エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

春の気配は馬酔木の満開の花房から

2011年03月31日 | ポエム
春の気配を感じる感性は、瑞々しい。
とりわけ、馬酔木は古今東西、詩心をいたく刺激したのである。

春まだき・・・の時期に満開になるからだろうか。



赤紫の房が見事である。



これは白が際立つ。



交配色でもあろうか?
馬酔木の花言葉は、「犠牲」「二人で旅をしよう」「清純な心」である。

ぼくは今度「馬酔木しないか?」と問うてみよう!



古民家の軒先に綻(ほころ)んでいる様は鮮やかにも見える。

学名 Pieris japonica
  Pieris : アセビ属
japonica : 日本の
である。

Pierisは、ギリシャ神話の詩の女神の意である。
馬酔木は、詩心を刺激する訳である。







        馬酔木


      その豊かな花が
      胸を打つ
      その豊かな房が
      甘酸っぱい感覚を刺激する
      自然に血液が熱くなり
      血管が膨らんでいく
      胸の鼓動は脈打って体温を上げる
      血液が激しく流れる

      いつのまにか
      春が来たのだ

      春はそうして突然来る
      突然来て
      人を暖める
      花にとっても暖春である
      花は暖められ
      開き
      健やかに咲き初める

      馬酔木のたゆまぬ咲き方は
      訝しげな視線を頑なに拒む
      毒気を隠して咲くのだ

      人は馬酔木に何を見たのか
      人は馬酔木に自分の行く末を見るのだ
      目を凝らすと
      明日が見えるのだ

      季節が
      いかに過酷な状況におかれていたとしても
      必ず巡ってくるように
      だ

      馬酔木はだから裏切らない
      たわわな花房に
      真理を隠し持って咲き初めるのだ

      誰かが
      馬酔木の房の下で
      和菓子を頬張っている
      誰かが
      いやヴィーナスだったかもしれない






馬酔木の季節が足早に駆け抜けようとしている。
最近、大地震被害者への街頭募金の額が減って来ている。

みんな!時間が過ぎても忘れないようにしたいものである。
もっとも街頭募金の時期は過ぎたのかもしれない。

これからは、政府が現実をもっと国民に明らかにして、政策的財源の確保を国民がそれを支持する時期に入っているのかもしれない。
しかし、残念ながら相変わらず「政局的感覚」で対応している野党がいる。
自党の政策なんかどうだって良い!
被災地対策のために、与党にもっともっとフリーハンドを与えるべきではないのか。

   池水に 影さへ見えて 咲きにほう
      あしびの花を 袖に扱入(こき)れな
                   万葉集 大伴家持





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チェリスト・堤剛の演奏に泣いた

2011年03月30日 | 日記
チェロ協奏曲 ロ短調演奏 作品104 (B.191)は、チェコの作曲家アントニン・ドヴォルザークが作曲したチェロ協奏曲である。
名曲である。



アントニン・ドヴォルザークである。
ドヴォルジャックでも正解である。

日曜日夜、1月23日放送のN響との名演奏を聴いた。
再放送である。
不覚にも聴いた後、胸が詰まって落涙した。

久しぶりの堤剛の演奏であった。
ヨー・ヨー・マはCDでも聴くけれど、やはり堤の演奏は秀逸であった。

あのチェロと一体になった演奏スタイルは、チェロを奏でる姿を見ているだけで音を感じる。
それは表情豊かなヨー・ヨー・マも同じである。
堤の表情からも音を感じられるのである。

堤は、1957年第26回日本音楽コンクールのチェロ部門で第1位と特賞を獲得してデビューする。
その後、様々な音楽コンクールで賞を獲得する。
いまや、日本が誇る世界的なチェリストである。

名演奏家は教育者としても優れている。

堤は、かの斎藤秀雄氏の薫陶を受けているのだけれど、いまや彼も2004年4月から桐朋学園大学学長を務めているのである。
斎藤秀雄氏自身もチェリストであったわけで、チェロの演奏技術だけでなく芸術家としての基礎を叩き込まれたであろうことは想像に難くない。

さて、チェロ協奏曲 ロ短調演奏 作品104 である。
特にクラリネット(木管楽器)のソロは素晴らしい。
主題操作の妙や確かな構成と、協奏曲に求められる大衆性と芸術性を高度に融合させた傑作である。

