いずれは世界の共通後にすべきと思っている素晴らしい日本語が、戦後のGHQや戦後利得者の企みでどんどん劣化しているようです。
毎年発表される「言葉の意味」に、自分の無知を改めて認識させられ恥ずかしくなります。やはり、きちんとした教育を受けてこなかったことも原因でしょう。
今回の「借金をなし崩しにする」も、完全に間違って理解していました。時代による変化は受け入れるべきものもあるでしょうが、やはりきちんと残すべきことはしなければならないのじゃないでしょうか。
産経ニュースより 2018.9.25
借金をなし崩しの意味は…3人に2人が違う意味に 文化庁の国語調査
「借金をなし崩しにする」の意味を本来の「少しずつ返していく」と回答した人が19・5%にとどまったことが25日、文化 庁の平成29年度国語に関する世論調査で分かった。「なかったことにする」と回答した人は65・6%に上り、3人に2人が本 来と違う意味で使っているとみられる。
文化庁によると、辞書では最初に「借金を少しずつ返していく」が挙げられるが、「物事を少しずつ崩していく」や「あいまい にしていく」という意味でも使われている。
「檄(げき)を飛ばす」も本来の「自分の主張や考えを広く人々に知らせて同意を求める」を選んだ割合は22・1%。本来と 違う「元気のない者に刺激を与えて活気づける」は67・4%と、「激励」の意味と勘違いしている人が多いとみられ、「監督が ゲキを飛ばした」といったスポーツ紙などのカタカナ表記が影響した可能性もあるとしている。
「彼はやおら立ち上がった」という文脈で使われる「やおら」は本来の「ゆっくりと」が39・8%、本来と違う「急に、いき なり」は30・9%。文化庁は「言葉は時代や場所で変容し、本来と違っても誤用とまではいえない」とする。
国語世論調査は、国語への意識や理解の現状を調べて施策に生かすため、文化庁が7年度から実施している。29年度調査は 30年3月、16歳以上の男女3579人を対象とし、2022人が回答。国語や言葉への関心なども調べた。
「日本語を大切にしているか」の質問では、「している」「考えてみればしている」を合わせると64・9%。同じ質問をした 13、20、27年度にかけ69・1%から78・5%へ上昇していたが、今回は27年度から14ポイント低下した。文化庁は 「質問の順番にもよる。軽々に判断できない」と話している。
日本語がどんなに素晴らしい言語であるかを知れば、黙っていても大切にするでしょう。
何と言っても、2017年 4 月 16日(日)、第 1032回の「外 国人には虫の声が聞こえ無い?」で取り上げたように虫の声を聞き分けることが出来るのが素晴らしいじゃないですか。
それだけでも、世界共通後にする価値があると言えば言い過ぎでしょうか。
簡単な和製英語は便利で、自然に使ってしまいますが、完全に日本語になっているものも沢山あります。果たして、それが日本語にとって良いのかどうかと言えばやはり考える必要はありそうです。
それどころか、この頃は、無理やり英語を持ってきて使う傾向が増えているような気がします。英語を使えばかっこいいとか庶民を上手く騙せるとかの意図でもあるのじゃないでしょうか。
そんなことを思っていたら、何時もの産経の田村さんが、何と、「追い込まれると横文字に頼る『エリート』」と、成る程、そうだったのかと納得させられることを書かれています。
これは、本当かもしれませんね。特に反日売国左翼・在日マスメディアや野党議員に目立つのじゃないでしょうか。
産経ニュースより 2018.8.11
【田村秀男のお金は知っている】円 高リスクを招く黒田日銀 追い込まれると横文字に頼る「エリート」
