毎日新聞「風知草」山田孝男専門編集委員の詭弁を笑う
毎週月曜日掲載という「風知草」、2011/01/24の題は「『問責』が壊すもの」である。この文章の言わんとしていることは、参議院の「問責決議案」を批判しているものの民主党が野党だったときの「問責決議案」にはではなく、予想される与謝野馨・経済財政担当相に対する「問責決議案」である。
「問責乱発の現状は議会政治の履き違えだ。国会というしくみの根本に立ち返り、健全な常識を取り戻さなければならない。」
‥‥と冒頭に述べている。
そうであるなら、今の菅内閣が「健全な常識」を持っているのかと問わなくてはならない。なぜなら、「国会というしくみの根本」以前の問題、即ち国民主権や民主主義、言論の自由、国土防衛など諸々の問題が露呈した菅政権。
本来なら解散総選挙をしても良さそうな低支持率の政権というのは、民主主義の根幹である国民からの信頼を欠如している。
そして、そう言う国民感情を考慮して「問責決議案」という事柄が出で来るのであって、単に政局のために問責決議案を連発するわけではないと言うことである。
それは当然野党時代の民主党でさえそうであって、不当な問責決議案を連発すれば国民支持を失って、次回選挙には負ける。
だから問責決議案というのは、「国会というしくみの根本」の一つと言えるかも知れない。それで、リベラルで名誉欲旺盛の北岡伸一東大教授にお伺いを立ているのだが、お伺いを立てるほどのことはない。
なぜなら日本の参議院の仕組みを変えるのなら、憲法を変えなければならないのだから山田編集委員の言いぐさはご都合主義である。
それで、元々の与謝野馨・経済財政担当相に対する「問責決議案」に収斂(しゅうれん)して行くのだが、そこでまた妙な事を書く。
「与謝野は民主党を批判してきた。その議席は自民党の比例代表で得たものだ。変節、背信という批判には理由があるけれども、国政のあらゆる課題に優先し、国会を挙げて糾弾すべき背徳とまでは思わない。」
与謝野馨氏と言うのは、選挙で海江田万里経済産業大臣に選挙で負け、自民党の比例復活で衆議院議員になった人物である。それを「その議席は自民党の比例代表で得たものだ。」と簡単に片付けて良いものかなのである。
それこそ「国会というしくみの根本」、「議会政治」の基本から見れば、自民党が言っているとおり議員を一旦辞職して、再度選挙で当選すべき事柄だろう。
そしてどうしても菅政権は、経済財政担当相にしたければ議員辞職した民間人の資格ですればよいことなのである。
だから問責決議案の対象になるのであって、「国政のあらゆる課題に優先し、国会を挙げて糾弾すべき背徳とまでは思わない。」というのは民主主義の基本を踏まえない詭弁というものだ。
本来、そう言う禁じ手を使った民主党政権というものを糾弾すべきなのではないだろうか。そして、内閣改造に絡んで北岡教授に近い人達は、仙谷元官房長官らに対する問責決議案を内心不当と見ている発言もある。
よって、この「風知草」の意見というのは、単なる民主党への応援と言うことに過ぎない。
風知草:「問責」が壊すもの=山田孝男
また「問責決議」だ。また参院である。今度は与謝野馨・経済財政担当相(72)の「醜く卑しい変節」(自民党幹事長)が許せないという。
国民はこの混迷を「ねじれ国会」の宿命として受け入れなければならないのかといえば、そんなことは全然ない。問責乱発の現状は議会政治の履き違えだ。国会というしくみの根本に立ち返り、健全な常識を取り戻さなければならない。
参院の問責決議とは、参院が首相や閣僚の失策を重視し、責任を問う(=問責)意思表示を本会議で決める(=決議)手続きのことである。
ただし、問責決議案が可決されたからといって、ヤリ玉にあがった首相や閣僚が辞任しなければならないということはない。つまり、問責決議自体には法的な拘束力がない。
だが、与党が過半数に届かない参院で、野党が「問責閣僚の話は聞けぬ」とボイコット戦術を貫けば、重要法案が通らない。それでは困るから、首相は先々週、官房長官と国土交通相のクビをすげ替えた。
泣く子と「問責」には勝てぬというこの流れは、国会は何のためにあるかという基本に照らして異常である。
議会の国際比較と歴史に詳しい北岡伸一東大教授(62)=日本政治外交史専攻、元国連次席大使=が「問責政局」を憂えていると聞き、先週、東京・本郷の研究室を訪ねた。
北岡教授によれば、日本と同じように2院制を採る議院内閣制の国では、下院(衆院)の意思が上院(参院)に優先するのがふつうである。歴史を顧みれば、多くの国では上院が徐々に衰退し、下院が強くなって民主化が確立された。
国際的、歴史的に見て、上院の役割は大所高所から下院の決定を点検するところにある。上院は権力行使に自制的であるべきだ。ところが、日本の国会は違う。もともと参院の権限が強いうえ、与野党逆転で党派間の抗争が激化した。
この二十数年、参院を発火点とする政変の連続で、日本は中長期の政策を決められない。停滞、ゆがみを正すべき参院議長は率先して政府批判にふけり、メディアには異常事態に切り込む批判力がない--。
政治史の権威の慨嘆を要約すれば、以上の通りだ。
「問責政局」の種をまいたのは民主党だった。参院選圧勝で与野党が逆転した98年、防衛調達汚職の責任者・額賀福志郎防衛庁長官(自民)の問責決議案を可決し、額賀を辞任に追い込んだ。戦後、参院に提出された首相と閣僚の問責決議案は111件あるが、これが最初の可決例にして辞任例だ。
民主党はその後も福田康夫首相問責決議案(08年)、麻生太郎首相問責決議案(09年)を可決させている。福田は3カ月後に辞任。麻生は可決直後に衆院を解散したが、総選挙に惨敗して政権を失った。
顧みて気づくのは、政権担当者に問責決議を突きつけることに対する抑制が年々失われ、提出のハードルがどんどん低くなっていることだ。
与謝野は民主党を批判してきた。その議席は自民党の比例代表で得たものだ。変節、背信という批判には理由があるけれども、国政のあらゆる課題に優先し、国会を挙げて糾弾すべき背徳とまでは思わない。問責決議案の乱発は、閣僚の地位を不安定にするだけでなく、国政の大局を決める国会の機能を破壊すると知るべきだ。
(敬称略)(毎週月曜日掲載)