英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

天使の耳~交通警察の夜 (NHKドラマ10)

2024-04-26 21:36:53 | ドラマ・映画
【原作】
東野圭吾による日本の短編推理小説集。1992年、『交通警察の夜』の題名で実業之日本社より単行本が刊行。1995年、『天使の耳』に改題されて講談社文庫版が発売(ウィキペディアより)
【テレビドラマ】
『天使の耳〜交通警察の夜』(てんしのみみ こうつうけいさつのよる)のタイトルで、2023年3月20日に NHK BS4Kで放送(前後編の一挙放送)。同年6月10日・17日にNHK BSプレミアムでも放送された(前後編の全2回)。
2024年4月2日から4月23日まで、地上波のNHK総合「ドラマ10」枠にて再編集版が全4回で放送された。(ウィキペディアより)


 原作は全6篇(編)。(作品の数や前篇後篇など“まとまり”を表す使い方では、本来は「篇」を使うべきだが、終戦後に定めた「当用漢字(常用漢字)」に、「篇」は除外され、「編」が代用されている)
 それぞれの話の交通課の警察官は別々だが、ドラマでは同じ警察署の交通課の陣内瞬(小芝風花)と金沢行彦(安田顕)が捜査に当たっている。
 それと、原作が書かれた時代と現代では、スマホやネット環境、ドライブレコーダー、防犯カメラ、Nシステムなどが大きく異なっているが、うまくマッチさせていた。

《第1話》
 陣内瞬(まどか・小芝風花)は念願の交通課に配属されて最初の事故は深夜の交差点での衝突事故。ベテラン刑事、金沢(安田顕)と現場へ向かうが、目撃者はおらず、一方の運転手は青信号での直進を主張。もう一台の運転手は搬送先の病院で死亡する。しかし同乗していた妹の奈穂が青信号だったと訴える。奈穂は目が不自由だが、ラジオから流れていた「リフレインが叫んでる」から青信号だったと主張するのだが…

《第2話》
 目の不自由な奈穂は、事故車のラジオから流れていた「リフレインが叫んでる」の歌詞のタイミングを使って青信号だったことを証言してみせると言う。奈穂の証言を立証しようと奔走する陣内(小芝風花)は、事件解決とともにある事実を突きつけられ、陣内は衝撃を受ける。
 そんな中、あらたな事故発生の報が入り、現場に金沢(安田顕)と駆けつける。事故車はあおり運転のすえ当て逃げされた疑惑が浮上する。被害者は命を狙われていると訴えるが…

《第3話》
 当て逃げの被害者は、以前にも命を狙われたことがあると言う。そして川に人が投げ込まれるのを目撃したと。証言通り男性の遺体が発見される。当て逃げをした車を探す陣内(小芝風花)と金沢(安田顕)だが、捜査の行方が思わぬ真相をあぶり出していく。
 そしてまた新たな事故が。トラックが急ハンドルをきり横転した。運転手は死亡、目撃者の証言から路上駐車していた車の運転手に疑惑がかかる。金沢は運転手にある不信を抱くが…

《第4話》
 トラツク横転死亡事故の原因を作ったのは、路上駐車をしていた主婦。歩行者だったために事故の加害者にはならず、陣内(小芝風花)はやり切れない思いを抱える。金沢(安田顕)もまた怒りをあらわにする。その様子に陣内は、金沢の過去を調べ始める。やがて15年前の事故をあぶり出す。ある路上駐車から始まる事故の真相とは…そして金沢の悲しい過去とは…


 東野圭吾氏の作品は、反することが多い「法」と「情」で登場人物や読者・視聴者が揺れ動くことが多いが、このドラマに於いては、原作よりさらにモヤモヤ感(ジレンマ感)が残るものとなっているらしい。金沢の過去の闇を加えているし…
 すっきりしないのは、原作当時と今とでは社会の風潮や考え方がかなり変わってきているからかもしれないし、NHKドラマなので、復讐ぽいことを成立させてしまうわけにはいかないという事情からかもしれない。


