正式名称は「2020年度講道館杯全日本柔道体重別選手権大会兼全日本選抜柔道体重別選手権大会」(10月31日、11月1日開催)
男子60kg級で、審判の判断や電光掲示板の操作でミスが重なり、試合が混乱したシーンもあったが、私が取り上げるのは女子78kg超級での“指導”に関する判定判断(基準)。
本題に入る前に、少し話が逸れるが、私は常々、「指導」とか「反則勝ち」の表現に違和感を感じている。
【指導(軽微な違反)】
①故意に取り組まないこと
②組んだあと、極端な防御姿勢をとること(通常5秒を超えて)
③明らかに相手を投げる意志のない攻撃を行なうこと(擬装的攻撃)
④防御のために相手の袖口を握ること(通常5秒を超えて)。及び絞って握ること
⑤相手と指を組み合わす姿勢を続けること(通常5秒を超えて)
⑥故意に自分の柔道衣を乱すこと、及び主審の許可なしに帯や下穿の紐をほどいたり、締め直したりすること
⑦寝技に移ることができない状態で、相手を寝技に引き込むこと
⑧相手の袖口または下穿の裾口に指を差し入れること
⑨攻撃をしないで「標準的」な組み方以外の組み方をすること(通常5秒を超えて)
・
・
・
など20を超える項目がある
【反則負け(重大な違反)】
・河津掛を試みること
・肘関節以外の関節を取ること
・背を畳につけている相手を引き上げ、これを畳に突き落とすこと
・相手が払腰などをかけたとき、相手の支えている脚を内側から刈ること
・主審の指示に従わないこと
・
・
・
など悪質な行為が該当
指導(軽微な違反)を3回受けると、「反則負け」になる。
まず、「指導」という表現に違和感がある。「指導」の一般的意味は「教え導くこと」で、“否定”や”禁止”などの意味合いが強い「注意」「警告」とはかなり意味合いが違う。
しかし、柔道における「指導」は禁止の意味合いが強く「注意」「警告」のような使用のされ方である。
このような「指導」の使われ方は、この「指導」がルールに取り入れられた初期に由来していると考えられる。確か、「教育的指導」(技ポイントには換算しない)→「指導」(“効果”相当)→「注意」(“有効”相当)→「警告」(“技あり”相当)→「反則負け」と段階的にグレードアップしていく方式の名残りと思われる。
でも、「指導」ではやはり意味合いが違うので、「警告」や「注意」にした方がいいように思う。
「反則負け」という表現も違和感。
「反則負け」だと悪質な反則(行為)をした印象を受けるので、「警告負け」の方が適切である。
女子78kg超級(富田ー橋本戦)などの指導判定に関する疑問
試合開始から35秒間、ほぼ組手争いに終始、両者に「積極的戦意に欠ける」として「指導」。
その約30秒後、「袖口に指を入れた」として、橋本選手に「指導」
その後も膠着状態が続き、約1分20秒後の開始2分25秒に「待て」が掛かるが、開始線に戻しただけで、試合再開。
その40秒後(開始3分6秒)に、両者に「積極的戦意に欠ける」として「指導」。橋本選手が「指導」3つで“反則負け”。
この試合の主審を務めた女性審判だが、こういう試合展開が多い。
開始30秒間で、大きな動きがないと、両者に「積極的戦意に欠ける」として「指導」。
その後、一方の選手だけに「指導」(別の種類の指導であることが多い)
それから、両者に「積極的戦意に欠ける」として「指導」で、反則で決着。
最近の試合は、副審が立たず、主審のみで判定(指導)を下す。ただ、インカムからの指示(助言?)を受けているようだが、主審と審判席のどちらに主導権があるのかは不明。(試合の様子を見ていると、審判席のように思われる)
さて、この試合、最初の30秒は組み勝ちを狙って、お互いが掴んでは切るという組手争いが続き、両者指導も仕方がないように思えた。
次の「袖口に指を入れた」という指導は、富田選手に釣り手をうまく掴ませてもらえない橋本選手が焦ったのかもしれない。
指導が2つとなった橋本選手は、何とか技を繰り出そうとするが、富田選手が橋本選手の右手の袖を掴み、吊り手を掴ませてもらえなかった。
結局膠着状態が続き、両者に指導が与えられ、決着。
しかし、この3つ目の指導には大いに疑問が残る。
両者に指導を受けた後、橋本選手は技を掛けようという意思が見られたが、富田選手の組み手が巧く、ままならなかった。
対する富田選手は、さほどペースは変わらず、とにかく、相手に十分な組手を与えないという方針のように見えた。
すると、橋本選手が「袖口に指を入れた」という指導を受けたので、このままのペースを続ければ、うまくいくと反則勝ちに持ち込めるという状況になった。
実際は橋本選手がそういう意思(戦術)を持ったのかは、不明だが、指導の回数で優位に立ってからは、技を掛ける意思は全く感じられなかった。技を掛けるどころか、組み合う意思さえ感じられなかった(私には)。
3度目の指導宣告(富田選手は2度目)までの柔道の姿勢は、橋本選手は《何とか技を掛けたい》という攻めの意思、富田選手は《相手に技をかけさせなければよい》という逃げの意思が感じられた。
私には両者指導はおかしいように思える。
勝った富田選手は、足を2度ほど飛ばしただけで、技と言えるものは皆無だった。相手に十分な組手を与えないというテクニックは評価できる(決勝の1試合しか見ていないので判断できないが、おそらく、組手が非常に巧い選手なのだろう)が、釈然としないものが残る。
こういった感想は、この試合だけではなく、よくある。
投げるなどの技を掛ける柔道ではなく、組手争いで相手に指導を与えるJUDO……勝つテクニックかもしれないが、面白くない。
