ずうっと昔、長岡に住んでいた頃。『ボン・オーハシ』って言うケーキ屋さんがあり、奨学金が支給された日に、ストロベリーショートケーキを買って、グレートな贅沢を味わったものです。ケーキを頬張りながら、ふと、「ボン・オーハシ」のボンって、西ドイツの首都のボンのことかなあ、なんて思ったりもして。きっと、ドイツ語を習い始めたせいでしょうか。実のところ、「ボン」はフランス語のBon(素晴らしい)から由来していることを後になって知った次第です。全くもう、ボン人の愚かな考えでした。
14年前、統一ドイツに住んでいた頃のこと。まだ、首都がボンからベルリンに移っていませんでした。当時、科学技術庁に併任していたので、ボンの日本大使館勤務の科学技術担当外交官にお会いすることになったのです。ブレーメンからボンへ、電車で何時間もかけて、何回か乗り換えて、途中ライン川を車窓から眺めながらの旅。電車の一人旅もなかなかのもの。移り過ぎてゆく景色を眺めながら、じっくりと思索に耽るのも良いものです。
ボン駅に到着し、日本大使館へは市電に乗って。当時、一等書記官だったNさんと会合。彼からいろいろとご配慮とアドバイスを頂き、帰途につく。
ボンは、ベートーベンの生誕地。その像をちらっと垣間見て、ケルン経由で、ブレーメンへ。眉間に皺を寄せることもなく、夜遅くはなったものの、無事にアルバース夫人の下宿に帰宅。下宿の冷蔵庫には、ブレーメンの名物デザートであるロト・グリュッツェが。私の不在中にアルバース夫人が作って冷蔵庫の中に入れていてくれたのです。早速、頂く。セ・ボン!
あれから何年も経ち、札幌の地で、かつてお会いしたNさんのお名前に接する機会がしばしば。お元気でしょうかね? これも、運命でしょうか?
時にはなぜか 大空に
旅してみたく なるものさ
気球に乗って どこまでいこう
風に載って野原をこえて
雲をとびこえ どこまでもいこう
そこになにかが まっているから
(合唱曲『気球に乗ってどこまでも』より)
かつて教育実習で、音楽の授業でこの唄を教えたことがある。軽快なリズムなので、こどもたちも楽しく歌っていた、キーが高いにもかかわらず。
さて、機上からは富士山を眺望できる。一週間で、その頂は雪化粧。これからどんな装いに変化していくのか楽しみ。
富士を眺めながら、ふと思う。札幌で空に舞った変形菌(粘菌)は富士山まで届くのだろうか? あっ、居た! そこだ、あそこだ!
時にはなぜか 大空に
旅してみたく なるものさ
気球に乗って どこまでいこう
星をこえて 宇宙をはるか
星座の世界へ どこまでもいこう
そこにかがやく 夢があるから
ラララ ラララ ララー
(東龍男 作詞『気球に乗ってどこまでも』より)
幼少の頃に覚えた味覚は、いつまでも忘れられないものです。
私の故郷に、「うのもりや」というお菓子屋さんがあって、このお店の「カルルス煎餅」が名物。ほんのりとした甘く、軽いサクサク感のある煎餅で、口の中でフワッッと融けるその感覚が今でも忘れられません。
