連続テレビ小説…通称“朝ドラ”の『とと姉ちゃん』が終了した。
『とと姉ちゃん』に関しては、「公開商品試験」のエピソードの第24週「常子、小さな幸せを大事にする」と最終週「花山、常子に礼を言う」の他は5~6話ぐらいで、たかだか20話しか観ておらず、全156話の13%弱である。他の朝ドラの私の視聴率は、もっと低くなる。1話か全く観ていない朝ドラだってある。
そんな不良朝ドラ視聴者が、朝ドラについて語るのはおこがましいが、懇意にさせていただいている(と私が勝手に思っている)ブロガーさんの記事を読んで、触発されてしまったという次第である。
その記事は手厳しいもので、寄せられたコメントも厳しい意見が多かった。
私は、面白いと思って観ていたが、部分的にしか視聴していないし、記事の内容もなるほどと思うことが多く、大筋も「同感」と言ってよいものだった。
今回の『とと姉ちゃん』……
と、ここまでで、書きかけのままになっています。(10月4日の稿)
“今回の『とと姉ちゃん』の後に何を続けるつもりだったのか、まったく思い出せません(笑)
この後、体調を崩して書けずにいて、ようやく回復傾向になり、続きを書こうとしたら、例の「三浦不正疑惑」……
どんどん、書きたい記事が溜まる一方なので、多少端折って書きます。(さすがに記事の主旨は覚えています)
では、【本題】です。
ドラマの評価の要素はいろいろあり、業界においてのそれは“視聴率”であろう。
では、視聴者にとっては何かというと、“面白さ”である。
他にも、“俳優の演技”“ストーリーなどの整合性”“映像美”など色々要素が考えられるが、それらをまとめるのは乱暴な気もするが、“熟練度”と呼ばせていただく。
この3つは独立したものではなく、密接に関連している。面白く、熟練度が高ければ、当然、視聴率も高くなる傾向が強いが、「視聴率は低いが、面白かった」とか「面白いが、突っ込み所が多い」という場合も良くある。(視聴率は放映時間や曜日、キャスト、裏番組の強弱などに左右されることが多い)
特に、大河ドラマや朝ドラはにおいて、その評価が分かれることが多いように思う。
例えば、酷評され視聴率も低かった『平清盛』はドラマ後半は非常に面白かった(当然、私の主観)。『八重の桜』は後半は全く面白くなかったし、『天地人』序盤からつまらなくて、上昇の気配がないので視聴離脱。『軍師官兵衛』はつまらなくはなかったが、納得のいかないところが多すぎた。今年の『真田丸』は、むちゃくちゃ面白い(いずれも私の主観、視聴率は“悪くない”という程度)。(本当は、それぞれの大河ドラマについて、視聴率や世間(ネット)の評価と私の感触を比較検討したいところですが、端折らせてください。朝ドラについても、視聴率や世間の評価(面白さ)についての検証は省かせていただきます)
で、本題の朝ドラですが、印象的な事例だけ挙げます。
『マッサン』
マッサン(政春・玉山鉄二)の母・早苗(泉ピン子)の臨終のシーン………
危篤を知り、駆けつけたエリー(シャーロット・ケイト・フォックス)。早苗は、最初こそ認めていなかったが、イロイロあった後(すみません、視聴していません)エリーの花嫁姿に喜ぶまで心を通わせた嫁と姑。
しかし、容体が悪化し、今際の際(漢字で書くと変ですね)に「世界一の嫁だ」とエリーを認めた言葉を贈る。その直後、北海道から駆け付けたマッサンが到着。
「お前のウイスケはまずい」という言葉を吐く。そのあと、エリーに「サンキュウ、グッドバイ」と言って息を引き取る。
場面の転換としては、エリー→マッサン→エリーは順当であるが、親子の絆を考えると、マッサンへの言葉で締めるべきだろう。
「まずい」と評価したのは、早苗が密かにマッサンのウイスキーを飲んでいたことを示す演出なのだが、≪最後の言葉がそれかあ≫と思うと同時に、それならなおの事、この「まずい」を最後にしなければならない。
そして、もっと許せなかったのが、その次の回………
「まずい」という早苗の評価にがっくりしているマッサンに、エリーが「それは“がんばれ”という意味だ」と諭し励ます。
これって、逆じゃない?