故にチェロ協奏曲の嚆矢と評価されるのである。

ぼくはチェロというと、どうしてもパブロ・カザルスを連想する。
とりわけ五木寛之氏の小説「戒厳令の夜」との関連で思い出されるのである。

三人のパブロというフレーズが脳裏から離れないのである。

画家のパブロ・ピカソ。
チェリストのパブロ・カザルス。
詩人のパブロ・ネルーダ。

の三人である。



カザルスのCD・ジャケットである。
堤は、カザルス・コンクールで第一位の栄誉を浴しているのである。
傑出した音楽家である。

いま改めてチェコ・フィルとの共演によるCDを聴いている。






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被災地に思いを馳せて・・・春はまだまだ遠い

2011年03月29日 | 
被災地には雪が舞っている。
寒さの中で避難所生活が続くのだ。

ニュースや一般報道も、東日本大震災で枠が埋まっている。
胸が潰れてしまいそうだ。

人は感動で涙を流すけれど、悲しみでもっと深い涙が流れる。
東京は桜開花の基準となる靖国の「標準木」で花桜が咲いたのだそうだ。

何時もの年なら、嬉しくてウキウキしてくるのだけれど今年は被災地とのギャップに心が痛んだ。



新しい命の誕生が告げられる・・・産声が聞ける。
若葉の力強さ・・・それは嬉しい。



ホトケノザとヒメオドリコソウが並んで花を着けている。
珍しいたたずまいである。

こんな他愛のない風情が心を温めてくれる。
でも・・・被災地ではまだ雪が舞っている。

明日から被災地も気温が上がって春の兆しが感じられるという。
早く身体も心も温めてほしい。



椿が咲き、その花弁が根元に落ちている。



『花の命は短くて苦しきことのみ多かりき』
林芙美子が色紙に好んで書いた言葉である。

花の命は短い。
そして苦しき事ばかりが多い。

だがしかし季節は巡る。
この悲惨な記憶を、一体いつ時間が溶かしてくれるのだろうか。





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人が溢れる・・・

2011年03月28日 | ポエム
クルンテープ・・・天使の都に埋没して、ぼくは沈思黙考したのだった。
この街には不思議な包容力がある。



他者が他者に無駄に干渉しないからなのかもしれない。
その代わり、かなりの部分でイラつく事もあるのだ。

この車列は、バンコクのシーロム通りである。







        人が溢れる・・・



      人が溢れる
      車列が前にある
      自転車やバイクや
      それから
      人いきれや排気されるガスの
      腐った臭いが充満している街角で
      ぼくはきみと
      気の遠くなる口づけを交わしたのだった
      溢れる人の波は
      ぼくときみの二人には気づくこともなく
      通り過ぎ
      流れ去った

      ぼくはいま
      きみと手を繋がなかった事実に
      途方もない後悔を抱きつつ
      身を委ねている

      きみの手の甲や指が荒れていて
      悲しくなったとき
      きみの二の腕の思いもよらない柔らかさに
      埋もれてしまいそうになったとき
      きみを抱きしめた腕が滑らかさに
      震えたとき
      きみの項に口づけして甘さを感じ
      うっとりとしたとき
      いつまでも時間を忘れて唇を
      重ね続けたとき
      繰り返し繰り返しきみのくちびるを
      吸いつづけたとき
      いつのまにかきみの胸の膨らみに
      手がのびたとき

      きみはいやいやをしながら天使になって
      ぼくを包みこんだのだった

      この国の精霊たちが
      ぼくときみを引き離しても
      ぼくはきみを愛したことを
      忘れない
      ずっしりとした重みをもって
      ぼくはきみの存在と
      きみを抱いたときの感触を
      忘れることはない

      きみと二人で渡った
      川の流れが尽きても
      ぼくはきみを愛したのだ

      川が
      思いでという孤独を流し去っても
      きみはここに留まる
      ぼくの記憶というここに

      人が流れ
      それが溢れても
      ぼくはきみの思いでの中に留まり
      流されることはない

      いつまでもきみを抱き続けるのだから






この川はチャオプラヤー川である。

ぼくの思い出は川の流れにのった。
このまま彼岸の彼方へと漂泊するのだろうか。

それとも現世に浮遊しつづけるのだろうか。



追伸;この文章は「洪水」という表現を多用したけれど、被災地の方たちの感情を思い別の表現にしたものである。
   従って、表現に生硬な感覚があったとしたらその意味であると納得頂きたいのである。




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天翔る白鳥・・・デジタル・ブックで音楽とともに

2011年03月27日 | ポエム
間もなくシベリアに帰る白鳥たち。
飛翔する姿はあまりにも美しい。



シベリアにまで飛ぶ羽の力は強靭でなければならない。
いま白鳥たちはその訓練に余念がないのである。




デジブック 『天翔る白鳥』





この川に居る白鳥の数は段々少なくなって来ている。



渡りがこうして続くという自然環境をキチンと保全する努力を重ねていきたいものである。




        白鳥たちへ

      白鳥よ、きみはあまりにも美しい
      ぼくの心までその逞しき羽で染め上げよ
      わたりを忘れるな
      わたりはぼくの生きる証であるのだから
      そしてきみたちがワタリで見下ろす被災地の
      その惨状を伝えよ
      その姿こそがぼくの有様である
      だがしかしより美しく
      来る年もこの川に飛来すると確信させよ
      きみのその飛来こそが
      ぼくたちの生きるパトスを燃え上がらせる

      白鳥よ、きみはあまりに美しい





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