エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

桜紅葉

2013年11月30日 | ポエム
正しく、紅葉。
桜の葉が赤く色づいているのである。

遠くから見ると、紅葉そのものである。



とりわけ、白を背景にするとその赤さは際立つ。
これは、光が丘ゴミ焼却場の大煙突である。







「遠く見る桜紅葉の葉裏かな」







葉は、次々と落ちていく。
落ちていくから、その様が愛おしくもあり哀しい。
哀感をそそるのである。

愛する女の、蹴出しの赤のようにも見えてしまうのは辛い。



光を吸収する。
明暗を分ける。



桜紅葉は、遠目からが格段に良い。
妄想も幻想も無い・・・からである。



       荒 野人

木守柿・・・初冬

2013年11月29日 | ポエム
柿が熟れている。
真青な空に向かって、キラキラと黄色く色づいて輝く。

小鳥が啄ばんでいる柿も多い。
収穫する者とて無く、樹上で朽ち啄ばまれる。
それもまた、風雅ではある。



初冬の季語である。
誠に麗しい日本人の生活感覚が眩しいではないか。
日本人に産まれ、象形文字たる日本語で語る民族の喜びを感じるのである。

アルファベットのように、単なる記号では無い文字の美しさ。
文字に固有の意味のある喜び、とでも言おうか。
日本語で、感性を表現する素晴らしさである。

喜怒哀楽は、その文字が伝えてくれる場合も多い。
多くを語らず、だがしかし感覚を伝える。
だから短詩形の俳句も生まれたのである。

今、俳句を詠む幸せを実感しているところである。
その代表たる「木守柿」である。







「言の葉をつむぐ優しさ木守柿」







こもりがき・・・と読みたい。
過日、NHKのアナウンサーが「きもりがき」と連発していた。
間違いではないけれど、少し寂しい。

また、昨日は紅葉を「かえで・・・かえで」と連発していた。
これも寂しい。



紅葉も黄葉も「もみじ」と読みたいし、呼称したい。
五感こそが日本語の命である。

「そんな面倒臭いことを言っているから、俳句が大衆に開けていかないのだ!」
と、言われそうである。



でも、美しい日本語は守って行きたいではないか。
言語が、発音便や促音便で変化していくのは許容できるけれど、間違った用法で変化するのは駄目だ。
駄目なものは、駄目だ。



ぼくの俳句修行は、そんな事なども抱え込んでいきたい。
この年齢からの修行である。
そんな自我も許して頂きたいのである。



       荒 野人

小淵沢便り・・・八章

2013年11月28日 | ポエム
小淵沢便りの終章である。
最早、冬籠の季節となってしまった。

だがしかし、金色に染まる晩秋の小淵沢は紹介できたはずである。



朝日に輝くからまつの並木である。
小淵沢のお隣の街、富士見町にある「富士見高原病院」の今をお知らせしたいのである。



病院の正面玄関である。
ここに、富士見療養所があった。

1926年(大正15年)に富士見高原療養所として設立され結核の高地療養を主目的とした施設であった。



初代院長は正木不如丘。
療養所は3年で財政難に陥った。
文才もあった正木は、文筆活動で収入を得、療養所の経営を支えたのであった。
戦後は医療の進歩もあり結核療養施設の意義は薄れ、正木も医師を引退したのである。



病院の敷地内には、正木の石碑が建っている。



このサナトリゥムには、著名な文人が療養生活を送った。
画家の竹久夢二、作家の横溝正史、童話作家・詩人の岸田衿子(えりこ)らの文化人が入所。



堀辰雄は、昭和初期に婚約者と共に療養生活を送った体験を基に「風立ちぬ」を著したのであった。



今でも、そうした病院の経歴を偲ぶ病院の敷地内である。
けれど、サナトリゥムは老朽化が激しく、解体されてしまった。







「胸を病む文筆の徒の冬隣」







ぼくが訪なった日、日曜日であった。
人影のない病院内・・・事務室から出てきた女性職員に話を聞く事が出来た。
「サナトリゥムの建物を買い取ってもらえないか、町に打診したけれど駄目だったんですよ!」
「それで、残念だけれど解体してしまったんです」



いま、工事中である。
新しい病棟が出来るのであろうか?

残念である。



その話をしてくれた女性が、街に降りて行った。
丁度昼時。
お昼御飯でも買いに行ったのであろうか。



     荒 野人

光が丘公園の紅葉

2013年11月27日 | ポエム
光が丘公園の紅葉が見頃を迎えている。
だだっ広い公園のそこかしこに、紅葉が赤や黄に色づいているのである。



けれど、立木の向こうに見え隠れする紅葉は妖しいまでに美しい。
見たいけれど、見られない・・・。
その妖しさである。



紅葉するのがモミジであって、しないのはカエデであるという。
けれど、紅葉しなくたって紅葉や黄葉の中にあって存在感を示すのは青い葉である。







「歓声の高く響ける山紅葉」







この光が丘公園は、以前だだっ広い荒れ地だった。
終戦後、米軍に接収された土地で「グラント将軍」の邸宅跡であった。

夜は、漆黒の闇となり危険地帯でもあった。
痴漢が出没したり、若者がしてはいけない遊びの場所ともなっていた。



この場所が国に返還され、再開発の話が出た時には「原っぱを残す会」という市民運動をぼくもまた担ったものであった。
けれど、有りがちな特定の政党が関与しており、そのセクト主義が色濃くなって政党のエゴが出始めて来た時ぼくは一線を画した。

いま、この公園には多くの原っぱが残され花見の名所ともなっている。
それが救いである。



豊かな自然が残され、子どもたちの歓声が聞こえる。
子どもたちの歓声が風に乗って、耳に届くのである。

その揺らぐような声を聴きながら、ぼくは多くの俳句を詠んでいる。



       荒 野人

小淵沢便り・・・七章

2013年11月26日 | ポエム
八ヶ岳の麓の冬薔薇である。
フユソウビと読みたい。

誠に美しい語感である。
ここから、イマ―ジュが嫌がおうでも広がる。



色彩は夏のバラには負けるけれど、しっとりとした色彩感覚は比類の無いたおやかさである。
日本海の冬の海に落ちる雨のけれんみのなさが、冬薔薇にはある。

そもそも論で謂えば、感性とはそうしたものであるのだ。






「冬薔薇けれんみのなき空気感」







八ヶ岳の麓の旅である。
初霜、初氷、初霜柱…初冬の相貌を垣間見た小さな旅であった。



八ヶ岳便りは、次回で終章としたい。
最終章は、堀辰雄が病を抱えて療養生活を送ったサナトリゥムを紹介したい。
いま、サナトリゥムの痕跡は全く無い。
工事現場となっている。



      荒 野人