思い出すだけでも、唾液が分泌されます。
さて、北海道には、数多くの温泉があります。ドリフターズの「いい湯だな」の歌詞に登場する「登別温泉」もその一つ。
登別温泉には、いくつかの地区に分かれているのですが、おすすめの一つが、「カルルス温泉」。そこの鈴木旅館へ研究室旅行で行って参りました。
*****源泉の温度は54℃、泉質はカルシウムイオン、硫酸イオン、メタ珪酸を比較的多く含んでおり、無色透明の単純泉。かけ流しの湯と加水した湯を楽しめます。
*****温泉で疲れを癒した後は、温泉卓球。笠原先生、張り切っていますね。
*****体を動かし、お腹も空いた頃、とても賑やかな宴の開始。飲み物は持ち込み可と言う、鷹揚なシステム。
*****夕食後、部屋に戻り、2次会兼11月誕生会。笠原先生とAさんが誕生月。お二人とも、おめでとうございます。
*****翌朝、温泉微生物マット探し。さすが小島先生。旅館前の河原で温泉微生物マットを発見。シアノバクテリアでしょうかねえ?それとも?
*****なにはともあれ、一年に一度の研究室旅行。とても楽しく、賑やかで、なおかつ、一生忘れられない思い出もできましたね!
旅館のスタッフの皆さんにも、大変お世話になりました。ありがとうございました。
幹事さん、お疲れさまでした。来年もよろしくお願いいたします。
好きなことをやっていれば、あっという間に時間が過ぎてしまう。この時間がいつまでも続いて欲しいとも思う。
今朝のオックスフォードは、気温がぐっと下がり、芝に霜が降りていました。朝靄に包まれた、この大学街を去り難い気持ちでいっぱいです。
*****
朝食後、30分程散歩する時間をとることができました。この地も秋を迎えています。
そう言えば、例のテイオンケンの秋はどうなっているのでしょうか?
期待通り、conyさんがその様子をアップしてくれました。すっかり、紅葉が進みましたね。
さあ、札幌へ帰ろう!
以前、中部国際空港から新千歳空港への飛行機内で、隣の席に日本ハムファイターズのヒルマン監督が搭乗していたのにもかかわらず、そのことに気がつかなかったことをご紹介いたしました。
昨日、新千歳空港から羽田への飛行機に搭乗し、席でシリアスな小説を読みながら出発を待っていたときのこと。
出発間際に駆け込みで搭乗し、私の隣の席に座った方がおられました。ふわふわした軽い感じのおじさん。
一目で、吉本芸人の間寛平氏であることが分かりました。その存在自体が笑いを誘うのです。そう言うオーラをプンプンと漂わせているのです。
うーむ、これはまいったなあ、と内心思いました。
隣に存在するだけで笑いを誘う人。これは凄い! だけど、絶対に笑わないぞー! よし、シリアス小説に集中しよう!
何を思ったか、間寛平さんは鼻歌を歌い始めた。歌詞の内容は良く聞き取れないのですが、私には、
♪あめま~ あめま~ あめ~ま~♪
って、肺腑に響き、激しく笑いのツボを刺激するのです。
うーん、笑ってたまるか!
寛平さんが私に向かいながら、次第に声を大きくして鼻歌を増長させて来る。
♪あ~め~ま~♪
うーん、たまんない!負けそうだ。向こうも意識して私を笑わそうとしているぞ~。ここで笑ったら、負けだ。頑張れ~。小説に集中!
しかし、私の身体が笑いモードになって来た。観念しようかな? 向こうは笑いのプロだからなあ。
いやいや、こちらは沈着冷静な低温研職員だ。絶対に笑わないぞ!
そうこうするうちに、寛平さんも根負けか? 気がついたら、彼は鼾をかきはじめのです。
ああ、よかった! プロの芸人に勝ったぞ!
と、その瞬間、箍が外れて、笑いがこみ上げてきました。
私と寛平さんの勝負を観察していた客室乗務員の方も、笑いをこらえていたようです。
こんな時は、我慢せず思いっきり笑った方がいいのでしょうね。
寛平さん、どうもすみませんでした。
新潟県中越沖地震の被災者、特に柏崎や刈羽の人たちの避難生活を思うといたたまれない。ライフラインの復旧もままならず、公民館や学校の体育館での避難生活。さぞかし、不自由で、かつ、ストレスの多い時を過ごしておられるのでしょう。
愛媛大学沿岸環境研究センターでの仕事を終え、鈴木先生たちと夕食をご一緒することに。地元の魚料理のお店『烏賊や』に連れて行っていただきました。おすすめ料理の烏賊のお刺身(活造)をいただく。地震の被災者の方々は生鮮食料品を口にすることができないと言うのに。罪悪感に嘖められながらも、眼前の旬彩に心奪われてしまう。困ったものです。せっかく松山に来たのですから、まあ、いいか。
そして、鈴木先生のイチオシの逸品が、「ほご(カサゴ)」の煮付け。薄味に仕上げており、これまた言葉に洗わせないほど。こうした日本の食卓はメタボ対策に優れている。一刻もはやく、中越地区日本海沿いの町の人たちにも、こうした、いつもの食卓が戻って欲しい。
