最近 鉱山、戦争遺跡、廃墟系が好きになりますますオサン化している
小生ですが。。
一昨年は三井三池、池島炭鉱、昨年は尾去沢(ブログまだ書いてない)炭鉱に行って
萌えまくった小生ですがさらにこちらにも行っておりました。。
長崎の端島炭鉱 通称軍艦島に行って参りました。 だいぶ前(数年前)のネタですが。。
ICOMOSから世界文化遺産に登録するように勧告され、脚光をさらに浴びている軍艦島。
軍艦島ツアーは今のところ3つあるんですけど
この方のHPが非常にわかりやすいと思います。
小生はやまさ海運さんにしてみました。
長崎港
さて出発ですよー
女神大橋を超えてさらに西に進みます。
と。見えてきましたよん。
見えてきました。 軍艦島
外観は本当に圧巻。。小生見入ってしまいました。
明治時代より開発が進められ、幅160m、長さ480mという島内に約5000人もの人が住み、当時世界一の人口密度を誇ったそう。
炭鉱が閉山したのは昭和49年。その後は無人島となり、廃墟となってしまいました。
軍艦島写真集
小生一度は軍艦島に行きたかったんですよね。
ツアーで上陸はできるのですが、本当に外周の一部分しか移動できないんです。。
いつか建物内も見学できる機会があるかなあ。 ひょっとしたらもう無理かもしれんね。。
近づくにつれて興奮が
上に見える祠は端島神社。 炭鉱マンの心のよりどころだったそうです。
正面の建物は日本最古(大正5年)の鉄筋コンクリートアパート(30号棟)
上陸しましたよん。
見学通路は南側のほんとごく一部。
中も見たいなあ。。
ただただ感動。
この島に数千人の人がすんでたなんて想像できんよね。
プール跡
当時周囲の海で泳ぐのは禁止されてたそうな。
小学校や中学校。 病院に商店 なんと映画館まであった端島
炭鉱から帰ってきて、風呂入った後の晩酌は最高だったんだろうなー。
と当時の方の生活を想像しながらツアー見学を終えることに。。
とある日 博多駅
豚とろで。。
鹿児島ラメンを食って。。
筑豊炭田の街 直方市へ
直方市石炭記念館へ
戦前は日本最大の産出量を誇った筑豊炭田
日本の近代化を支えた炭鉱跡を小生廻ることに。。。
全盛期には260もの炭鉱があったということですが、昭和48年にはほぼ
採掘している炭鉱は0となってしまったとのこと。
模擬炭鉱
火災とか落盤などといった非常時のために訓練するために
建築されたそうな。
記念館には炭鉱労働者だった山本作兵衛さんの炭鉱絵が飾られておりました。
2011年 彼の描いた絵画がユネスコ記憶遺産として日本で初めて登録されたとのこと。
小生しかお客さんがいなくて、館長さんに一つ一つ展示物の説明を受けてたのですが
こんなんがあるんよと一冊の本を見せてくれました。
1979年10月 アサヒグラフ
筑豊炭鉱遺跡の特集を組んでたんですけどね。。
同じ雑誌に福島第一原発の下請労働者の実態を堀江邦夫さんがレポートした記事が掲載されてました。
「パイプの森の放浪者」
イラストはゲゲゲの鬼太郎の水木しげるさん。
イラストすごいでしょ
現場の重苦しいイメージを鮮烈に描かれてて、小生この記事を見入ってしまいました。。
この雑誌が掲載された年はスリーマイル島原子力発電所の事故があり、原発推進を進めていた当時の日本
に衝撃を与えた年でもあったとのこと。
原発で働くことがいかに危険だったか、常に下請けの方の犠牲によって原発が成り立っていたんだと
再認識する記事でもありました。
お礼を述べて、小生田川へ。
平成筑豊鉄道
田川伊田駅
山が真っ平らになってるの分かりますか? 石灰石の採掘でああなってしまったと。
前にある小高い2つの山は石炭を採掘した際に出る捨て石によってできた山だそうな(ボタ山)。
田川市
明治33年、三井田川鉱業所が設立。
大正6年には全国の出炭量2290万トンのうち筑豊炭田が1148万トンを産出し、なんと全国出炭量の50%を占めるまでに。
その後石油資源に押され、昭和39年には閉山したとのこと。
煙突の高さは45m 炭鉱の煙突としては日本最大。
炭坑節発祥の地
「月が出た出たー」の歌ね。
ただこの歌聞いてるとw 三池炭鉱と歌ってるんです。 三橋美智也がねw
あれ? ここは三井よねえ。。
と田川市のHPの歌詞を見ると、三井となってるのでおそらくいろんな歌詞の炭坑節が
あるんでしょうね。
田川市 石炭歴史博物館へ
ガジェットw見るだけでわくわくしてきたゾ
映画「青春の門」 吉永小百合さんまっこと美人ったいねー。
ぼた山きれいやね。
当時の住宅も復元展示されておりました。
三井田川炭鉱労働組合
小生 いろいろな鉱山博物館に行ったのですが、田川市は比較的
労使関係の資料が数多く揃っておりました。
時代背景、展示主、労働規模によって展示方法がこうも変わるのかと
小生感心しながら見るんですけどね。
やはり三池、三井炭鉱といった巨大炭鉱の労働争議は一部の革命主義的なイデオロギーの
影響が大きかったんだろうな。
当時の労働者の鬼気迫る姿に心打たれます。
こうして田川市を去ることに。。
小生の鉱山ブーム当分終わりそうにありません。