団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★人間が神を創造したのではない。神が人間を造ったのだ

2020年10月30日 | 日本再生

 行き過ぎた民主主義、リベラリズム、グローバリズムと頭の良い人達が人類社会を破壊しようとしているとしか思えない危機的な状況が現在なのじゃないでしょうか。

  そんなことをズバリと指摘してくれているのじゃないかと思われる本を宮崎さんが書評で取り上げてくれています。

  多分、教養の無い私などが読んでも歯が立たないのじゃないでしょうか。とは言え、何となくその考えを受け入れたい思いがあります。
  人類は余りにも堕落に向かっているのじゃないでしょうか。

   「宮崎正弘の国際情勢解題」より 令和2年(2020)10月22日(木曜日) 通巻第6677号 

  書評 

 人間が神を創造したのではない。神が人間を造ったのだ
  ヒューマニズム、民主主義、科学文明の毒に汚染された日本は滅亡一歩手前

  執 行草舟『脱人間論』(講談社)

 久しぶりに感銘を受けて震撼した。
 思想家・執行草舟の新作は、戦後タブー視されてきたテーマに正面から挑んだ。「知の冒険」などという陳腐な表現ではな く、これは武士道の哲学に少年時代から遭遇して思索を深めてきた著者が、70年の人生をかけた思索の結晶である。決然と して闘ってきた人生の痕跡、その全エネルギーを注入した思考の書である。
 署名の「脱人間」とは「新しい旅立ち」のことだと著者は言う。
 「いま世を覆っている人間中心のヒューマニズムは、すでに行き過ぎて腐臭を放っている」。
 なぜなら人間が神を創造したのではなく、神が人間を造ったことを否定したからだ。
 ニーチェは「神は死んだ」と言ったが、そうではなく、「人間が神を殺したのだ」(27p)。
 「いまの腐り果てた文明を捨てなければならない」(中略)「現代人は既に、人間として疲弊していまっている」からであ る。
 執行氏があげる三大毒素とは民主主義、ヒューマニズム、そして科学文明である。
 これらはウイルスであり、現代日本人はこれらの「ウイルスに遺伝子と脳の特定部位が侵されて」しまった。それゆえ題名 にあるように『脱人間』の手術が必要だと言い切る。
 ヒューマニズムは西洋の近代化が生んだ真のリヴァイアサンであり、物質至上主義は「魂の進化」ということを忘れてし まった。魂は永遠であり、肉体は現世における単なる容れ物でしかない。
 「魂のために肉体を捨てることは、いまの世の中に受け入れられるものではない。そこには、現代的な綺麗事や優しさと抵 触する本来的な厳しさがあるからに他ならない」(93p)

