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島旅 2013 その4 本島@丸亀市

2013年06月09日 | 旅行

島旅2013シリーズまだ続きますw

丸亀沖にある本島。 塩飽水軍の本拠地として有名な島ですよね。

 

小生子供のときに時々海水浴に連れて行ってもらってた記憶があり

今回はおそらく20数年ぶり?の訪問となりました。

 

丸亀港

今は本島、牛島、手島行きのフェリーが航行してるんやね。

昔は水島(倉敷市)行きのフェリーもあったのですが、瀬戸大橋の開通と共に

廃航となってしまいました。

 

ほんじま丸に乗って。。

30分の船旅です。

 

結構新しい船でした。

 

宇多津のゴールドタワーが見えてきました。

ここのタレントショップによく行ってた小生

ビートたけしのカレー屋とか、ねるとんショップ?、のりピーショップ 

とかあったかな?

 

瀬戸大橋 斜張橋が見えてますね。

 

 

30分ほどで本島港へ

年間2万人ほどの観光客が訪れているそうです。

 

 

塩飽勤番所に行ってみました。

江戸時代に幕府から自治をまかされた年寄が政務を行った場所ですね。

丸亀沖の島々は塩飽諸島と呼ばれ、戦国時代には塩飽水軍が活躍してたそうです。

 

wikiより

戦国時代には塩飽水軍と呼ばれ、勢力を持っていたと考えられている。織田信長は天正5年(1577年)に堺へと入港する塩飽船

に対し他国船は航路を譲る事を命じ、豊臣秀吉は天正14年(1588年)の九州征伐に際して兵を運ぶ船を出させ、天正18年(15

90年)には船方650人を御用船方(ごようふなかた)とし、本島、広島、与島、櫃石島、手島、高見島、牛島の塩飽七島1250石

を与える。徳川家康も関ヶ原の戦い直後の慶長5年(1600年)9月28日に、大坂城西の丸で秀吉と同様に船方に塩飽七島を安堵し

、塩飽諸島は自治領として江戸時代を過ごす事となる。

 

 

こんな見方もあるんやねえ。。

 

皇太子さん

横の人は丸亀市長なのかなあ。。  前川知事こんな人やったけ?

 

織田信長の朱印状

 

豊臣秀吉の朱印状までありました。

 

豊臣秀吉の養子である豊臣秀次の朱印状

 

 

なんと徳川家康の朱印状もありました。

 

 

 

幕末には35名もの優秀な航海術を身につけた住民(水夫)が咸臨丸に乗り込み、

一路サンフランシスコへと旅立ちました。

 

その後は自転車を借りて島を散策することに。。

 

島の東端に到着。

こんなに瀬戸大橋から近いんですよ。ここ

 

笠島地区へ。。

 

笠島地区 江戸時代の古い町並みがそのまま残っていて、保存地区となっています。

路地が入り組んでて、敵の侵入を防ぐためとも言われているそうな。

 

 

マッチョ??通り?

どんだけ筋肉質のおっちゃんがおったんか?と思いましたが

どうも「町通り」がなまっただけだそうな。。

 

 

 

島が完全に孤立してるので、ほとんど観光地化されてないんですよね。

これはええことやね。

 

年寄の墓

 

 

 本島港へ

 

 

後は丸亀に戻ってラメン食いにいくことに。

 

匠味

一度行きたかったらーめん屋さん

 

メニュー

流行の魚介つけ麺が頂けるお店。

 

麺はアクリル系。 つるつるで、コシが確かにあって美味しかったです。

魚介のスープはごくオーソドックスで魚粉が入ってるタイプ

 

焼き石を入れることで熱々のスープで頂くことができます。

 

 

この種類を使ってるってことかな?  自家製の手打ち麺なんですねー。

 

後は讃岐そばを謳っているりんや

この場所は昔 ねぎらーめん小山というお店がありました。

あふれんばかりのネギが盛られてて、それを崩しながら食べてた記憶があるのですが

大将が亡くなったんだそうです。。

 

 

 

小生讃岐そばを頂く。

 

 

 非常に上品な味付け。 おそらく無化調なんでしょうねー

鶏ガラにちょっと弱めの魚介。  麺がちょっぴり細めでそれほど弾性は強くないんだけど

十分喉越しはよくて、美味しく頂きました。

 

 島旅 おそらくネタはあと2、3つぐらいかな?

 


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