男子60kg級で、審判の判断や電光掲示板の操作でミスが重なり、試合が混乱したシーンもあったが、私が取り上げるのは女子78kg超級での“指導”に関する判定判断(基準)。
本題に入る前に、少し話が逸れるが、私は常々、「指導」とか「反則勝ち」の表現に違和感を感じている。
【指導(軽微な違反)】
①故意に取り組まないこと
②組んだあと、極端な防御姿勢をとること(通常5秒を超えて)
③明らかに相手を投げる意志のない攻撃を行なうこと(擬装的攻撃)
④防御のために相手の袖口を握ること(通常5秒を超えて)。及び絞って握ること
⑤相手と指を組み合わす姿勢を続けること(通常5秒を超えて)
⑥故意に自分の柔道衣を乱すこと、及び主審の許可なしに帯や下穿の紐をほどいたり、締め直したりすること
⑦寝技に移ることができない状態で、相手を寝技に引き込むこと
⑧相手の袖口または下穿の裾口に指を差し入れること
⑨攻撃をしないで「標準的」な組み方以外の組み方をすること(通常5秒を超えて)
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など20を超える項目がある
【反則負け(重大な違反)】
・河津掛を試みること
・肘関節以外の関節を取ること
・背を畳につけている相手を引き上げ、これを畳に突き落とすこと
・相手が払腰などをかけたとき、相手の支えている脚を内側から刈ること
・主審の指示に従わないこと
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など悪質な行為が該当
指導(軽微な違反)を3回受けると、「反則負け」になる。
まず、「指導」という表現に違和感がある。「指導」の一般的意味は「教え導くこと」で、“否定”や”禁止”などの意味合いが強い「注意」「警告」とはかなり意味合いが違う。
しかし、柔道における「指導」は禁止の意味合いが強く「注意」「警告」のような使用のされ方である。
このような「指導」の使われ方は、この「指導」がルールに取り入れられた初期に由来していると考えられる。確か、「教育的指導」(技ポイントには換算しない)→「指導」(“効果”相当)→「注意」(“有効”相当)→「警告」(“技あり”相当)→「反則負け」と段階的にグレードアップしていく方式の名残りと思われる。
でも、「指導」ではやはり意味合いが違うので、「警告」や「注意」にした方がいいように思う。
「反則負け」という表現も違和感。
「反則負け」だと悪質な反則(行為)をした印象を受けるので、「警告負け」の方が適切である。
女子78kg超級(富田ー橋本戦)などの指導判定に関する疑問
試合開始から35秒間、ほぼ組手争いに終始、両者に「積極的戦意に欠ける」として「指導」。
その約30秒後、「袖口に指を入れた」として、橋本選手に「指導」
その後も膠着状態が続き、約1分20秒後の開始2分25秒に「待て」が掛かるが、開始線に戻しただけで、試合再開。
その40秒後(開始3分6秒)に、両者に「積極的戦意に欠ける」として「指導」。橋本選手が「指導」3つで“反則負け”。
この試合の主審を務めた女性審判だが、こういう試合展開が多い。
開始30秒間で、大きな動きがないと、両者に「積極的戦意に欠ける」として「指導」。
その後、一方の選手だけに「指導」(別の種類の指導であることが多い)
それから、両者に「積極的戦意に欠ける」として「指導」で、反則で決着。
最近の試合は、副審が立たず、主審のみで判定(指導)を下す。ただ、インカムからの指示(助言?)を受けているようだが、主審と審判席のどちらに主導権があるのかは不明。(試合の様子を見ていると、審判席のように思われる)
さて、この試合、最初の30秒は組み勝ちを狙って、お互いが掴んでは切るという組手争いが続き、両者指導も仕方がないように思えた。
次の「袖口に指を入れた」という指導は、富田選手に釣り手をうまく掴ませてもらえない橋本選手が焦ったのかもしれない。
指導が2つとなった橋本選手は、何とか技を繰り出そうとするが、富田選手が橋本選手の右手の袖を掴み、吊り手を掴ませてもらえなかった。
結局膠着状態が続き、両者に指導が与えられ、決着。
しかし、この3つ目の指導には大いに疑問が残る。
両者に指導を受けた後、橋本選手は技を掛けようという意思が見られたが、富田選手の組み手が巧く、ままならなかった。
対する富田選手は、さほどペースは変わらず、とにかく、相手に十分な組手を与えないという方針のように見えた。
すると、橋本選手が「袖口に指を入れた」という指導を受けたので、このままのペースを続ければ、うまくいくと反則勝ちに持ち込めるという状況になった。
実際は橋本選手がそういう意思(戦術)を持ったのかは、不明だが、指導の回数で優位に立ってからは、技を掛ける意思は全く感じられなかった。技を掛けるどころか、組み合う意思さえ感じられなかった(私には)。
3度目の指導宣告(富田選手は2度目)までの柔道の姿勢は、橋本選手は《何とか技を掛けたい》という攻めの意思、富田選手は《相手に技をかけさせなければよい》という逃げの意思が感じられた。
私には両者指導はおかしいように思える。
勝った富田選手は、足を2度ほど飛ばしただけで、技と言えるものは皆無だった。相手に十分な組手を与えないというテクニックは評価できる(決勝の1試合しか見ていないので判断できないが、おそらく、組手が非常に巧い選手なのだろう)が、釈然としないものが残る。
こういった感想は、この試合だけではなく、よくある。
投げるなどの技を掛ける柔道ではなく、組手争いで相手に指導を与えるJUDO……勝つテクニックかもしれないが、面白くない。