エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

うららかな一日・・・越辺川の白鳥たちの消息

2011年02月28日 | 日記
うららかな日であった昨日、ぼくは越辺川の白鳥の様子を見に行ったのであった。
今日は朝から氷雨が降り続いているのだけれど、昨日は暖かく河原にいつまでも佇んでいたのである。



暖かさの中に白鳥たちの棲家がたゆたうのである。



飛翔する姿が多くみられる。
シベリアに帰る準備に余念がないのである。

長距離を翔る心意気が感じられるのである。
水温む気配を鋭く感じ取っているのであろうか。



相変わらず美しい白である。



羽繕いにも余念がないと見える。



羽毛が流れて行くのだ。



飛ぶ姿。



水面すれすれに飛んでいく。



優雅であって美しい飛翔である。



準備が進んでいる白鳥は高く飛翔しているとみえる。
渡って行く姿が彷彿とするのである。



間もなく・・・と予感させる。
それは春の予感でもあるのだろう。

首をツッと伸ばして飛翔する。
凛としている。
目的地に向かって、微動だにしない強い決意が感じられるのである。

練馬から関越に載り、鶴ヶ島インターで下りる。
そこからはほぼ10分余りでこの越辺川に到着する。



途中、三芳のPAで休憩したのである。
トイレ休憩である。

すると「コブシ」が咲いていたのである。



楚々として可憐な小さな小さな花である。



今週末頃には冬に逆戻りするとの予報もある。
気温が上がらなくても、植物たちは確実に春を予感している。

それは、春を待ち望むぼくたちと同じである。






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クリスマス・ローズ鑑賞の作法

2011年02月27日 | 
クリスマス・ローズの花は、大概下向きである。
従って、恥ずかしがり屋さんなのである。



緑の葉に隠れるように咲くのである。
その謙虚さがクリスマス・ローズの楚々とした美しさであり、美学なのである。



額が大きいし、蕊も大きいのである。



たまたま上向きの花もあるけれど、少しばかり興醒めなのである。



こうでなくてはいけないのである。

フムフム・・・と唸ってしまう三歩下がった大和撫子風でもあるけれど、今頃は流行りではない。
しかしながら花の世界には有っても良いのかもしれない。



咲き方が奥床しいのである。



ところで、この花は下向きに咲く。
だから鑑賞にはその作法があるのである。



この花を見る。
彼女の全てを愛で、その美しさに感嘆の声を上げる。
それこそが、作法である。



手鏡で花芯まで鑑賞する。



こんな按配である。
百円均一ショップ・・・百均の鏡で良いのである。



クリスマス・ローズにとっては迷惑なのかもしれないけれど、こうした鑑賞がその作法でもある。
これは、下向きの花を愛でる際の作法としてはスタンダードである。

例えば、カタクリの花はこうして愛でたい。



いまはクリスマス・ローズの最盛期である。
あなたも、手鏡を持って出かけてみてはどうだろうか。

ただし、かつて高名な経済評論家が手鏡で覗きをやって逮捕されたこともある。
慎重にお願いしたいものである。






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清澄白河地域は面白い・・・滝沢馬琴、松尾芭蕉、相撲部屋

2011年02月26日 | 日記
「清澄庭園」周辺は散歩してみると面白いのである。

松尾芭蕉の庵跡がある。
あの南総里見八犬伝の滝沢馬琴の生家跡がある。
いまもっともホットな相撲部屋が集まっている。

周囲は堀が走り、かつての水の都を彷彿とさせるのである。



清澄庭園を中心に、こんな按配である。
今日は滝沢馬琴について語ろう。



滝沢馬琴である。

寛政4年(1792年)3月、耕書堂・蔦屋重三郎に見込まれ、手代として雇われることになった。
そもそも武士であった馬琴は、商人に仕えることを恥じ武士としての名を捨て、通称を瑣吉に、諱を解に改めたのであった。



馬琴の生家跡のモニュメントである。

滝沢馬琴という名前は、明治以降の言われたものであって本来「曲亭馬琴」と号していたのである。
馬琴自身は「曲亭馬琴」という筆名について、中国の古典から取ったと説明している。
しかし「曲亭馬琴」は「くるわでまこと」(廓で誠)、すなわち遊廓でまじめに遊女に尽くしてしまう野暮な男という意味であるとも指摘されているのである。

馬琴は墓の中で笑っているかもしれない。
「勝手に人の名前を語るなよ!」
と・・・。

ところで「南総里見八犬伝」の執筆には、文化11年(1814年)から天保13年(1842年)までの28年を費やし、馬琴のライフワークとなったのであった。

発行元は当然、耕書堂・蔦屋重三郎である。



この写楽を世に出した敏腕発行元である。

相撲部屋で言えば名横綱・大鵬が起こした「大嶽部屋」を始めとして「しころ山部屋」「尾車部屋」「北の湖部屋」が集まっている。



大嶽部屋である。
「大鵬道場」の看板が横に架かっている。



しころ山部屋である。



尾車部屋である。



北の湖部屋である。

いま、国技としての大相撲の屋台骨が揺らいでいる。
過去の過ちは潔く明らかにして、出直してほしいものである。

ぼくもまた大相撲の大ファンなのである。




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春の予感・・・デジタル・ブックで

2011年02月25日 | 
春一番が吹いて、暖かさも騙し絵では無い本物になってきました。
春の予感は心震えるもの・・・。



デジブック 『春の予感』







クリスマス・ローズや・・・。



早咲きの桜色。
可愛らしいメジロとともに感じて頂けられれば幸いである。






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何時もの散歩道に春が来た・・・桜、ハナニラ、メジロなど

2011年02月25日 | 
いつもの散歩道に春の気配が色濃くなってきた。
ウキウキしてくる気分である。

東京都練馬区を流れる「田柄川」は、今はもうその姿を見る事は出来ない。
完全に覆われて、遊歩道の下を流れているのである。

この遊歩道・・・グリーン・ベルトがぼくのお気に入りの散歩道である。
四季折々の花が咲いてくれるのである。



タンポポの黄色は希望に満ちている。
「幸せの黄色いカンカチ」である。

前にも文章にしたけれど、中国では黄色は必ずしも吉兆ではないのである。
「病気」とか「卑猥」とかいった雰囲気の黄色である。



梅が咲いている。



メジロが梅花の蜜を吸っているのである。



なんとも可愛らしい姿である。
目の色は白いけれど、体色は鶯色である。

食べてしまいたいような色合いである。



もちろん、ホトケノザはその淡いピンク色を見せてくれる。
蕾の時は赤が強いのであって、悲しさに泣いた後のきみの目のようだ。



ユキヤナギの花がポツンと一枝に咲いていた。
白くたおやかに咲いているのである。

ここ三日間の温かさに勘違いした「あわて者」である。



馬酔木(アシビ)の花の房がピンク色で垂れ下がっていた。
このグリーン・ベルトの陽だまりはすっかり春である。



ハナニラが咲いているのがその証左である。
可憐な花であるし、陽気に素直なのである。

こうした、素直な自然に生きる植物を騙(だま)してはいけないのである。



桜である。
これは今咲いている桜である。

桜の若い木である。
ぼくは遠目で、梅だと思った。

近付いて弾んでしまった・・・。
早咲きの桜の花であった。



やはりメジロが戯れているのである。
コケティッシュな感じで振り返っている。
嬉しいではないか!!

綺麗に写真に写し取ってあげなければならない!
そう思って4~50枚ほど連写した。



その内の一枚である。
ぼくの写真の腕では、この程度である。

いつもの散歩道は素敵である。






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