小賢しい「エリート」は追い込まれると、往々にして横文字に頼る。日銀の黒田東彦(はるひこ)総裁が7月末の金融政策決定 会合後に強調した「フォワードガイダンス」もその例である。直訳すれば「金利の先行きの指針」で、従来の低金利維持のためだ という。(夕刊フジ)
そもそも中央銀行による金融政策というものは、洋の東西を問わず当面の市場金利の誘導を目的としている。あえてカタカナで 言うのは、真の狙いを隠すためではないか、と疑いたくなる。
黒田総裁はガイダンスについて、「当分の間、現在の極めて低い長短金利の水準を維持する」と説明。「現状維持」と言えば済 むはずだが、横文字を引っ張り込んだ以上、あまり知られたくない変数を紛れ込ませていてもおかしくない。「“悪魔”は細部に 宿る」。総裁発言をチェックすると、現在はゼロ%前後に誘導している長期金利を0・2%まで上昇してもよい、というくだりが 見える。
償還期間10年の国債利回りを基準とする日本の長期金利は、米金利上昇の影響を受け、市場では先高観が漂っている。そんな 中で、一般的な融資よりも国債の運用に頼るメガバンクは収益悪化に遭遇し、日銀に対し不平不満たらたらだ。そこで、日銀は 「これからは金利上昇の余地あり」というシグナルを送った。が、建前はあくまでも「現状維持」である。
日銀は白川方明(まさあき)前総裁時代末期の2013年1月、安倍晋三政権との間で脱デフレに向け、物価安定目標と称する 2%のインフレ率実現の共同声明に署名した。安倍首相はその早期達成を確約する黒田氏を高く評価し、同年3月に日銀総裁に抜 擢(ばってき)した。ところが、黒田日銀はそれに失敗し続け、2期目に入っても2%達成の意欲が見受けられない。
デフレ圧力が続く原因は14年4月からの消費税増税で、増税実行に向け安倍首相の背中を強く押したのは財務官僚上がりの黒 田氏である。増税に伴う景気への悪影響は金融政策でカバーできるが、増税しない場合の金利暴騰リスクには対応できない、と論 じ首相をビビらせた。増税の結果、アベノミクスは失速、デフレ圧力が再燃した。
黒田氏はその後、マイナス金利導入に踏み切るなど「異次元緩和」を追加してきたが、不発続きだ。2%達成を無期限延期せざ るをえないのは、財務省の増税路線に黒田氏が肩入れしたためだ。
異次元緩和によって、唯一成果が認められるのは超円高の修正だ。グラフは、長期金利からインフレ率を差し引いた実質金利の 日米金利差(米国分マイナス日本分)と円ドル相場の推移である。異次元緩和開始当初は日本の急速な金利低下に従って円安局面 に転じたが、消費税増税後は物価下落とともに日米金利差が一挙に縮小し、円安傾向が止まり、現在に至る。
日銀がこのまま金利の上昇を容認し、デフレ圧力が去らない場合どうなるか。黒田総裁はしきりに「海外からのリスク」を口に するのだが、円高リスクには対応できそうにない。(産経新聞特別記者・田村秀男)
やはり、無理やりの横文字は日本語を劣化させるだけじゃないでしょうか。それを、日本嫌いの反日売国左翼・在日共が使いたがるのも案外理に適っているのかも。
この部屋では、日本語こそ世界共通語にと、下記一覧のように何度も書いてきました。
5月08日 、第 1419回の「★ 日本語が世界共通語に最適な訳」
2014 年3月3日(月) 第 5279回 日 本語を 世界共通語に
2014 年4月30日(水) 第 5337回 鶯 の鳴き声が分らない
2014 年5月12日(月) 第 5349回 い よいよ世界共通語か
2017年 4 月 16日(日) 第 1032回 外 国人には虫の声が聞こえ無い?
