<孤立しているという思いが意識の中に溶け込んでくるにつれて、私たちも変わった。最初はそうでなくても、ゆっくりと徐々にね。そして最後には、国家などとは関係がなく、その日暮らしをするのがとても自然なことのように思えてきた。外からあれこれせっつかれることがなくなると、お互いが相手に負った義務が改めて思い出された。通り過ぎる他人も、近くにいる隣人もおらず、肩越しにのぞき込んでくるような人もいない――いつまでも誰にも見られていない状態が続くと、人間、自分の振る舞い方に関する考えが変わってくるものよ。受け容れられるものと受け容れられないものについての考えも。でも、一番大切なのは、人間には逃げられるものと逃げられないものがあることがわかるようになることね。>トム・ロブ・スミス著田口俊樹訳「偽りの楽園」上P90より
これはロンドンからスウェーデンの田舎の農場に移住した母親が、ロンドンに住む息子に語りかける一節ですが、我々都会の住むものにとっても、特に年を取ってゆくと、そして気心の知れた方々が少なくなると、同じような感慨になるのでは? と印象に残った 一節です。
特に “逃げられるもの・逃げられないもの”がある との表現は 深いなぁ と思いました…
そもそも 私たちの起源、進化、祖先は、周囲の脅威に対し逃げ回って、出来上がってきたと書かれています。進化から得たDNAで、我々は逃げ上手ということなのでしょう。逃げていいのですよね。モーゼは、逃げ回ってもいいが、十戒は心してくれ と言ったのでしょう(私見)。昔からみな逃げて生活してきたということでしょう。つまりホモサピエンスは逃げ回って、“共生”という手段で、強固な社会を作り上げましたが、文明の発達とともに、膨らむ個々の欲望を満足させるため、逃げるのをやめて、(欲望の原資たる)自然・生活環境に手を付け始めました。最近では原子や遺伝子まで手を付け、二酸化炭素やプラ塵の異常な排出で地球環境再生のサイクルを壊すに至りました。このままでは“共生”社会も環境から崩れるでしょう!
人間は逃げ回っていた脅威に手を付け始めてから生物体系のトップに君臨し、その意味では地球を制覇し、人口を驚異的に増やし続けています。このままでは地上はいつの間にか人間で満杯になるでしょう… ホモサピエンスも“共生”で滅びるかも!
最近の、生き方を異にする・感性を異にする社会のグループ化が見られます。共生社会の生き残りの作動でしょうか。例えば今進んでいる地政学的経済的なグルーピングでは、トランプさん・習さん・プーチンさん・独仏さん・イスラムさん・インド/アフリカさん に分かれつつあります。大陸の移動ならぬ共生の分社化かもしれません。もしこのグループ化が進むと日本はどこに加わるのでしょうね?
大分脱線しましたが、著者スミス氏の言いたいところの、逃げられないものがある/分かるようになる のこの逃げられないものとは なんなんでしょう?
時間や生や死でしょうか?人によっては運命もあると考えるでしょうね。 だから 人は逃げるために 生を繋ぐ 世代を繋ぐのでしょうね。
今LGBT(性の多様性)の権利や主張が当たり前のように語られていますが、当たり前でしょうか? ちょっと違うような気がします。
多様性を認める社会(日本は上述のどの共生グループに入ったらいいか?は多くの人が自分流で生きていけるような社会がいいと思うでしょうから、多様性が認められるところ? 消去法でトランプさんのところか独仏さんのクループでしょうね)にあっては、LGBTへの差別はあってはなりませんが、ストレートと同等の権利や主張では、社会の健全な世代交代というキーをそのうちに放棄することになるような気がします(性の意味は、子孫繁栄>喜び と思うためでしょう)。多様性にはあるブレーキ 倫理的なものでしょうか があると思います。
これも脱線ですね。
逃げられるものと逃げられないものは個々に違うので語りづらいものですが、これから年を取るにつけ、逃げられないもの(避けて通れないものとも言いかえられますね)は少なくしてゆきたいものです。先ずは逃げられないもののリストアップでしょう・・・
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