エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

空蝉

2013年07月31日 | ポエム
空蝉・・・街の木々は、蝉の抜け殻に溢れている。



夏の景色である。
さりながら、それは蝉の寿命を示唆するのだ。






「うつせみの痛みは明日の命かな」


「殻出たるほんの二日の蝉時雨」







蝉は、鳴き終わり土に返らんとする。



あれほどかまびすしかったのに、死屍の周辺には静謐が訪れている。
悲しくも美しい。
悲哀でもなく、充足でもなく・・・。



蝉は、ここから生まれた。
生まれ、生を謳歌した。



木に攀じ登って、脱皮した蝉は幸せであるのかもしれない。



葉影で脱皮した蝉もまた、幸せであるだろう。
彼は、だいぶ前に殻を破った。
身体が乾燥してきている。

間もなく飛ぶだろう。
そして、蝉時雨を奏でる一因となって夏を謳歌するのだ。

生きる事の意味と、その幸せ。
俳句に詠み切れない、そのもどかしさよ!



           荒 野人

桔梗

2013年07月30日 | ポエム
桔梗が咲いて、晩夏の気配が濃厚になりつつある。
山では、まだ咲いてはいないだろう・・・。
都会の蒸し暑さに耐えて、桔梗が咲くのである。

俳句の世界では「桔梗(ききょう)」あるいは「桔梗(きちこう)」と読ませて、575に合わせる工夫がされている。

桔梗は何と言っても、蒼色、あるいは紫色でなければと思うけれど白の花もある。
それも良い。
だがしかし、写真を撮る時何故か熱中できない。
白は「違う!」と思ってしまうからだろうか?
白の桔梗には申し訳ないのだが・・・。



今日、桔梗を詠んでしまうと困ったチャンになってしまう。
なぜなら、桔梗は初秋の季語であるからである。
しかし、都会では大分前から咲いている。
むしろ、もう終わりである。







「桔梗の花に任せる空の蒼」







生活感の欠落した季語となってしまうからでもある。
由利主宰は、季語は自分で決めれば良い!
と仰る。
仰るけれど、それは経験の積み重ね無くしてありえないではないか。
とも思う。




紫のふつとふくらむ桔梗かな 子規


女三十桔梗の花に似たるあり 青々






生活感覚の見事なまでの公孫樹。



もう銀杏の実を付けているいるし、その大きさはもう立派な銀杏である。
エヘッ、変な日本語。



空は時として、秋を見せる。
夏本番と、秋の予感が同居する季節となっている。



きちこう・・・を詠んでもよかろう!
と、一人納得している。

因みに、桔梗の花言葉は・・・。
「変わらぬ愛」「気品」「誠実」「従順」である。

きちこう以外にも、おかととき/ありのひふきぐさ/一重草などの呼び名もある。
桔梗・・・以外に千変万化の花である。




            荒 野人

「里中實遺句集」補稿

2013年07月29日 | ポエム
里中實さんの遺句集「夢捨てず」の鑑賞を続けてきた。
ぼくのような「俳句初心者」にとって、勉強になる。

優しい、分かりやすい俳句であるからだ。
人格が、俳句に投影されるとは、こうした事なのだろうと合点している。
俳句結社「からまつ」の、歴史の一つのパーツともなりうる句集であろう。



タイトルに「補稿」とつけた。
夫人の話である。
「今度の先生の知識は、凄いぞ!勉強しなければな。」
そう言って、嬉々として帰宅されたという。
「からまつ」の一員となった時の話である。



退職後、俳句を学んできた實さんの率直な感想なのだろうと思う。
師との出会いは、偶然だけれど必然でもあると思う。



ぼくにとって「由利主宰」との出会いが必然であったように、實さんにとっても又、必然であったのだと思う。



實さんの俳句修行の積み重ねは勉強であったと思われる。
それは、ご自宅のPCの周り。
あるいは又、書架の様子などでそれが知れる。



きっと幸せな第二の俳句人生であったのだと思う。
ましてや、夫人が一周忌で句集を編纂された。







「空蝉の心がけあり身だしなみ」







あの世で、桃花さんや、彩人さん夢人さんたちに自慢しているに違いない。
これから、あの世に行くぼくもまた自慢されるのを覚悟して往こう。
その時「野人さん、少しピント外れだったけれど句集鑑賞をありがとう!」と言っていただけるだろうか?



そうであって欲しい。
さらに、先輩たちの俳句世界に近づいていけるように研鑽を重ねていくつもりである。




乞、叱咤激励!



          荒 野人

蝉時雨

2013年07月28日 | ポエム
昨日の夕刻から、車軸を流す雨が来た。
凄まじい雨であって、生活を根底から脅かす雨であった。

隅田川の花火大会は、30分で中止。
浴衣姿の男女が、びしょ濡れで駅に向かった。
車の運転も、ままならない程の雨であって、ワイパーが殆ど効かない。

だがしかし、その豪雨の前は蝉時雨であった。



見上げれば「雲の峰」。
入道雲の事である。



視線を下ろせば「病葉」が・・・。
この中を探して「落とし文」を見つけようと思ったけれど、時間が無かった。
残念!

