ああ、だめだったなぁ……
果敢に(無理気味に)動いたのを、的確に対応され、徐々に苦しくなって、そのまま敗れる……最近、こういう負けパターンが多い。
「積極的」とも言えるが、もっと泰然としていた方が良いように思う。こういう(負け)パターンが増えたのは、いつの頃からだろうか?いや、以前も動いて苦しくなったが、逆転して勝っていたので、目立たなかったのかもしれない。
そのパターン云々はさておき、《相手の研究に乗ってしまい、主導権を握られ劣勢で終盤まで持っていかれてしまう将棋が多くなったため、積極的に動くようになった》と私は勝手に想像している。
どういうことなのかと言うと……
…………例えば、「2019王位戦挑戦者決定戦 羽生九段ー木村九段 その1」という記事に於いて
「《形勢はともかく、いつも中盤では羽生九段が勝つのが大変な将棋に誘導されている》というイメージがある。羽生九段が軽視していた仕掛けを踏み込まれ、主導権を握られてしまうのである」と記している。
(この将棋については「その1」、「その2」、「その3」、「その4」、「その5」で語っていますが、完結していないような……)
そんな感触を持った将棋というのはそれ以前にもあり、一番印象に残っているのが、2017年の王座戦第4局。中村太地六段(当時)が勝利し、3勝1敗で王座を奪取した一局だ。
この将棋の詳細は「羽生王座失冠に思う」で。「その1」、「その2」、「その3」、「その4」、「その5」、「その6」 、「その7」
この将棋は、角換わり将棋で、後手の中村六段が先攻し、羽生王座も受けずに反撃。しかし、一旦、羽生王座の攻撃の一角の3七の桂の桂頭を攻める△3五歩が中村六段の用意した一手で、羽生王座が防戦に追われる将棋となった。
59手の時点で消費時間は、羽生王座が3時間21分、中村六段は1時間04分(持ち時間は5時間)で、時間の消費からも中村六段の研究範囲であったと想像する。
図は、▲3四桂の王手に△5一玉と躱したところ。中村玉は急に寄せられることはないのに対し、羽生玉は裸玉で絶体絶命状態。詰めろを防ぐことはできるが、3七、4七、5七に駒を打たれる場所があり、先手は一手でそのすべてを防ぐことはできない、更に3六まで駒を打たれる個所があり、後手の持ち駒も豊富だ。
ここで羽生王座は▲6八金と7八の金を玉側に寄せたが、それでも玉とは1間離れており、完全な受けとはなっていない。
では、先手の敗勢なのかと言うとそうではなく、▲6八金では▲8四角と打って合駒を打診しておけば、互角だったらしい。7三に金や銀を打てば更に▲7一飛と王手して後手の持ち駒を削る。また、7三に歩合いなら角取りではないので、受けに回ることができ▲8四角で手順に5七の地点をカバーできたのが大きい。相当難易度の高い指し手ではあるが…
………つい当時の将棋にのめり込んでしまったが、こういう相手の研究範囲内で守勢に回らされるパターンが多くなり、それを意識しての積極さだと想像している。
その積極さが平常のものならよいが、どこか余裕のない積極さで、前のめりになり平衡感覚や方向感覚に狂いが生じてしまうことが多くなっているように思えて仕方がない。
対豊島戦(挑戦者決定戦)の将棋の内容については「その2」で。
果敢に(無理気味に)動いたのを、的確に対応され、徐々に苦しくなって、そのまま敗れる……最近、こういう負けパターンが多い。
「積極的」とも言えるが、もっと泰然としていた方が良いように思う。こういう(負け)パターンが増えたのは、いつの頃からだろうか?いや、以前も動いて苦しくなったが、逆転して勝っていたので、目立たなかったのかもしれない。
そのパターン云々はさておき、《相手の研究に乗ってしまい、主導権を握られ劣勢で終盤まで持っていかれてしまう将棋が多くなったため、積極的に動くようになった》と私は勝手に想像している。
どういうことなのかと言うと……
…………例えば、「2019王位戦挑戦者決定戦 羽生九段ー木村九段 その1」という記事に於いて
「《形勢はともかく、いつも中盤では羽生九段が勝つのが大変な将棋に誘導されている》というイメージがある。羽生九段が軽視していた仕掛けを踏み込まれ、主導権を握られてしまうのである」と記している。
(この将棋については「その1」、「その2」、「その3」、「その4」、「その5」で語っていますが、完結していないような……)
そんな感触を持った将棋というのはそれ以前にもあり、一番印象に残っているのが、2017年の王座戦第4局。中村太地六段(当時)が勝利し、3勝1敗で王座を奪取した一局だ。
この将棋の詳細は「羽生王座失冠に思う」で。「その1」、「その2」、「その3」、「その4」、「その5」、「その6」 、「その7」
この将棋は、角換わり将棋で、後手の中村六段が先攻し、羽生王座も受けずに反撃。しかし、一旦、羽生王座の攻撃の一角の3七の桂の桂頭を攻める△3五歩が中村六段の用意した一手で、羽生王座が防戦に追われる将棋となった。
59手の時点で消費時間は、羽生王座が3時間21分、中村六段は1時間04分(持ち時間は5時間)で、時間の消費からも中村六段の研究範囲であったと想像する。
図は、▲3四桂の王手に△5一玉と躱したところ。中村玉は急に寄せられることはないのに対し、羽生玉は裸玉で絶体絶命状態。詰めろを防ぐことはできるが、3七、4七、5七に駒を打たれる場所があり、先手は一手でそのすべてを防ぐことはできない、更に3六まで駒を打たれる個所があり、後手の持ち駒も豊富だ。
ここで羽生王座は▲6八金と7八の金を玉側に寄せたが、それでも玉とは1間離れており、完全な受けとはなっていない。
では、先手の敗勢なのかと言うとそうではなく、▲6八金では▲8四角と打って合駒を打診しておけば、互角だったらしい。7三に金や銀を打てば更に▲7一飛と王手して後手の持ち駒を削る。また、7三に歩合いなら角取りではないので、受けに回ることができ▲8四角で手順に5七の地点をカバーできたのが大きい。相当難易度の高い指し手ではあるが…
………つい当時の将棋にのめり込んでしまったが、こういう相手の研究範囲内で守勢に回らされるパターンが多くなり、それを意識しての積極さだと想像している。
その積極さが平常のものならよいが、どこか余裕のない積極さで、前のめりになり平衡感覚や方向感覚に狂いが生じてしまうことが多くなっているように思えて仕方がない。
対豊島戦(挑戦者決定戦)の将棋の内容については「その2」で。