なのだろうけれど・・・。



ピンクこそが春である。



この花は「花かんざし」である。
葉から浮き上がって咲く。

玉の花である。
きみの髪に、そっと挿してみたいのである。



           荒 野人

歳時記を編む

2014年02月27日 | ポエム
ぼくが学んでいる俳句結社は「からまつ」。
主宰は「由利雪二先生」である。

障害児教育に、青春と現役時代の大方の時間を捧げて来られた。
だからと言うべきか、先生の読まれる俳句は優しい。
優しいし、情の深い俳句を詠まれる。

先生の指導を頂ける事は、この上ない喜びである。
だがしかし、最近は突き放される事が多い。
自分で考えなさい!と言う事だと思っている。



この主宰の指導のもと、からまつは再来年に結成30周年を迎える。
主宰の号令によって、30周年記念事業として「歳時記」の発行を企画・準備しているのである。

具体的には、この1月から歳時記収録用の季節ごとの俳句の募集を始めている。
1月は、新年と冬の季語で・・・。
2月は、冬と浅春などの季語で・・・。

一人5句を上限として投句が始まっているのである。
この月、ぼくはまだ投句できないである。
従って、梅の花を見つつ句作に入っている。
遅くとも、明日の午前中に投函しないと〆切には間に合わない。



いかんいかん・・・ぼくはその歳時記編集委員会の事務局長を仰せつかっている。
まだ、事務局長の職務を果たしてはいない。
これから、忙しくなってくるだろう。







「梅の咲き初む頃の服軽かりき」







それにつけても、自らの投句がおざなりになっては駄目である。
奮起しなくてはなるまい。



       荒 野人

浅き春

2014年02月26日 | ポエム
春は、まだ浅い。
しかし「浅春」という語感に誘われるように、ぼくは出掛ける。

マフラーが、暑い。
ダウンが、暑い。
腕が、暑い。

マフラーを外し、ダウンを脱ぎ、腕まくりして喫茶店に入っている。
気分だろうか、外を歩く人の群れも胸を張っている。
縮こまってはいないのである。



温かい日、なのである。
白梅はちょうど良い咲き具合。
紅梅は、咲き方を知っている。
白梅の後を追うように咲き初めた。







「色をます紅白梅の枝の先」







 梅は咲いたか 桜はまだかいな
で知られる、明治時代に発する端唄、俗曲だけれど、全曲を紹介しよう。



曲名は「しょんがえ節」。 







梅は咲いたか   藤本二三吉   端唄




「明治時代」は・・・こう唄った。


 梅は咲いたか 桜はまだかいな
 
柳ャなよなよ風次第
 
山吹ャ浮気で色ばっかり 
しょんがいな
 

浅蜊とれたか 蛤ャまだかいな
 
鮑 くよくよ片想い
さざえは悋気で角ばっかり 
しょんがいな
 

柳橋から小舟で急がせ
舟はゆらゆら棹次第
 
舟から上って土堤八丁
吉原へ御案内



「大正・昭和」は・・・こう唄った。


 梅は咲いたか 桜はまだかいな
 
柳ゃなよなよ風次第

 山吹ゃ浮気で 色ばっかり  
しょんがいな
 

梅にしようか桜にしよかいな
 
色も緑の松ヶ枝に 梅と桜を咲かせたい 
しょんがいな
 

銀座八丁 行こうじゃないか
 
山の狐が七化けて黒い眉引く袖を引く 
しょんがいな
 

恋の浅草 二人で行こかいな
 
何をこととい(言問)都鳥
  末は千鳥で泪橋  
しょんがいな

である。
「しょんがいな」とは「しょうがない・・・考えたってしょうがない」といった意味合いの「囃子詞(はやしことば)」「間の手」である。



コートの釦を外している歩行者の群れ。
こちらまでが温かくなるのである。

去年のブログを振り返って見たのだけれど、秩父の宝塔山に臘梅を見に出掛けている。
けれど今年は、大雪で秩父まで辿り着くのが大変である。
よしんば、秩父に着いても帰りの道路はかなり危険である。



馥郁と香り立つ臘梅と、守護神のオオカミの像。
宝塔山神社の奥宮を守護し奉るのは、オオカミである。
狛犬では無いのである。

早く秩父の春浅き山塊を、歩きたいものである。
秩父に棚引く空気も、空も・・・そして同行二人の概念も好きである。



       荒 野人

三椏

2014年02月25日 | ポエム
農村の栽培品種としては、過酷である。
良質な三椏を出荷するのには、いくつもクリヤーしなければならない条件がある。

昼と夜との気温差が大きくなければ、駄目だ。
冬には、雪を被らなければ駄目だ。
かてて加えて、山から枝を下ろすのが、重労働であるのだ。



里に下ろしてから、枝から樹皮を剥ぎ、水に晒す。
それも大変だ。
枝を切って樹皮に加工するのは、冬場の仕事である。

栽培農家は、段々減少している。
農家の高齢化も、それに拍車をかける。
最近は、中国からの輸入が多くなっている。

苗から、商品になるまでには、およそ5年。
従って、庭園のワンポイントで植栽される事が主流になりつつある。







「繰り返す気候の変化お雛さま」







農家の悩みは大きい。
日本のお札には「ミツマタが入っている」とされているけれど、今やその謳い文句を否定できない程度の三椏の含有量でしかない。
日本のお札のほとんどは、マニラ麻や樹木などのパルプである。
技術が進歩しているから、それでも和紙の風合いを出せるのである。



そろそろ、雛飾りが見られる。
浅い春である。



古民家のお雛様は、生きている。
小さな子どもが、怖がるのはその証左である。



       荒 野人



マンドリンを聞く

2014年02月24日 | ポエム
残雪が覆う、寒さの緩まない東京である。
その寒さをおして飯田橋の凸版ホールまで出掛けたのであった。

萩原朔太郎の孫弟子の両角先生が指揮する、群馬マンドリン楽団の東京定期演奏会である。
この楽団、日本でも屈指。



マンドリンもギターも、チェロもコントラバスも一流である。
就中、マンドリン奏者の層の厚さは群を抜く。
ギターリストも、日本のトップクラスである。
楽団の本拠地は、朔太郎の故郷・群馬県前橋市である。
前橋はマンドリンの街であるとともに、音楽という培養土の豊かな土地柄である。



客演指揮者も、前橋出身。
声楽の秋谷氏も前橋出身。

この楽団の定期演奏会は、聴き終わって気分が充足する。
マンドリンのトレモロが心地良いせいだろうか。

プログラムは下記の通り。







「トレモロの音階流る水仙花」







今日は、この二人が客演したのだけれど、その他メゾ・ソプラノの歌手もいて多士済々である。
このマンドリンの豊かな土壌を育んでいるのは、前橋女子高校の卒業生たち。
源を辿れば、萩原朔太郎である。



今年も幸先良くマンドリンが聴けた。
写真もいっぱい撮った。



外では、雪の傍らで水仙が咲いている。
マンドリンの弦を爪弾く、演奏者の指が煌めいて想起されるからである。


         荒 野人