エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

今日の空~暑い

2009年08月16日 | 日記
久しぶりの東京の空。

茜色は捨てたものじゃない!



空の色が茜色に変わろうとする瞬間である。
東京の空も素晴らしいではないか!





             東京の空


       東京の天は
       住み慣れたこの地点を覆う天である
       この天は
       誰にでもほほ笑む
       しかしこの天は
       誰をも守ろうとしない
       ありのままの天であるのだ

       東京の天は
       ほとんど
       星という穴を許していない
       あらゆる生き物を窒息させてしまう
       魔力を持ってもいるのだ

       太古
       東京の天は
       人々を救っていたというのに
       いま
       なんびとをも救おうとしない

       だがしかし
       天の下で愛を語らうのだけは許している
       それだけは
       祝福するのだ

       と言う





ぼくの友人は「愛は惜しみなく奪う」ものだ!
と言う。


しかり!
である。




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さらば高原の風よ!

2009年08月16日 | 旅行
光り輝く高原が・・・その中で煌(きら)めく風が懐かしい。



高原に吹き渡る風はあくまで涼やかである。
その涼風によって色づけられたコスモスは、もう咲いている。



女郎花(おみなえし)は高原の緑の中でこそ生きられる。



我が茅屋の近在にある富士見高原のサナトリュウムで、堀辰夫の許婚者は療養生活を送った。

その中で名作「風立ちぬ」が生まれたのである。

序章の始めにこう書かれている。

そのとき不意に、何処からともなく風が立った。私達の頭の上では、木の葉の間からちらっと覗いている藍色(あいいろ)が伸びたり縮んだりした。それと殆んど同時に、草むらの中に何かがばったりと倒れる物音を私達は耳にした。それは私達がそこに置きっぱなしにしてあった絵が、画架と共に、倒れた音らしかった。すぐ立ち上って行こうとするお前を、私は、いまの一瞬の何物をも失うまいとするかのように無理に引き留めて、私のそばから離さないでいた。お前は私のするがままにさせていた。
風立ちぬ、いざ生きめやも。

ふと口を衝(つ)いて出て来たそんな詩句を、私は私に靠(もた)れているお前の肩に手をかけながら、口の裡(うち)で繰り返していた






風立ちぬ、いざ生きめやも。


堀辰雄。
昭和28年5月28日、肺結核により死去。
享年48歳。








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さらば高原の光よ!

2009年08月16日 | 旅行
夜来の雨が上がった。
愛車の屋根は水滴が模様を描いている。



朝5時半、寒い!のだ。
盆が明けると一雨ごとに寒くなってくる。

高原の掟である。

「風立ちぬ、いざ生きめやも!」
堀辰夫のイメージと重なって、高原の喧噪が去った後の寂寥が迫ってくる。

朝6時の富士山。



東京へ帰る高速の途中、甲府盆地を眺めた。



向こうの山は、八ヶ岳である。
たったいま、去ってきたのは、あの麓だ。

丁度6時半。
空が広がっている。



いま自宅に着いて、この日記を書いている。



東京の空気は、重たくねっとりとして暑いのである。



さらば高原の光よ!
さらば高原の風よ!





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