さて、来る9月15日(土)から18日(火)まで愛媛県松山で日本微生物生態学会第23回大会が開催されます。研究発表予定の院生の皆さんは、「烏賊」や「ほご」を楽しみにして、頑張ってください。現地で皆さんと一緒に「ほご」を食べに行きましょうと言いたいところですが、約束が「ほご」になってもいけないので止めておきましょう。
それにしても、9月の松山では、大学院時代の下宿の「右隣のセンパイ」に是非お会いしたいものです。センパイは、いまでも、「ひ」と「し」の区別ができない江戸っ子のままなのでしょうか? この事を是非検証したい! こんなこと、気にしなくても、まあ、いいか。
今年度グローバルCOEに採択された愛媛大学沿岸環境科学研究センター(鈴木 聡教授)への出張。新千歳空港発ANA866便に搭乗。幸運にも、最前列の3列席を一人で。定刻通り、松山へむけて離陸。そして、音楽チャンネルをJポップクラシックスに合わせる。
久しぶりに窓側の席に座り、機上からの景色を楽しむことに。流れる音楽が、機長アナウンスで中断。「ただいま、秋田上空を航行中」と、機長。そして、再び音楽。今年、再結成された「あみん」の『待つわ’07』が流れる。
♪青く 広いこの空 誰のものでもないわ
風に 一片(ヒトヒラ)の雲 流して流されて
私 待つわ いつまでも待つわ
たとえあなたが 振り向いてくれなくても
待つわ(待つわ) いつまでも待つわ♪
(岡村孝子作詞 『待つわ』より)
湖水中のバクテリア(細菌)は、慣性力よりも分子間力が勝る世界で暮らしている。つまり、1ミクロンと言う微小なバクテリアにとって、水の世界は粘っこくて(低レイノルズ係数の世界)、移動するには多大なエネルギーを消費してしまう。こんな環境で、バクテリアは、餌を取り込むにはどうしたら良いのだろう。分子間力の法則に従って、餌(たとえば、グルコース分子)がバクテリア個体まで拡散してくるのをじっと待ち続けて、パクッと取り込む。この方法であれば、移動のためのエネルギーを消費せずに済む。これは、いわゆる『待つわ』戦略。
こんな話題を以前学部の授業で紹介したのだが、今では「あみん」を知る若者も少ない。『待つわ』がヒットしたのは、なんせ、1982年ですから。
そんな事を考えていたら、すでに、琵琶湖上空。以前、集中的に調査を行ったフィールドである。言わば、ホームレイク。「そろそろフライでも……」と、釣り糸を垂らしたいところだが、その欲望をぐっと堪えて仕事に集中しよう!
座席のテーブルを出して、コンピューターに向かう。机上で宿題を完成させるべく集中。そうこうするうちに、松山空港への着陸態勢に入る。
これから、パワフルな愛媛大学沿岸環境科学研究センターのメンバーと議論。気丈でいないと、彼らに圧倒されてしまう。気合いを入れて、頑張ろう!
ワタクシ、新聞の第一面に登場したことがあります。と言っても、毎日新聞の新潟版ですが。あれは、そうそう、28年前でしょうか?
1979年1月、マークシート方式による共通一次試験が全国一斉に実施されました。共通一次試験元年でしたので、新聞各紙は一面で大々的にその実施の様子を紹介したのです。
私の場合、新潟市旭町にあった新潟大学教育学部旭町校舎(当時の県庁の近く)で受験。そのため、国鉄信越線の加茂駅から、羽生田、田上、矢代田、古津、新津、荻川、亀田、越後石山、そして新潟駅まで45分かけて行き、さらに新潟駅からは新潟交通バスで10分かけてようやく試験会場へ。
雪が降る中、バス停から徒歩で会場の玄関に入ると、新大生から合格飴を貰いました。飴を受け取っている姿が大きく毎日新聞に載ったのでした。特段自慢するような話でなかったですね。すみません。
試験を終え、雪が舞う中、高校の友人Aと帰路につく。新潟駅で電車に乗り込み、向かい合わせに座りながら、「やれやれ、終わったね。やあ、疲れたね」と。電車は、越後石山に停車した。すると、友人Aが、「福井!あれ見ろよ」と駅のホームにある、今いる駅と上下方面の駅名を記した看板(←白い看板です)を指差したのです。
にいがた←えちごいしやま→かめだ
「越後石山を中心に、上下方面の駅名を逆さに読むと、<たがいに・だめか>と読めるなあ」とA。
「なんか縁起が悪いなあ」と私。
ちょっと暗い気分に陥り、次の亀田駅、そして荻川駅に停車。今度は、私が気づいてしまった。
かめだ←おぎかわ→にいつ
「おお、すげえー!<ついに・だめか>だってよ」と私。
「ああ、もう終わりだね」と友人A。
暗澹たる気分でAと別れ、帰宅。どっと疲弊感に襲われたことを今でも思い出します。
あの時、受験を諦めていたら、今はどうなっていたのでしょう。また別の人生が広がっていたのかもしれませんね。
つい先日、JRに移行した信越線に乗車し、新潟駅から加茂駅までの電車の旅を楽しみました。あの思い出の荻川駅に停車した時、なんと例の白い看板が変わっているのです!
