団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★大和・沖縄特攻について

2017年04月17日 | ゼロ戦・大和

  大和の沖縄への特攻は、絶対に不可能であることを分かっていながら実行されたのは、特攻隊と同じで、それをやることにより、日本人は日本の国を守る為にはここまでやるのだという矜持をを見せ、日本人の後世の再生を祈ったものだとねずさんに教えてもらって目から鱗でした。

  その悲劇的な最後についての、驚くべき裏話を上島さんが【Front Japan 桜】で語ってくれています。

  何と、アメリカの第5艦隊指揮官ス プルーアンスが、大和の覚悟に対して、敬意を票して、艦隊で対応するつもりだったというのです。
  その裏には、ニミッツさんと同じで、東郷元帥への尊敬があったようです。

  これは、驚きです。この素晴らしい心意気に涙が出そうです。やはり、上層部のハンモック順位の日本と実力主義の差かも知れないですね。

  大和の話題は、17分過ぎから

 


  サーチしてみたら、何時もの「国際派日本人養成講座」さんが書いてくれていました。全文は、是非リンク元で読んでください。

   
  国際派日本人養成講座より    H12.03.05
 

                               
  ■1.ニミッツ提督■

  チェスター・W・ニミッツは、日本軍による真珠湾攻撃後に更迭されたキンメルの後任として、アメリカ太平洋艦隊司令 長官に任命された。
   
     開戦直後から終戦に至る全期間、米海軍の太平洋方面の最高指揮官を努め、延べ5千隻の艦船、1万5千機の飛行機、2百万の将兵を統率して、米国に勝利を もたらした。
   
     そのニミッツ提督が尊敬してやまなかった海軍軍人が、皮肉にも敵国日本の東郷平八郎元帥であった。日本敗戦後の9月2日、ニミッツはアメリカ合衆国の全 権の一人としてミズーリ艦上で、日本降伏受託書に署名した。

     彼は調印式の前日、東郷元帥が日本海海戦を指揮した旗艦三笠が、どんな様子になっているか、気になって自分自身で確かめるため、横須賀に赴いた。そこに 見たのは、荒れ果てた三笠の姿であった。

  ■2.東郷元帥を尊敬するものの一人として■

     その時のことを、ニミッツは後に「文芸春秋」に寄稿した文章の中でこう述べている。

         管理人の話では、真鍮や銅の付属品は戦争中に軍需資材として、全部取り除かれたとのことだった。そのほかに歴史的価値ある部分がどさくさに持ち去られた 跡もみられた。
        東郷元帥を尊敬するものの一人として、昔から有名なこの軍艦が、これ以上荒らさるべきでないと思い、私は米海兵隊に命じて歩哨(営門などの警戒・監視に任 ずる兵)を立て、三笠を破損したり、歴史的な物品を持ち去ることを防ぐことにした…
       
     しかし、その後も続いた三笠の荒廃にふれて、この有名な軍艦がダンスホールに使用されたとは嘆かわしい…

         どういう処置をとれと差出がましいことはいえないが、日本国民と政府が全世界の海軍々人に賞賛されている東郷提督の思い出をながらえるため、適切な方法 を講ずることを希望する…

         この一文が原稿料に価するならば、その全額を東郷元帥記念保存基金に私の名で寄付させてほしい…(「文藝春秋」昭和33年2月号)…以下略

  素晴らしい話ですが、その裏で、日本人の劣化を見せつけられているような気もします。

  こんな感動的な話なのに、顰蹙を買うかも知れませんが、大和の最後には、思い切り主砲を撃たせてあげたかったですね。



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