<ジェントリーはもともと善人だが、仕事によって汚れ、危険な人間になったのだと、ハンリーは見なしていた。CIAの資産多数とよく似ている。しかし、ジェントリーがほかの資産よりもひときわ優れているのは、すさまじい悪党になるのがすさまじく得意だからだ。>マーク・グリーニー伏見威蕃訳「暗殺者の反撃」上P338より
上記にある資産とは、工作員のことで、ジェントリーは元CIA特殊部隊員で現在はCIAに敵対し、CIAとの死闘を繰り広げている主人公です。
この一節で気になったのは、
・仕事や環境がその人間を次第に変えてゆくということ:
仕事帰りの一杯の席で、帰省時の同窓会の席で、あいつ変わったなー、との会話はそこらじゅうで聞くもの。
善し悪しの問題ではなく、仲間として持つ共通の価値観みたいなものを今後とも共有できるかという不安の表れでしょうか。
もう一つは、
・ストーリーの主人公というものは、大概に突出しているものを持っているということ:
多くのストーリーでは、特徴のある主人公と対立するもので展開され、話は事件/事故でこの対立が激しくなり、対立は主人公側に有利な方向に向かい、多くの人がホッとする結末を向けるもの。
ストーリーの余韻に、人類の共存と進化を残すもの があると作品は絶賛されえる(?)
最近、書物でよりも映像ものでストーリーを楽しむ方が多いのは、ストーリーの骨格はもう存分に分かってしまって、ストーリーに価値を見出すようなことよりも、美しい役者や景色や生活に興味が移ってしまっているためでしょう。