かめだ←おぎかわ→さつきの
期待していた<ついに・だめか>ではなく、<のきつさ・だめか>って意味のないフレーズに変わっているのです。荻川駅と新津駅の間に新駅「さつき野」ができてしまったので。ああ、残念!
時と立場が変われば、物事の見方が変わるもの。<ついに・だめか>を期待して、ノスタルジーに浸ろうとしたでのすが。新駅ができたおかげで、「センター試験」を受験する高校生には、無用なストレスを与えなくなったのですね。受験生は、とかく神経質になりがち。「さつき野」駅の存在は大きい!
無事、ブレーメンより帰国いたしました。ブレーメンからパリ・シャルルドゴール空港に到着し、ターミナル2Dから2Fへの乗り換えは汗だくになりました。
帰国便では、先行上映の機内映画『Night at the Museum』(日本題:『ナイトミュージアム』)を鑑賞。夜の自然史博物館で、展示物が・・・・(ネタばらしは、やめておきましょう)。眠気が吹っ飛ぶ作品でした。
その反動のためか、機内ではぐっすりと睡眠を取ることができました。来週に備えて、準備万端です。
そういえば、21日に砕氷艦「しらせ」はシドニー港に到着。低温研出身の気象隊員の滝澤さんからは寄港前に、メールをいただきました。新しい職場でもご活躍を期待しております。
われらの『み・くり』さんは、シドニーへお出迎えにいってしまいました。最後はサプライズですね。なんだか、映画を見ているようですね。何はともあれ、良かったですね。長い間、JARE47応援ブログを綴っていただき、ありがとうございました。
当初の予定を遥かに上回る収穫と大きな悲しみ。ほんの3泊の短いブレーメンの滞在で、確実に次の展開への糧を得る。
今日は最後の日。旅立ちの日は何かと慌ただしいもの。9時半から、朝食会に参加。こうした会はもう何年ぶりだろうか。若い人たちが多く集い、ちょっぴりジェネレーションギャップを感じる。ここは国際的な研究機関。様々な国から研究者がここに集まっている。アジアからの留学生ともお話しすることができた。
その後、古くからの友人達に院生を紹介、と同時に近い将来の再会の約束。
フォルカーは、電気系のテクニシャン。研究所設立当時(1992)からのメンバー。装置の電気系のトラブルが生じた時は、彼に相談すると、すぐに直してくれる。「お互いに老けたね」と、言い合いながら、記念写真を院生から撮影していただく。そういえば、彼の結婚式は傑作で、地元のテレビでも紹介されたことがある。それも、12年前のこと。
毎回そうだが、ブレーメンを去る時は、辛い。ブレーメンに来ると言うことは、ある種の帰郷だと思う。
が、しかし、帰国しなければならない。本務地は札幌。いろいろな方々や事々が待っている、低温研に、さあ、帰ろう!
(昨日の続きです)
アルバース夫人宅で下宿生活を終えてから、12年が経つ。今、ブレーメンのカフェでアルバース夫人とは異なる味のロテ・グリュッツェを口に入れている。今回のブレーメン滞在は3泊。実質2日間しかない。そうだ、アルバース夫人に会いにいこう。
はやる気持ちを抑えながら、バスを乗り換えて、懐かしい、あの場所へ。気温5℃。札幌に比べて暖かいが、雲行きが怪しい。
降りたバス停から下宿までは徒歩6分。5回道を折れて、かの通りにさしかかる。アルバース夫人、お元気だろうか? もう、75歳を越えただろうか?
