英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

『相棒 元日スペシャル』

2011-01-04 22:17:03 | ドラマ・映画
 レギュラー(1時間)モノをスペシャル(2時間強)に無理やり薄めた感じでした。
 スペシャルとして時間が長くなった分を、主演?の南果歩さんのオンステージ(熱演)で埋めたという見方もできます。あと、付け足しの要因としては右京と尊(及川光博)のちょっとした対立もありますが。

 私は男(父親)なので、女性(母親)の気持ちが理解できません。確かに、愛する我が子が理不尽に殺された(死に追いやられた)ら、加害者を恨み、殺したくなるでしょう。私だけかもしれませんが、人生=子どもではなく、生きる活力は失うとは思いますが、子ども以外の何かに生きる目的や光を見つけて生きていくような気がします。
 ドラマでは、母親は子どもが残り人生のすべてで、子を失うと生きる意味を失ってしまう。そして復讐に走る。そういう女性(母親)が描かれることが多いようです。
 その場合、子どもは娘よりも息子という図式が多いようです(復讐ではありませんが、『新参者SP』でもそういう図式でした)。

 そういう大命題はさておき、具体的な疑問点を。
★寿子(南果歩)に関する疑問
①息子を失って、生きることに意味を見いだせなかった寿子が、その怒りややるせなさから復讐に走るというのは理解できる。しかし、復讐するだけでなく、捕まらないという目標を立て、その実現のため、証拠を残さないことに執念を燃やした。
 でも、こういった寿子の姿勢が理解できない。息子がすべてだったのなら、復讐がすべてで、警察に捕まらないなんてことは二の次のはず(警察に恨みがあったのなら理解できる)。そういう用意周到な証拠隠滅をしておきながら、ゴールとして思い出の別荘で爆死を考えていたというのは、大いに矛盾を感じる。
②それに、自殺するのに爆死というのはかなり不自然で、これは、犯行の証拠がない状況の打破(爆弾が証拠)のための設定だとしか思えない。
③そもそも、復讐の手段が爆破というのも、捕まらないため(偽の犯人を用意していた)なのだろうが、復讐の手段としては、刺殺など(自分の手で実行)でないと、気が済まないのではないだろうか。
④復讐対象者・折原の妻(白石美帆)に対して「あんたの亭主をバラバラにできて最高の気分」などと言うのは、息子を失った悲しみにくれる者の行為とは思えない。

★ドラマ『相棒』としての疑問
①執念の復讐によって、決定的な証拠を掴めない右京に不満。
 寿子の執念を際立たせるため、右京の推理や行動に切れを持たせなかった。ビスケット、折原の娘の目撃証言、ホームレスの証拠品持ち去り、強制的に協力させられたアクション製作監督、爆弾製作の材料(原料)の入手ルートなど、普段の右京ならそこら辺をいやらしく突き崩していくのではないだろうか。
 家宅捜査が息子の野球帽の有無の確認が目的なんて、捜査一課が可哀そう。誰が責任を取ったのだろうか。普段の右京なら、「おやおや、息子さんの野球帽が見当たりませんがどうされたのでしょうかねえ?」などと揺さぶりを掛けるのではないか。
②右京と尊の無理やりな対立
 どうやら、今シリーズは右京と尊の方向性の違いがひとつのテーマらしい。
 今回は容疑者に仕立て上げられた江上(中野英雄)の母に、真実(確実ではない)を告げるかどうかで対立する。確かに、あからさまに「あなたの息子は犯人ではない。警察の間違いでした」というのはどうかと思うが、「少なくとも私たちは、あなたの息子さんが犯人ではないと思って捜査しています」ぐらいはいっても良いのではないだろうか。
③どんな理由があっても殺人は許さない右京にしては生ぬるい寿子への態度。特に復讐は「負の連鎖」にしかならないことを説いて激昂するのが右京でしょう。

 継ぎ接ぎ(つぎはぎ)や水増しをして、無理やりスペシャルにして、ドラマとしての整合性を失ってしまった……そんな印象が拭えません。

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