Sotto voce (^-^)

楽しみを待つ事は、それ自体が楽しみ。
そんなカンジの日々を綴ります♪
Non vedo l'ora!

明日香《四方山》

2012-06-17 10:07:26 | おでかけ
他にはこ~んなものが

飛鳥水落遺跡
中大兄皇子が造ったといわれる漏刻台(水時計)の遺構。
上層にあった鐘や太鼓で時を告げたようです。
ほぉ~


  

石神遺跡
水落遺跡のすぐ近く。
斉明朝の遺構、天武朝の遺構、藤原京時代の遺構と3期の遺構が混在しているハズだけど。
石神遺跡が埋没している一帯は民有地のため、普段は埋め戻されて
のどかな田園風景が広がる。
てゆうか田んぼデス
今まさに田植えシーズン。
畦道を自転車で行くdolce-vitaはちょっとおジャマです


  

飛鳥の戦士
飛鳥資料館にいました~


  

蹴鞠する人々
まだ打合せ中デシタ(^_^;)


  

古代米定食
よくよく考えたら…
玄米+黒米のdolce-vitaのご飯の方が
古代米ちっく?


道に迷ったり
何かに大興奮だったり
山道歩いたりで
もうヘトヘトだった明日香村での一日

いやぁ
超楽しかった(≧∇≦)

結局時間がなくなって行けなかった藤原京跡や本薬師寺。
うっかり行き忘れた万葉ミュージアムや飛鳥池

また行けたらいいな~

明日香《甘樫丘から編》

2012-06-17 08:09:26 | おでかけ
甘樫丘は蘇我蝦夷と入鹿の館があったところ。

あろうことか天皇の宮殿である飛鳥板蓋宮を
完全に見下ろすカンジ

  

  

これでは中大兄皇子が蘇我蝦夷・入鹿親子を
王権を脅かす脅威と見なすのも
無理もありません。

巳乙の変で入鹿の首を討ち取ったのち
この甘樫丘の館に立てこもった蝦夷を討ち取るべく
中大兄皇子が陣を構えた飛鳥寺。
(ちなみに鎌足と中大兄皇子が出会う蹴鞠の舞台も飛鳥寺)

う~ん見える見える


この甘樫丘にはたくさんの万葉の植物もあったりして
展望台に登る道すがらクイズ形式で楽しめる
「これ何の木?」のプレート

そのひとつがコレ
  ↓ ↓ ↓
  

正解は山吹なんだけど。
そ、そうではなくて、この歌

「山振の立ちよそひたる山清水
  酌みにゆかめど道の知らなく」

十市皇女が急死したとき
高市皇子が詠んだ歌
dolce-vitaも読むたび
悲しい気持ちになります。

十市皇女は大海人皇子と額田王の娘で
大友皇子の后となりました。
そう、十市皇女にとって壬申の乱は夫と父の争い
大友皇子が自害したあと
十市皇女を近江から救い出したのが高市皇子。
高市皇子は大海人皇子の第1皇子で
十市皇女の異母弟になる。
一説によると二人は幼なじみの幼い恋人同士だったらしい。
異母姉弟で恋人同士
今の感覚では違和感ありありだけど
当時は倫理的にも全く問題なしだったみたい。
これが同母となるとさすがに許されないようで
中大兄皇子が大化の改新で功をあげてもなかなか即位しなかったのは
同母妹の間人皇女(孝徳天皇の皇后)と恋人同士だったからで
天智天智として即位したのは間人皇女が亡くなった後です。
(↑というのがdolce-vitaのオシ説)
話がそれたけど
幼い恋人同士は結局父の政略で結婚し
別々の人生を歩む。
壬申の乱が終わった6年後
十市皇女が急死(自殺?)
その死を悼んで高市皇子が詠んだ歌が万葉集に載っている。
その3首のうちの1首がコレ。

黄色い山吹の花が彩る山の清水(=黄泉を指す)を汲みに行こう、
黄泉の国にあなたを訪ねて行こうと思うが、
道が分からない。

大事な人を失って寂しくてもう一度会いたいけど
どうしたらいいかわからない。
なす術がない。
誰もが共感できるこのシンプルな悲しさ、心許なさ。

甘樫丘で思いがけずこの歌を見て
dolce-vitaはちょっと泣きそうになりました。

壬申の乱にはいろんなドラマがあります。