 著者の信念が次のように開示される。
 「私は武士道だけが好きだったので、この現実に突進する野蛮性を幸運にも持つことが出来た。非常に助かったのは、武士 道が別に立派な思想ではないという点だった。どちらかと言ったら偏りが激しく野蛮だと言われ、人から褒められることは全 くなかった。それが良かった」(ここにいう氏の武士道とは三島由紀夫が座右とした山本常朝のそれである)。
 またこうも言われる。
 「いまの人は本当に去勢状態になっている。だからいまの学校における『イジメ撲滅』もすべて子供の去勢化を目指してい る。子供の感情を、合理的に作り上げられると思いこんでいる。これでは子供の心が崩壊してしまう」(125p)。
 こうした社会趨勢を煽っているのが悪質なメディアである。
 アルベール・カミュは「何か不可能なものが欲しい」と戯曲『カリギュラ』に書いた。
 「不可能に挑戦するのが人間存在の本質であり、本来の人間に備わる特徴を表していた」(139p)。
 なぜ古代の人間はあれほどに動的で挑戦的だったのか?
 それは「原初の人々は、人間を神の分霊と言っていた。神の分霊として、宇宙の霊魂は地球に降り注いでいた。そして、そ の分霊の一部が、後に人間の魂となり、地球上に棲息していた類人猿にはいることによって、肉体を持つ人類が生まれた。だ から、まず魂となったものの原型は、全体的な存在である神の分霊だと言える。その分霊がまた分離して一人ひとりの人間に 入ることによって、個々の人間が生まれた」(142p)。著者はスサノオも「神の分霊だ」としている(389p)。
 現代人の特徴的な認識は狂気を理解できないし、姓と暴力を否定するのが『正しい』と認識しているのだが、「戦争を完全 否定することによって、愛と正義を完全に見失ってしまった。そしてグローバリズムの金銭絶対思想に飲み込まれたしまっ た」(210p)。
 「日本文明を支えていた家族意識を、ヒューマニズムと人権によって根こそぎ失ったのである。日本人は、自己の生きる術 (すべ)を失った。いまの家庭は、日本人の家庭観とは全く相容れないものとなった。今の家庭は家庭ではない。それが分か らなければいまの日本の社会問題は解決しない」(311p)。
すなわちGDPがどうのこうの、所得をあげてデフレをやめ、こどもを増やす政策を云々などという議論は意味がないと執行 氏は訴えているのである。
 肉体は滅びても魂は永遠であり、分霊としての人間が適切でなくなれば魂はほかの容れ物を探す。
 かくして「ヒューマニズムの悪徳を拭わなければ、我々はAIロボットに人間の地位を奪われるだろう。そしてそのときが 来れば、現人間はAIロボットの家畜を化しているに違いない」(396p)。
 読了後、評者はスサノオの荒ぶる魂を、ヤマトタケルの絶叫と静かなる詩を、そして三島由紀夫の雄叫びを聴いたような気 がした。

  これは、ねずさんの説く世界に通じるものがあるようです。それにしても、魂というものを考え出した人類は偉大なのか、それとも逃げなのか。
  こんなことを書くと、まさに神が人間をつくったの考えに背きそうです。やはり、神が人間をつくったと考える方が心は静かになりそうです。

人類永遠のテーマかも!

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3 コメント

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マルテンサイト千年ものづくり (サムライグローバル鉄の道)
2024-08-29 01:09:06
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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科学と宗教の文明論的ダイナミクス (歴史国際政治関係)
2024-09-14 12:17:44
一神教はユダヤ教をその祖とし、キリスト教、イスラム教が汎民族性によってその勢力を拡大させたが、その一神教の純粋性をもっとも保持し続けたのは後にできたイスラム教であった。今の科学技術文明の母体となったキリスト教は多神教的要素を取り入れ例えばルネサンスなどにより古代地中海世界の哲学なども触媒となり宗教から科学が独立するまでになった。一方でキリスト教圏内でも科学と宗教をむしろ融合しようとする働きにより、帝国主義がうまれた。宗教から正当化された植民地戦争は科学技術の壮大な実験場となり、この好循環により科学と宗教を融合させようというのである。その影響により非キリスト教圏で起きたのが日本の明治維新という現象である。この日本全土を均質化した市場原理社会する近代資本主義のスタートとされる明治維新は欧米などの一神教国が始めた帝国主義的な植民地拡張競争に危機感を覚えたサムライたちが自らの階級を破壊するといった、かなり独創的な革命でフランス革命、ピューリタン革命、ロシア革命、アメリカ独立戦争にはないユニークさというものが”革命”ではなく”維新”と呼んできたのは間違いない。しかしその中身は「革命」いや「大革命」とでもよべるべきものではないだろうか。
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NHK大河ドラマ花神を思い出す (司馬遼太郎ファン)
2024-09-14 12:22:44
それにしても古事記はすごいよな。ドイツの哲学者ニーチェが「神は死んだ」といったそれよりも千年も前にイザナミ神についてそうかいてある。この神おかげでたくさんの神々を生まれたので日本神話は多神教になったともいえる。八百万の神々が出雲に集まるのは、イザナミの死を弔うためという話も聞いたことがある。そしてそこから古事記の本格的な多神教の神話の世界が広がってゆくのである。
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