いくら心を通わせたと言っても、いくら聡明だと言っても、エリーが早苗を暮したのはほんの数日のはず。
エリーが「まずい」という言葉に疑問を持ち、早苗の息子のマッサンが自ら真意を気づいて立ち上がるのが、本筋であろう。
このドラマ、時々目にする程度だったが、
≪情けなくて駄目な亭主・マッサンを、エリーが支え、引っ張る≫シーンばかりだったという印象しかない。
『あまちゃん』
(このドラマも、本当にかじる程度しか視聴していないので、「それは違うぞ!」という指摘は甘んじて受けます)
海女を目指していたと思ったら、“ローカルアイドル”活動をしていて、上京してアイドルを目指し、山あり谷あり(谷ばかり?)の苦闘、失意を乗り越えたところで、東日本大震災が発生。ローカルアイドル活動を決意する。
時折、しかも、浅くしか視聴していないので、ローカルアイドル活動を観た時には≪“海女さん”活動は何だったんだ?≫と思ったり、失恋したり、東京編でもいろいろな状況に追い込まれていたりと、展開に全くついていけない状況。
海女さんを目指していたところをチラっとしか観ておらず、どういう心境でヒロインが海女をしていたのかとか、ローカルアイドル活動→上京しアイドルを目指すという経緯も知らない私が悪いのだが、≪ヒロインがあっちフラフラ、こっちフラフラしている≫としか思えなかった。
2作しか例を挙げずに言及するのは手抜きだが、朝ドラの私の印象は
①ヒロインがスーパーウーマン(『マッサン』の他、『あさが来た』『とと姉ちゃん』が思い当たる)
②人生の起伏や転換が多い
①については、まあ、≪ヒロインが主人公だから≫(←日本語としては変かも)仕方ないかも。
②については、1週間6話を半年(26週)156話(『とと姉ちゃん』の場合)の長丁場なので、山あり谷ありでないと視聴者を引き付けられないという理由がありそう。
そして、その長丁場であるが、15分×6日×26週という独特の構成がストーリーに制約を与えている。
初回放送は朝の忙しい時間帯なので、15分の短い中にも視聴者にある程度の満足感(見ごたえ)を与えなければならず、1週間(6話)の単位でも見ごたえが求められる。『とと姉ちゃん』で言えば“製品テスト”の私の視聴は、そういった制作サイドの罠に陥ってしまったのであろう。
なので、長期的なストーリーの整合性には齟齬が生じている場合が多いのではないか?本気所の冒頭に挙げた言葉で言えば、「熟練度が低い」傾向が強いのである。
そして、そういった粗に目が行ってしまうと、ドラマを冷めた目で見てしまう。
その結果、朝ドラの評価にバラつきが大きくなるのであろう。
『とと姉ちゃん』に関しては、「公開商品試験」のエピソードの第24週「常子、小さな幸せを大事にする」と最終週「花山、常子に礼を言う」の他は5~6話ぐらいで、たかだか20話しか観ておらず、全156話の13%弱である。他の朝ドラの私の視聴率は、もっと低くなる。1話か全く観ていない朝ドラだってある。
そんな不良朝ドラ視聴者が、朝ドラについて語るのはおこがましいが、懇意にさせていただいている(と私が勝手に思っている)ブロガーさんの記事を読んで、触発されてしまったという次第である。
その記事は手厳しいもので、寄せられたコメントも厳しい意見が多かった。
私は、面白いと思って観ていたが、部分的にしか視聴していないし、記事の内容もなるほどと思うことが多く、大筋も「同感」と言ってよいものだった。
今回の『とと姉ちゃん』……
と、ここまでで、書きかけのままになっています。(10月4日の稿)
“今回の『とと姉ちゃん』の後に何を続けるつもりだったのか、まったく思い出せません(笑)
この後、体調を崩して書けずにいて、ようやく回復傾向になり、続きを書こうとしたら、例の「三浦不正疑惑」……
どんどん、書きたい記事が溜まる一方なので、多少端折って書きます。(さすがに記事の主旨は覚えています)
では、【本題】です。
ドラマの評価の要素はいろいろあり、業界においてのそれは“視聴率”であろう。
では、視聴者にとっては何かというと、“面白さ”である。
他にも、“俳優の演技”“ストーリーなどの整合性”“映像美”など色々要素が考えられるが、それらをまとめるのは乱暴な気もするが、“熟練度”と呼ばせていただく。
この3つは独立したものではなく、密接に関連している。面白く、熟練度が高ければ、当然、視聴率も高くなる傾向が強いが、「視聴率は低いが、面白かった」とか「面白いが、突っ込み所が多い」という場合も良くある。(視聴率は放映時間や曜日、キャスト、裏番組の強弱などに左右されることが多い)
特に、大河ドラマや朝ドラはにおいて、その評価が分かれることが多いように思う。