昨夕の雨は凄かったけれど、今の空気は涼しい。
洗いあげてくれたのだろうか。

窓を開ければ、涼風が通る。



白花の百日紅が目に涼やかだ。
不思議な感覚。



この赤い花だと、夏真っ盛り。
ぼくは、炎熱の下のヒロシマを連想する。

昨日雨の前。
近くの桜並木では「蝉時雨」であった。







「蝉時雨かまびすしさの極みかな」







そう・・・夏なのだから。
夕立もある。
けれど、昨日のゲリラ的豪雨は違う。

風情も何もなく、人の生活を脅かす。
団扇を仰いで、やり過ごす夕立であってほしい。



        荒 野人

實俳句の海へ・・・7

2013年07月27日 | ポエム
今日がいよいよ、最後になる。
實俳句の海へ、たびたびお尋ね頂いた皆さんに感謝申し上げるものである。



ご夫妻で高尾山に出かけられた時のショットである。
2008年11月26日とある。
實さんは、謹厳実直を地でいっている。
往年の歌手のように、両手を両サイドに下し、直立する風情である。
夫人は一寸離れて、斜に構えつつ寄り添っている気配がある。

實さんは、少し口を開けようとしているかのようにも見える。
カメラを構えた人に「もう少し、リラックスして!」とでも言われたのだろうか?
あるいは「もう少し奥さんに寄って!」とでも言われたのだろうか?

微笑ましい一枚である。


實俳句
 「墨絵その色彩との会話」



Ⅳ 冬  冬銀河


寒月の光の刃音澄めり  實





 寒月は鋭くも寒い。
 その鋭い寒月の光を刃と見、音は冴え返っていると詠んでいる。
 冬の季語を巧みに内包させつつ詠まれたのである。
 その重なりが、より一層大気の冴えを体感させる。
 音澄めり、で極まる月の光は煌々と読み手の内部で発色する。
 云いたいことが多すぎるけれど、巧みな俳句で読み手を納得させる。





はなやぎも侘しさもあり寒椿  實


 そもそも寒椿とはそうしたものだ。
 侘びしさもあり、華やぎもある。
 しかしながらその当たり前の事柄を、赤い椿の花弁で表わした實さん。
 この句の周辺をもう少し歩かないとぼくには読み切ることが出来ない。
 ただ、言えることがある。
 侘びも華も、赤く発色してこそのものであるということだ。





冬桜光離さぬ二三輪  實


 冬桜は何種類かあるけれど、いずれも楚として咲く。
 咲き初めは、正に二三輪が、あえかな桃色に咲くのである。
 小さな小さな花である。
 そう、あたかも太陽に光を抱き抱えるように咲き染めるのだ。
 その「いたいけな姿」にぼくたちは感動する。
 一度捉えた光は決して離さない。
 その花の意思が感じられる、暖かい視線の俳句である。





半月の透き通りたる寒さかな  實


 中空にかかった半月。
 それは下弦の月であったに違いない。
 一度下弦の月に留まった大気の流れが、まるで透き通るように落ちてきた。
 それが冬の寒さの本質だと言っているのだ。
 月の金色の灯りと、寒さの透徹された灰色。
 半月は人をその峻烈な世界へと誘うのだ。


Ⅴ 新年 日記買う





どんどの火風起こるたび輪のゆがむ  實


 どんど焼き。
 どこの農村でも見られた風習である。
 今でも新年に田園を歩くと、準備に余念のない子供が田んぼを行き交っている場面に出会う。
 子供の鋭く響く声が向こうの山に谺して、農村が生き生きと蘇って来る。
 藁が高く積まれるのだけれど、その積み方は地方地方でみな違う。
 實さんの生きた街でも、どんど焼きがあるのだろう。
 薄暮の中で、どんどの陽が揺らぐ。
 赤くちろちろと舌を出したように燃え上がる。
 命の炎である。





去年今年ゆれはじめたる父の椅子  實


 年を越える。
 嗚呼、また齢を重ねた。
 私はこうして生きているのだよ。
 父の椅子が、どんと座っている。
 父の意思でもあるかにように。
 でも、その父の椅子が揺らいで見える。
 どうかしかし、まだ生かしてくれよ。
 まだまだ詠みたらないのだ。
 そう實さんは父の椅子に向かって一人ごちている。
 稀有なほどモノローグの俳句である。






年酒受け素直にいのち惜しみけり  實


 年の酒は、ほどほどが礼儀。
 下戸の實さんにとって、年酒は心地良いたしなみであったに違いない。
 年の初めだけ、少しだけ嗜む。
 それも心地良い。
 現在生きていることの証。
 これからも、まだまだと言う決意の一献だったに違いない。
 素直に嗜まれた年酒の思い出は尽きない。


おわりに


 大先輩の實さん。敬意と親しみをこめて、安らかならんことを祈るものである。
 また、この遺句集を「読むように!」といって、手渡し頂いた主宰に感謝申し上げるものである。

 實さん!
 そう呼びかけさせて頂きたい。
 素敵な俳句を遺されましたね。
 できることなら、ぼくもまた後輩に「先輩!素敵な俳句を遺されましたね」と言われてみたい。
 切実にそう思っています。
 ぼくの俳句修行は始まったばかりであります。
 ぼくの机の窓からは、お隣の屋根と、少しの空が見えるだけです。
 この小さな窓から、遊弋する雲を眺めつつ筆を置くこととしたい。

 謹んで哀悼の誠を捧げます。





 なめらかな和紙に向かえり猫柳    野人

 緑さす墨絵の世界の色ひとつ     野人




最後に由利主宰の色紙
を紹介して終わりにしたい。






 合 掌

               荒 野人