<小説を読む人、読まない人。どちらと友だちになりたいかと訊かれれば、私は読む人と答えるだろう。小説を読む人間のほうが、毎月どこかの才人がベストセラー書で垂れ流す子供だましの哲学をうのみにせず、自分の頭でものを考えることが多いような気がするからだ。>スティーヴン・グリーンリーフ著黒原敏行訳「匿名原稿」P75より
この一節では、自分はなんで小説を読んでいたのだろう との思いに駆られました。
初めは日本語の勉強と先生から勧められたことでしたが、だんだん、気分を落ち着かせるためであったような気がします。あまり意味を考えなかった読書でしたね。友人はほとんど理工系で、それほどの読書家はいませんでしたが、皆さんご自分の考えはもっていた…ここで作者は、読書という言葉を借りて、最近目に付く 子供だましの哲学に警鐘を鳴らしてるようにも思えます。この一節は、この物語の最初の途中下車となりました。
<ホームレス――都市の厄災、国家の恥。その発生の原因と効果については、私(私立探偵)とチャーリー(ベテラン刑事)のあいだで何年も前からよく話題になっている。チャーリーはもっぱらレーガン時代の低所得者層いじめを弾劾した。レーガン政権は住宅補助金を75パーセント削減し、失業保険や食料切符といった福祉給付の受給資格を制限し、資格のある人々に対して手続きをひどく煩瑣にした。貧窮地区の家賃は急上昇していくのに、福祉給付や最低賃金は低水準に抑えられた。その間に金持ちは何もせず、ただ自分たちの税金が半分以上も軽減されるのを喜んでいた。チャーリーはこの新しいアメリカを憎んでいた――貧困層と富裕層の格差が資産の面でも消費の面でもどんどん広がってゆくアメリカ、ウォール街のビジネスマンにはジャンクボンドやストック・オプションという名の紙幣をすることを許す一方で、読み書きの満足にできない貧しい女性には、子供を養うために食料援助を受けなければならないことを六ページの書類に記入しろと要求するアメリカ、所得の低い階層ほど収入に対する慈善支出の比率が高いアメリカ、政治家たちが国民に国旗に対して忠誠を誓わせたがる一方で、忠誠を誓って勇気ある行動をとり血を流した兵士に建物の軒先や地下鉄のトンネルや廃用になった下水溝で雨露をしのがせて平気な顔をしているアメリカ。忌まわしいアメリカ。私の憎悪はチャーリーのそれほど深くはないが、考えてみれば、チャーリーと違って、私はそういう忌まわしい面の後始末に駆り出されるわけではない。>スティーヴン・グリーンリーフ著黒原敏行訳「匿名原稿」P272~273より
1991年前の米格差社会を記した一節です。表記は30年ほど前のことですが、今以て変わっていないということは、二重構造を歯車とする資本主義はこれからもその基本は変わらないということでしょうか? 流血や恐怖をツールとする専制主義体制下の大衆より、貧困層の方がまだましとする考えが、この資本主義の格差を定着させているのでしょうか? ここでも作者グリーンリーフ氏の怒りを感じました。
同感です。
怒りは 燃やし続けましょう・・・