 事故の第一印象とは違う真相が明らかになっていく……という筋立てなので非常に複雑。それを詳細に表現する技量も根性もないので、第1事故「天使の耳」の感想のみを書きます(オンデマンドで実際にドラマを視聴するか、もっと優れたドラマ感想ブログをご覧ください)

《天使の耳》
 交差点での衝突事故。互いに青信号を主張するが、軽傷ですんだ若い男女の言葉はあやふやな点が多く、さらに、後日現れた目撃者も、当事者に頼まれた虚偽証言の可能性が高い。
 もう一方のドライバーは死亡。。後部座席に乗車していた妹・御厨奈穂は軽傷だったが、目が不自由で証言の信ぴょう性が低いと判断される。(奈穂は「目が見えないと“目撃者”ではないのか?」という痛烈な批判)

 ただし、奈穂は音に敏感で、記憶力も常人とはかけ離れており、その時、ラジオから流れていた『リフレインが叫んでいる』の歌詞のどこで、「青信号に変わった」という兄の声や、衝突の衝撃を受けたかを鮮明に覚えていた。
 その信ぴょう性を疑問視されたが、実際の実験で彼女はその能力を証明。それに加えて、ラジオ局で曲が始まる正確な時間、さらに信号機と時刻掲示板(時計)が映っている野次馬動画から事故発生時刻に兄が交差点に進入した時は青信号だったことが立証された(本来なら、信号機のデータから事故発生時刻の信号の色が分かるはずだったが、その少し前に停電が発生し、正確なデータは分からなかった)
 奈穂の特殊能力と陣内の熱心な捜査で、奈穂の兄は信号無視でなかったことが証明された……が……

 ところが、事故直後の自分たちに有利になるような証言をした同乗者の畑山瑠美子(足立梨花)が、まるで別人のように反省し、現場に花を供えてに来ていた。偶然、陣内も現場に来ていて、謝罪の気持ちと事故直後の様子を聞いた。
 瑠美子も、事故直後に電光時計を見ており、その瞬間に「00:00」から「00:01」に変わったのを見ていた。《奈穂の証言と一致》という見解を持ったのだが、実際にあの電光時計は約40秒(41秒だったかな)ズレていて、奈穂の証言とは一致しない。
 瑠美子の証言を基にすると、事故の瞬間は全赤状態(どちらの信号も赤)で、双方が信号無視ということになる。

 《金沢も奈穂の行動に疑問を感じていた》
・事故直後に奈穂がスマホの音を聞いているのを目撃(話している様子はない)……盲目者用の「通りゃんせ」の出だしの時刻を確認?
・翌日?事件現場に妹と来ていた……信号機の青→黄→赤→青の切り替わる時間を計っていた?
        
兄の言葉や事故の衝撃を、兄が青信号になるようなタイミングを割り出し、それに当てはめて『リフレインが叫んでいる」の歌詞を当てはめた?

 …………その推論が正しいと思ったが、ふたりはそれを追究することはしなかった。

第1事故《天使の耳》の感想
・事故発生時刻を割り出す論理・検証が面白く、さらに、その裏を突いた奈穂には恐ろしさを感じた(まだ、兄が生死を彷徨っているのに)
 事故発生後、まだ、それほど時間が経過していない段階(事故直後と言って良いかも)で、事故発生時の信号機の色について検証しようとしていた。
 まだ、この時は、兄の信号無視を否定しようとしていて、発生時刻をずらすことまでは考えていなかったかもしれない。
 この、冷静さと論理的思考は、コナン並である。
 音に関する機会並みの記憶能力は否定しないが、この冷静さと頭の回転の良さは信じがたい。
・本当の事故発生時刻が判明(100%ではないが)したあと、それについて追及しなかったのはどうなのか?
 《主人公がどういう選択をするか?》というのは、こうあるべきというモノはないと思う。
 しかし、あとの事件、特に金沢の結末を考えると、一貫性はない。
 《奈穂の兄(だけ)の信号無視による事故発生ではなかった(双方の信号無視)》ということで帰結するのが妥当だと思うが、それが明らかになれば、今度は奈穂の偽証が明らかになってしまう。……やはり、追及できないか……
 それでも、“ふとどき者”ではあるが、信号無視で一方的に罪を被って、大きな補償責任や行政罰や刑事罰を受けることになるのは、可哀そうかも。同情はできない奴だが、犯した違反は同じである。
・交通課着任の日が浅いので仕方がないとは思うが、被害者と思われる当事者に気持ちを寄せすぎ(金沢も注意をしていた)
 捜査によって当事者の今後が大きく左右されるので、冷静に公平に事件を検証してほしい。特に、聴取の際には、先入観を持たずに、真偽を見極めるべきだし、当事者に状況を正確に語ってもらえる聴き取りも重要。(今後に期待)
「交差点を横断」という表現はおかしい
 横断は「道路を横切る」行為だと思う。広義に解釈すれば、「横断」でも良いかもしれないが、「交差点に進入」あるいは「交差点を通過」が適切だと思う