閑静な住宅街に建つ一軒家。表札には、確かにアルバース夫人の名前がある。電話連絡せずに、やって来たのだから、きっと驚くに違いない。本当は、事前に電話連絡しようかと思ったが、アドレス帳を忘れて来てしまった。だから、今回は夫人に会うのをよそうと、諦めかけていたのだ。
ベルを押す。ピンポーン。返答無し。どこかへお出かけだろうか? いや、オシャレな夫人のことだから、玄関に出る前に身なりを整えているのかもしれない。もう少し、待とう。
もう一度ベルを鳴らす。すると、勝手口からゴソゴソと物音がし、やつれた長男が顔を出す。
「Manabuだよ。どっか、具合が悪いの?」と、私。
「ああ、病気なんだ。ひどい格好してるだろう」と、長男。
「大丈夫かい?」
「今日は寒いし、あまり良くないんだ」
「ところで、お母さんは、どこかへお出かけかい?」
少し間を置いて、長男が重い口を開く。
「母さん、2年前に死んだよ。循環器系の病気でね。突然、血管が破裂しちゃってねえ。大変だったよ」
こみ上げてくるものを抑えられず、だらしない体をさらす。長男にどんな言葉をかけたら良いだろう? 適切なドイツ語の単語を探せど、見つからず。いや、言葉なんていらないのだ。私の姿を見ていれば、英語のできない長男にも、気持ちは十分伝わっているに違いない。
「ここを立ち去る前に、お母さんの自慢の庭を見ていっていいかい?」と私。
「いいよ」と長男。
庭は私の下宿部屋と隣接し、窓越しに、良く手入れされた庭がよく見えていた。さらに、庭の向こうには、牧草地が広がり、ホルスタイン牛を放牧していた。庭と牧草地の間には小さな水路があるのだが、その水路際まで牛が良く集まって来ていた。日曜日の朝などは、JAKOBSコーヒーをすすりながら、下宿部屋から牛を眺めて時を過ごしていた。時々、牛と目が合うこともあった。当時、日本からの情報は短波ラジオに頼っていて、日曜の朝はNHKのラジオジャパンの時間。ある朝、美空ひばりの『愛燦々』がラジオから流れて来て、激しい郷愁にかられたこともある。
アルバース夫人は、この庭をこよなく愛し、手入れをかかさなかった。おそるおそる、その庭へ行ってみると、荒れ放題だ。しばらく手入れをした形跡がない。アルバース夫人は当時、長男の行く末を案じていた。そんな時彼女は、「古い考えかしらね?」と私に尋ねたもの。それに対して、「親の子を思う気持ちは、人種が違っても、いつの時代でも同じなんだと思いますよ」と答えたことを今でも思い出す。
荒れた庭を見ていたら、長男の行く末が心配になって来たのだが、願わくば、幸せに暮らして欲しい。
あの水路際に立つと、懐かしい牧草地が今でも広がっている。ふと足下に目をやると、アルバース夫人の好きだった花が咲いていた。幽き野辺の花。アルバース夫人の「おもい」が、その花に見てとれた。
もう、ここへ来ることもないだろう。長男に別れを告げ、バス停に向かう。雨が降りはじめ、典型的なブレーメンの鈍色の空となってしまった。
今日は彼岸の中日。
時差ボケで現地時間の3時半には眼が覚める。シャワーを浴び、日本からの宿題に取り掛かる。
6時を過ぎれば、おなかがペコペコになる。ここ、マックスプランク海洋微生物学研究所のゲストハウスには、共通のキッチンがある。お湯を沸かし、お茶を飲む。自炊用にレトルトカレーと「ごはん」を日本から持って来たものの、すべてを院生にあげてしまった。お茶だけでは長い一日が持たないので、外へ出てカフェに入る。
スモークサーモンとチーズをのせたパン、珈琲、そして好物のブレーマー・ロテ・グリュッツェ。ドイツ特有の固いライ麦パン。噛めば噛む程、味わいが広がる。最後にデザート。
ブレーマー・ロテ・グリュッツェは、ブレーメンの郷土料理の一つ。ブルーベリー、ラズベリーなどの各種ベリーに砂糖を加えて煮こみ、コーンスターチを加えてとろみをつけ、冷やす。食べる前にバニラソースをかける。この甘酸っぱいデザートが私の好物。
ロテ・グリュッツェには思い出がある。
