団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

天皇の御公務

2017年10月01日 | 国体・皇室・シラス

  昨日、GHQに仕掛けられた罠による皇室崩壊の恐れを書きましたが、復活したBBさんが、両陛下のおかしな動きを取り上げてくれています。

  健康上ということで、無理やり譲位を通した割には、お元気なようです。全文を、リンク元で読んでください。

  BBの談話室より    2017-09-21

  両陛下の朝鮮神社ご参拝 案の定韓国が狂喜

  さて、そんなお元気で彼岸花の鑑賞や朝鮮神社の参拝と御公務とは思えないお出かけの今上天皇ですが、その御公務にいつて、何時ものねずさんが詳しく教えてくれています。
  何時ものように、是非、全文をリンク元で読んでください。

  大和心を語る ねずさんのひとりごとよ り   2017年09月22日


  京都嵐山の北側に、大堰川(おおいがわ、桂川ともいう)をはさんで「小倉山(おぐらやま)」があります。
まるい、まるでおまんじゅうのような形をしたこの山は古来、紅葉の名所とされ、ふもとには山荘がありました。『小倉百人一首』と いう名称は、藤原定家がこの小倉山の山荘で「百人一首」を選歌配列したことに由来しています。

その百人一首に、藤原忠平(880-949)が詠んだ歌があります。
 小倉山 峰の紅葉葉 心あらば
 いまひとたびの みゆき待たなむ
(おくらやま みねのもみちは こころあらは
 いまひとたびの みゆきまたなむ)

この歌を詠んだ藤原忠平は、後に関白太政大臣にまで栄達して藤原家繁栄の基礎をつくり、没後にその徳をたたえられて「貞信公(て いしんこう)」という謚(おくりな)を贈られた人です。
この歌は『拾遺集(1128番)』に掲載されていて、詞書(ことばがき)には次の紹介文があります。

「宇多上皇が大堰川に遊ばれた際に、
 上皇が見事な小倉山の紅葉に感動して、
 『我が子である、醍醐(だいご)天皇にこの紅葉を見せたい』
 とおっしゃられたことを受け、
 藤原忠平が醍醐天皇に
 そのことを伝えるために詠んだ。」
(原文)亭子院大井河に御幸ありて行幸もありぬべき所なりとおほせ給ふにことのよし奏せむと申して。…中略

 さて、話を元に戻します。
藤原忠平、貞信公の歌の良さが、ただの擬人法の使用にないというのなら、ではこの歌の本当の良さは、いったいどこにあるのでしょ うか。

詞書に書かれていることから、宇多上皇が小倉山へ紅葉見物に出かけ、そこに藤原忠平も右大臣として同行したことが伺えます。
ここでひとつ質問です。
「なぜ上皇が天皇より先に紅葉狩りに出かけているのでしょうか」

答えは、「天皇(醍醐天皇)は、紅葉見物に、「行きたくても行けなかった」です。

いまでもそうですが、天皇の御公務は多忙をきわめます。
ありがたいことに私たち一般庶民の多くは週休二日ですし、盆暮れのお休みもあります。
年間の休日は、祭日を含めれば軽く百日を越えます。
つまり、一年のうちの三分の一がお休みになっています。

ところが陛下には、お休みがありません。
一年三百六十五日、すべてが御公務の毎日です。
公務の数は年二千回を超えます。
一日平均、5〜6件の御公務のスケジュールがはいっているのです。
そしてそのいずれもが、国の大事であり、なかには国運を左右する重大な用件を含みます。

そして陛下の御公務にはミスが許されません。
風邪さえひけないし、ひいても寝込むことも許されません。
プライバシーもありません。

それだけの厳しい御公務を、陛下は日々こなしておいでになります。
さらにその忙しい御公務の合間をぬって、田んぼにはいって農作業をされたり、様々な研究もされています。
このことは醍醐天皇の昔も、昭和天皇の時代も、今上陛下の時代もなんら変わることがありません。

それだけ多忙な御公務のなかでも、日本の心、みやびな心を失わないでいらっしゃるのが、我が国の天皇です。
そしてその天皇は、政治権力を持っていないのです。…以下略

  ねずさんが、今上陛下の今回の朝鮮神社参拝を揶揄して書かれたとは思いませんが、何とも、考えさせられる話題です。

  BBさんじゃないですが、御公務をないがしろにして出歩かれているように思うのは私だけでしょうか。
  これで、上皇になられたら、本当に韓国に謝罪旅行でも行かれそうで、怖いものがあります。日本は、大丈夫でしょうか。
  皇室が崩壊すれば、当然国体も同じです。ということは、日本の消滅でしょう。GHQの思惑通りです。今でも、アメリカがそう考えているとは思えないのですが、どうなんでしょう。



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