全話を通して、他の話に関しての感想
・「天使の耳」のどんでん返し(奈穂の偽証)のせいで、第2事故の“玉の輿美人姉妹”は、怪しく感じて仕方がなかった
・浮気した相手が悪かったが、もう少し、巧く対処できたと思う。妹が悪知恵を働かせすぎ。
・このドラマの主題のひとつに
=======【『大矢博子の推し活読書クラブ』の記事より引用】=====
ドラマでは繰り返し「誰だってやってる」「みんなやってる」「よくあること」という言葉が登場する。前のクルマがのろのろ走っていたら後ろからせっつくくらい誰だってやってる、駐車スペースがない場所での路上駐車くらいみんなやってる。車の窓から何かを捨てるなんてよくあること。その「誰だってやってる」ことが大きな悲劇に結びつくのに、「誰だってやってる」程度の軽微な違反だから罰せられない。
===============================【引用・終】
が、あるが、「みんなやってる」「よくあること」というのは頻度が高すぎでろう。特に、煽り運転は。
 まあ、それはともかく、《路上駐車など大したことではない》(それほど悪いことではない)とか、《歩行者が飛び出しても罪は問われない》(故意でなければ)とか、安易な行為が命に係わる重大な不幸な結果をもたらす。その理不尽さを取り上げている。

 山下容莉枝さんが演じる金持ちのおばさんが、飛び出して、それをよけようとしたトラックがクラッシュしてドライバーが死亡。
 それなのに、ドライバーが“加害者”になるという。

 おまわりさん、別に罪にならないんでしょ?
私は歩行者だったんですもの。
こういうときってトラックの前方不注意ってことになるのかしら。」
 高笑い!


 ほんと、憎たらしかった!


 そして、金沢の過去の闇
 大雪の日、彼の妻が心臓発作を起こしたが、救急車も出動できない。金沢は自分の車で病院に搬送しようとした。
 道路に詳しい金沢は、裏道(抜け道)を通ろうとしたが、路上駐車の車があり、通り抜けられない。追突して何とか通り抜けようとしたが、うまくいかず、他の道に引き返して病院に行ったが、間に合わず、妻は死亡。
 路上駐車した車の持ち主は、被害者づらし(実際に、金沢が加害者で、路駐男が被害者)、修理費も大幅上乗せしていた。
 金沢は、彼に近づき親密になり、パーティに誘い、彼を酔わせる。そして、大雪の日の出来事を静かに語る。それが自分の事だと悟った男は、逃げ出し、山道を運転(飲酒運転)。その山中の道に路上駐車の車。後ろからは、金沢がクラクションを鳴らしながら接近。男は路駐の車の脇をすり抜けようとしたが、崖に転落。飲酒運転の末の死亡事故と判断された。

 “未必の故意”と言えるが、15年経ってしまっては、立証は難しいだろう。
 手錠を掛けられて移送される金沢が乗るカーラジオから『リフレインが叫んでる』が流れる。
 切ないラストシーンだったが、自首は良いとしても(NHKドラマだし、有耶無耶にはできないか?)、手錠されて移送というのは演出過多なのでは?
 「天使の耳」で使われたユーミンの曲を使いたかったのかな?と邪推してしまった。

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