1994年、ブレーメンで下宿生活を送っていた。ブレーメンでも指折りの閑静な高級住宅地にその下宿があった。大家さんは、アルバース夫人。下宿といっても、玄関は別で、シャワーと簡単なキッチンがついていた。その部屋は、かつて、アルバース婦人の旦那さんのオフィスだった。弁護士業を営んでいたが、私が住み始めるほんの半年前に亡くなられたとのこと。つまり、私が下宿人第一号。
アルバース夫人は、若い頃ロンドンに留学していたこともあり、流暢な英語を話せた。ドイツ語のできない私にはとても都合が良い。右も左も分からない私に、ドイツでの生活のあれこれを息子のように教えてくれた。こんなエピソードがある。アルバース夫人の自家用車はオシャレである。ドイツの自動車と言えば、ベンツ、BMW、フォルクスワーゲンしか知らなかったので、彼女に、「リナルトと言う名の自動車会社もドイツにはあるんですね」と尋ねて見た。そうすると、アルバース夫人は品の良い笑みを浮かべ、「それは、ルノーっていって、フランスの会社よ」。
アルバース夫人には、2人の子供がいる。長女はすでに家を離れて、ボーイフレンドとミュンヘンで暮らしていた。長男は私と同じ歳で、アルバース夫人と一緒に暮らしていた。長男は英語がからっきし話せないのだが、人が良く、時々彼の運転でブレーメン中央駅や空港まで送ってもらった。
アルバース夫人にとっては、東洋人と密に接するのは初めてのこと。きっと大変だったに違いない。私の部屋の掃除もしてもらったし、下着さえも洗ってもらった。本当の息子のように世話を焼いてもらった。
ブレーメン時代は、院生時代同様に研究に集中することができた。そのため、帰宅は決まって遅い。仕事が終わると、研究所から自転車で30分もかかる下宿に戻る。ある日、キッチンにはアルバース夫人の置き手紙があり、「冷蔵庫にロテ・グリュッツェをいれてあるから、食べてね」と。深夜、ひっそりとロテ・グリュッツェをいただいた。アルバース夫人の手作りの味だ。疲れが一気に吹き飛ぶ。それからも、何度も冷蔵庫にロテ・グリュッツェを入れていただいた。
(明日に続く)
日本からのパリ便では、なぜかほとんど眠ることができませんでした。退屈しのぎに、機内映画『武士の一分』を見る。殿様の食事の毒見役の武士がツボガイの毒見で毒にあたり、盲目になってしまう。その後の夫婦のやるせない出来事を描いたもの。古い因習を解き放すには、新しい時代への若さが必要なのか?
『武士の一分』のラストシーンは、いくら凝視しても画面が歪んでしまうのは私だけでしょうか? 隣の席の乗客に見られないように努力。水分が不足したので、ペットボトルの水で喉を潤し、さあ、次は何にしようか?
音楽チャンネルを回していたら、Jポップ・クラシックスで60年代、70年代、そして80年代の特集。時代をおって聴き流す。60年代には、『青年は荒野をめざす』(ザ・フォーク・クルセダース)。うーん、やはりクラシックですね。70年代の最初の曲は、なんと『虹と雪のバラード』でした(この話題はしつこくなっているので、今回で終了!)。『学生街の喫茶店』(ガロ)や『迷い道』(渡辺真知子)というもありました。80年代は、『夢をあきらめないで』(岡村孝子)や『My Revolution』(渡辺美里)でしょうか。
定刻より30分早くパリのシャルルドゴール空港に到着。寒波が来ていて、気温が4℃とか。札幌よりは、はるかに暖かい。ブレーメンへのフライトに乗り換え。定刻通りの出発でしたが、急に雨が降り、30分遅れる。
低気圧が張り出している空を、50人乗りのジェット機は飛行。時々ガタガタと揺れますが、ブレーメンに近づくと晴れ間が見えて来ました。ふと気がついたのですが、風力発電機の数が12年前に比べて急増しています。
ブレーメン国際空港に到着すると、空港内のお店が増えているし、格段に交通の便も良くなっています。空港から研究所までの車窓からは、新しい建物が随所に増えていることがわかります。特に、ブレーメン大学周辺は新しい建物が林立し、以前の牧歌的な風景が霞み、近代的な雰囲気を漂わせています。
「ああ、変わったなあ」と思うことは、我が身が加齢したことを意味しています。つまり、盲目的な若さを失って来ていること。今、ひたすらに、アンチエージング策を考えているところです。