さんぽ道から

散歩中の雑感・モノローグを書いてみました

3.11からの一年で思うこと

2012-03-10 21:57:17 | ダイアリー
 外出から帰ってきて、二階のガラス戸を開くと、ぐらぐら揺れ始めた。近所からも食器やら戸板や植木鉢が落ちる音がして、家のきしむ音が大きくなり、電柱が大きく小さく揺れて、止む気配がなく、なぜこんなに長く、もう勘弁して、家が壊れると観念し始めたらようやく収まった地震から1年たった。揺れからしばらくして恐る恐るTVをつけると、ヘリコプターからの映像が映し出されていた。黒い津波が家屋や車や船をそして町を流す現場を、原発に打ち寄せる波を映していた。
 3.11は多くの命、生活、心や健康、資産を奪った地震と津波だったが、今までものとは、努力やお金では解決できない、時間を経ないとどうにもならない放射能汚染をもたらした点で大きく違ったものだった。原爆に次いで、そう日本は、二度目の被災。小さな国に二度とは?たまたまで終わらせずに、意味を持たせなければ、犠牲者に、国民にそして世界に申し訳ない。人知を超えた世界からの、文明の流れとその行く先からの、元になった原発を見直せというメッセージ、ブレーキとは考えられないだろうか?
 原発がすべて止まったら、電気代は高くなる。少し誇張すると、多くのもののコストは上がりし、生活は苦しくなり、企業はもうからなくなる。経済は追々縮小し、生活レベルは低くなる。国力は弱まり、周辺国からの侵略もあるかも知れない。これらが原発維持の考え方だろうが、周辺国からの脅威については同盟国との外交努力で何とかなるとすれば、原発廃止で恐れるものは生活レベルの低下だろう。そもそも日本は文明発祥の地=豊かな地からは離れた地勢の地。ただ四季がはっきりしていたので住食衣に気を払った=きれい好き。狭い国土・家屋に共生を余儀なくされたので=きれい好き。自然に囲まれた、小ざっぱりとしてそこそこの日常が、わが生活の本流。経済大国、国力、金持ち、贅沢などなどに固執しなくてもいいじゃないか。振り返ってみれば、この半世紀ばかり固執しすぎた?反省してもいい時期?これも2011.3.11のメッセージだったのでは。
 先日国会中継を見ていたら税と社会保障関連のかみ合わない応答が繰り返えされていた。ギリシャ、ポルトガル、スペイン、イタリアの諸政策=経済と社会保障のバランスを取りながら借金を返す=EU・IMF他米中のお墨付き政策、を参考にすれば、もっと早く良い議論ができるのに何の時間稼ぎをしているのだろう、とみていた。時間をつくって、将来の国のあり方、進み方をベースに、原発の必要性を、国会の場で徹底的に論議してほしいもの。マスコミももっと原発の意味を、日本のあるべき姿から、所論を機会あるごとに取り上げてもらいたいもの。3.11からの1年で思ったこと。
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