そうだ明日香へ行こう
そもそもなぜdolce-vitaがそんなコト思いついたかといいますと~。
万葉集が大好きで
尊敬する歴史上の人物は持統天皇
だったら一度は訪れなきゃだよね(*^o^*)
伝飛鳥板蓋宮跡
うふふぅ(^w^)
田んぼの真ん中でにっこにこのdolce-vita
この場所に立ってみたかったのぉ(≧∇≦)
ここはいくつかの宮殿遺跡が重複してて
発掘された宮殿の遺構は上下2層に分かれてます。
下層遺構は名前にあるように飛鳥板蓋宮
そして上層遺構として今最も有力なのが
飛鳥浄御原宮
壬申の乱に勝利した大海人皇子が
都を近江から飛鳥に遷し
即位したのもココ
持統天皇が飛鳥浄御原令を完成させたのもココ
dolce-vitaの大好きカップルの活躍の舞台となった場所デス
飛鳥板蓋宮は言わずと知れた大化の改新の舞台。
板蓋って今となってはなんだか質素な感が否めませんが
当時茅葺きの屋根が一般的だったなか
板葺き屋根は最先端の建造物だったらしい。
誇らしげに宮殿の名前に冠した辺りが微笑ましい(^w^)
発掘はされてないけど
飛鳥岡本宮、後飛鳥岡本宮もここだったんじゃないかといわれてます。
その時代の物語に思いを馳せつつ
しばし佇む
「春過ぎて…」は藤原宮に遷った後の御製だけど
天香具山探してみたりして
(えっと(?_?)天香具山どこ?)
そう…
ここまでさらりと書いたけど
方向音痴のdolce-vitaにとって
明日香サイクリングの旅は
実は超迷子の旅
各ポイントを移動するのに
地図と首っ引きで大苦戦
古墳は周りの山と区別つかないし
遺構は田んぼの中に急に現れる。
畦道を右往左往した挙げ句
そこはシンプルな石の積まれた遺構ときては
興味のない人にとっては
さぞかしテンションがた落ちであろう
さすがのdolce-vitaもちょっとへこたれそうだったもん
天武・持統天皇陵古墳
こーんな石段を登っていくと…。
てってれー
天武・持統天皇陵デス
当たり前だけど宮内庁の管轄なのね(*^o^*)
宮内庁指定の天皇陵で被葬者がわかっているのは
実はココだけ。
古代史最大の内乱である壬申の乱を制し
今まで以上に権力を掌握して
中央集権化していった天武天皇。
そしてそれを引き継いでカタチにした持統天皇。
「日本書記」や「古事記」を編纂したり。
「日本」とか「天皇」って名称を採用したり。
伊勢神宮を天皇家の守護宮と定めたり。
現在当たり前のことで実はこの二人の時代に始まったというコトは
意外にも多い。
ふふっ(^w^)
しかも持統天皇ったら名前も美しいの
鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ)
万葉集にも歌のやりとりもなく
ラブラブだった気配はあまりないけど
持統天皇は火葬されたあと(火葬も珍しいよね)
天武天皇と同じ陵に埋葬されました。
二人の魂は今も一緒です
そもそもなぜdolce-vitaがそんなコト思いついたかといいますと~。
万葉集が大好きで
尊敬する歴史上の人物は持統天皇
だったら一度は訪れなきゃだよね(*^o^*)
伝飛鳥板蓋宮跡
うふふぅ(^w^)
田んぼの真ん中でにっこにこのdolce-vita
この場所に立ってみたかったのぉ(≧∇≦)
ここはいくつかの宮殿遺跡が重複してて
発掘された宮殿の遺構は上下2層に分かれてます。
下層遺構は名前にあるように飛鳥板蓋宮
そして上層遺構として今最も有力なのが
飛鳥浄御原宮
壬申の乱に勝利した大海人皇子が
都を近江から飛鳥に遷し
即位したのもココ
持統天皇が飛鳥浄御原令を完成させたのもココ
dolce-vitaの大好きカップルの活躍の舞台となった場所デス
飛鳥板蓋宮は言わずと知れた大化の改新の舞台。
板蓋って今となってはなんだか質素な感が否めませんが
当時茅葺きの屋根が一般的だったなか
板葺き屋根は最先端の建造物だったらしい。
誇らしげに宮殿の名前に冠した辺りが微笑ましい(^w^)
発掘はされてないけど
飛鳥岡本宮、後飛鳥岡本宮もここだったんじゃないかといわれてます。
その時代の物語に思いを馳せつつ
しばし佇む
「春過ぎて…」は藤原宮に遷った後の御製だけど
天香具山探してみたりして
(えっと(?_?)天香具山どこ?)
そう…
ここまでさらりと書いたけど
方向音痴のdolce-vitaにとって
明日香サイクリングの旅は
実は超迷子の旅
各ポイントを移動するのに
地図と首っ引きで大苦戦
古墳は周りの山と区別つかないし
遺構は田んぼの中に急に現れる。
畦道を右往左往した挙げ句
そこはシンプルな石の積まれた遺構ときては
興味のない人にとっては
さぞかしテンションがた落ちであろう
さすがのdolce-vitaもちょっとへこたれそうだったもん
天武・持統天皇陵古墳
こーんな石段を登っていくと…。
てってれー
天武・持統天皇陵デス
当たり前だけど宮内庁の管轄なのね(*^o^*)
宮内庁指定の天皇陵で被葬者がわかっているのは
実はココだけ。
古代史最大の内乱である壬申の乱を制し
今まで以上に権力を掌握して
中央集権化していった天武天皇。
そしてそれを引き継いでカタチにした持統天皇。
「日本書記」や「古事記」を編纂したり。
「日本」とか「天皇」って名称を採用したり。
伊勢神宮を天皇家の守護宮と定めたり。
現在当たり前のことで実はこの二人の時代に始まったというコトは
意外にも多い。
ふふっ(^w^)
しかも持統天皇ったら名前も美しいの
鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ)
万葉集にも歌のやりとりもなく
ラブラブだった気配はあまりないけど
持統天皇は火葬されたあと(火葬も珍しいよね)
天武天皇と同じ陵に埋葬されました。
二人の魂は今も一緒です
京都と違って 鄙の感じがいいですね
オペラから万葉集まで…ほんとに造詣が深い!
持統天皇?いたな~そんな人っていう私
そうだ 勉強をしよう!(そうだオペラへ行こう!のもじり)
そんなコトより紀尾井に行かれたのでは(≧ヘ≦)!?
どうでしたか?o(`▽´)o
じつは昨日 dolce-vitaさんに 長い長い 便箋4枚にわたる「紀尾井レポ」を書いたのですよ(ここに書くのもはばかられ…)
7月お会いしたときに渡そうと…だって それしかお渡しする術がない…
お楽しみに♪
私も紀尾井ホール聴いてきましたよ♥
さすが10人の若いエネルギーは素晴らしかったですよ♪
紀尾井レポ♪
感激ですぅ~(*^o^*)
早く読みたぁい
すっごく楽しみですっ(o^∀^o)
♪(*^ ・^)ノ⌒☆
下関ではマイク使用だったし
dolce-vitaはもうLEGENDの生声禁断症状が出て
ヤバいです(≧ヘ≦)
LEGENDの歌声聴きたいっ
笑顔見たいっ
今の対策は「できるだけLEGENDのコトは考えない!」です。きりりっ
考えちゃダメって
いつも考えてる…
ダメじゃ~ん(≧ε≦)
完全にエネルギー切れですぅ