月刊誌「正論」が届いた。この雑誌もその昔は分厚い雑誌だったものだが、近年は300ページ強、廃刊になった諸君並の厚さである。なぜ薄くなったと言えば、広告が激減しているというどの雑誌にも共通していることかも知れない。
劇的に薄くなったというのは、CQ誌というアマチュア無線雑誌などでは信じられないくらいになっている。今では消滅してしまったかと思えるほど激減しているアマチュア無線。これは携帯電話が普及したということが大きい。
しかし、実際のところ今回の大震災などでは結構有効なはずなのだが、大活躍したと言う話は聞いていない。

5月号正論は「巨大地震の惨禍」という大特集を組んでいて、当然の構成である。
しかし、そういう大震災の記事ばかりではなく、==セイコの「朝ナマ」を見た朝は(第106回)==(激論!国民に「国を守る義務」が有るのか)という2月の末の放送をテーマにした記事もある。
この2月の議論を見ると、正に亡国の議論で孫崎亨氏(元外務省国際情報局長)の話は何時も通り首を傾げざる終えない。
記事では、孫崎亨氏の「軍事力に阻止力はない」と言う空論を引いている。
どうも変な人物であると思っていたら過去のエントリーにこんな記事があった。
「孫崎亨・在日米軍を『仕分け』しろの可笑しさ1.2」
http://pub.ne.jp/Indianinkworld/?entry_id=2948456
それで分かるのは、この人物はその場限りのことで適当な根拠もないことを言うことである。しかし、それか文書で残ってしまうところに孫崎亨氏は与太話で済まないことになる。所詮、こんな人物に議論させるというのが間違いと言うものである。
そして、大震災3.11以降の感覚とすれば、「セイコの''朝ナマ''を見た朝は」の議論そのものが夢の中の様な話しである。
今現在になってみれば、わかりきった与太話など宜い加減にしてくれと言うばかりではなく、そういう「反日の」人達には「もう人前に出てくるな」と言う感覚にさえ陥る。
雑誌「正論」の中で宮崎哲弥氏は、「戦前」「戦中」「戦後」という時代、世代区分から「震災前」、「震災後」という区分になるかも知れないと書いている。
その時代区分というのは、事実として今後明確になってくる予測がある。
それは、今まで国民の意識として保守が戻ってきたものの政治、官界、学会の分野に置いて未だに戦後民主主義的な国民軽視、蔑視の思想が残っていたことである。
そして、原発事故は過半が災害だとしても、幾分かは不手際による人災の面が強いと言うことが明らかになってきた。
以下その2