例えば、酷評され視聴率も低かった『平清盛』はドラマ後半は非常に面白かった(当然、私の主観)。『八重の桜』は後半は全く面白くなかったし、『天地人』序盤からつまらなくて、上昇の気配がないので視聴離脱。『軍師官兵衛』はつまらなくはなかったが、納得のいかないところが多すぎた。今年の『真田丸』は、むちゃくちゃ面白い(いずれも私の主観、視聴率は“悪くない”という程度)。(本当は、それぞれの大河ドラマについて、視聴率や世間(ネット)の評価と私の感触を比較検討したいところですが、端折らせてください。朝ドラについても、視聴率や世間の評価(面白さ)についての検証は省かせていただきます)
で、本題の朝ドラですが、印象的な事例だけ挙げます。
『マッサン』
マッサン(政春・玉山鉄二)の母・早苗(泉ピン子)の臨終のシーン………
危篤を知り、駆けつけたエリー(シャーロット・ケイト・フォックス)。早苗は、最初こそ認めていなかったが、イロイロあった後(すみません、視聴していません)エリーの花嫁姿に喜ぶまで心を通わせた嫁と姑。
しかし、容体が悪化し、今際の際(漢字で書くと変ですね)に「世界一の嫁だ」とエリーを認めた言葉を贈る。その直後、北海道から駆け付けたマッサンが到着。
「お前のウイスケはまずい」という言葉を吐く。そのあと、エリーに「サンキュウ、グッドバイ」と言って息を引き取る。
場面の転換としては、エリー→マッサン→エリーは順当であるが、親子の絆を考えると、マッサンへの言葉で締めるべきだろう。
「まずい」と評価したのは、早苗が密かにマッサンのウイスキーを飲んでいたことを示す演出なのだが、≪最後の言葉がそれかあ≫と思うと同時に、それならなおの事、この「まずい」を最後にしなければならない。
そして、もっと許せなかったのが、その次の回………
「まずい」という早苗の評価にがっくりしているマッサンに、エリーが「それは“がんばれ”という意味だ」と諭し励ます。
これって、逆じゃない?
いくら心を通わせたと言っても、いくら聡明だと言っても、エリーが早苗を暮したのはほんの数日のはず。
エリーが「まずい」という言葉に疑問を持ち、早苗の息子のマッサンが自ら真意を気づいて立ち上がるのが、本筋であろう。
このドラマ、時々目にする程度だったが、
≪情けなくて駄目な亭主・マッサンを、エリーが支え、引っ張る≫シーンばかりだったという印象しかない。
『あまちゃん』
(このドラマも、本当にかじる程度しか視聴していないので、「それは違うぞ!」という指摘は甘んじて受けます)
海女を目指していたと思ったら、“ローカルアイドル”活動をしていて、上京してアイドルを目指し、山あり谷あり(谷ばかり?)の苦闘、失意を乗り越えたところで、東日本大震災が発生。ローカルアイドル活動を決意する。
時折、しかも、浅くしか視聴していないので、ローカルアイドル活動を観た時には≪“海女さん”活動は何だったんだ?≫と思ったり、失恋したり、東京編でもいろいろな状況に追い込まれていたりと、展開に全くついていけない状況。
海女さんを目指していたところをチラっとしか観ておらず、どういう心境でヒロインが海女をしていたのかとか、ローカルアイドル活動→上京しアイドルを目指すという経緯も知らない私が悪いのだが、≪ヒロインがあっちフラフラ、こっちフラフラしている≫としか思えなかった。
2作しか例を挙げずに言及するのは手抜きだが、朝ドラの私の印象は
①ヒロインがスーパーウーマン(『マッサン』の他、『あさが来た』『とと姉ちゃん』が思い当たる)
②人生の起伏や転換が多い
①については、まあ、≪ヒロインが主人公だから≫(←日本語としては変かも)仕方ないかも。
②については、1週間6話を半年(26週)156話(『とと姉ちゃん』の場合)の長丁場なので、山あり谷ありでないと視聴者を引き付けられないという理由がありそう。
そして、その長丁場であるが、15分×6日×26週という独特の構成がストーリーに制約を与えている。
初回放送は朝の忙しい時間帯なので、15分の短い中にも視聴者にある程度の満足感(見ごたえ)を与えなければならず、1週間(6話)の単位でも見ごたえが求められる。『とと姉ちゃん』で言えば“製品テスト”の私の視聴は、そういった制作サイドの罠に陥ってしまったのであろう。
なので、長期的なストーリーの整合性には齟齬が生じている場合が多いのではないか?本気所の冒頭に挙げた言葉で言えば、「熟練度が低い」傾向が強いのである。
そして、そういった粗に目が行ってしまうと、ドラマを冷めた目で見てしまう。
その結果、朝ドラの評価にバラつきが大きくなるのであろう。