2017年 5 月 13日(土) 第 1059回 日 本語で世界を平和に
と言うのも、上記のようにネットで知るにつれ、こんな素晴らしい言語はないと確信するようになったからです。こんな素晴らしい言葉を捨てて英語を世界共通語にすれば、世界は劣化するばかりでしょう。
それに比べて、日本語なら世界の人にとっても幸せを齎すと思われます。
何と、何時ものねずさんが、その日本語の凄さを取り上げてくれました。これは心強い。何時ものように、全文をリンク元で読んでください。
大和心を語る ねずさんのひとりごとよ り 2018年05月14日
実 はとてつもなく古かった日本語
かつて谷村新司がロンドン交響楽団をバックにレコーディングをしたことがあります。
そのとき日本語の素晴らしさを再認識し、日本語を大切に歌っていくことを信念にしたそうです。
ディズニー・アニメの『アナと雪の女王』は、世界的ヒットとなったアニメ映画ですが、そのなかの挿入歌の『レット・イット・ ゴー、ありのままで』は、世界25ヶ国語に翻訳され、それぞれの国の歌手が歌ったものがyoutubeで公開されました。
このとき、世界中の人たちが驚き、そして圧倒的な人気をはくしたのが日本語バージョンです。
それは、歌った松たか子さんの声の素晴らしさももちろんあるでしょうが、日本語による発声が、メロディに+αの効果をもたらした のかもしれません。
どこの国でも、それぞれにお国自慢があります。
ここで日本語が世界一だと述べるつもりは毛頭ありません。
ただ、ひとついえることは、どうやら日本語には、他の言語にはない、不思議なところがあるということです。
ひとつは言霊(ことだま)です。
言葉に魂が宿る。
ではどうして言葉に魂が宿るのかというと、日本語が実はもともとそのように構造された言葉だからなのだそうです。
構造とは、日本語の文法や発音や語彙のことです。
どうして魂が宿るのかというと、日本語がそもそも自然との共生を大切にして育まれてきたから言語だからなのだそうです。
2つ目はオノマトペ(仏:onomatopee)です。
オノマトペというのは擬声語を意味するフランス語です。
擬声語は、たとえば
わんわん、メーメー、ブーブー、ニャーオ、ホウホウといった動物の鳴き声を真似たものや、ドキドキ、パチパチ、バキューン、チ リーン、ドカン、カリカリ、バタン、ガタピシ、ガタンゴトン、パチバチ、ビリビリ、ジュージュー、グワァ〜ン、パタパタ、ボキポ キなどなど、音を真似たもの、あるいは、おずおず、おどおど、めろめろ、ふらふら、きゅんきゅん、きらきら、ぴかぴか、ぐずぐ ず、ツルツル、サラサラのように、本来音を発しない感情などを言葉で表現するものなどのことです。
おもしろいことに、擬声語(オノマトペ)は、言語ごとに、表現がまったく異なります。
冒頭にあるのは、その違いを示した絵本の抜粋で、クリックしていただくと当該ページに飛びますが、たとえば食事をするときは、日 本では「PAKU PAKU」ですが、英語では「CHOMP」、フランス語では「MIAM」、イタリア語では「GNAMグナム」、Korea語では「NYAM」です。
キスは日本語では「CHU」ですが、英語では「MWAH」、China語では「BOH」です。
つまり言語によって擬声語(オノマトペ)は、まったく異なります。
ということは、それぞれの言語圏においては、音がそのように聞こえているということです。
そして日本語の擬声語(オノマトペ)は、China語やKorea語ともまったく異なるものです。
ということは、日本語はChinaやKorea半島からの輸入語では絶対に「ない」ということです。
はありません。
日本語は、この擬声語(オノマトペ)が、他の国の言語と比べて著(いちじる)しく多いのです。
その数、なんと5千語です。
日本語の単語数は、たとえば『日本国語大辞典』の収録単語数が50万語です。
このことは、日本語の1%、およそ100語にひとつが擬声語(オノマトペ)であるということです。
そして単語の中には、日常生活でよく使われるものと、そうでない(たとえば学術用語)ものがあります。
オノマトペは日常的によく使われる語です。
早い話、今朝起きたとき、ご家族に「ぐっすり寝れた?」と聞く。
その「ぐっすり」というのがオノマトペです。
しかし睡眠は「ぐっすり」などという音は立てません。
ではなぜ「ぐっすり」というのかというと、「ぐうぐう、すやすや」寝ているからです。
その「ぐうぐう+すやすや」が短縮されて「ぐっすり」です。
「ぐうぐう」も「すやすや」も、なんとなく、そのような音を立てているといわれれば、なんとなくそうかもしれないと思われるか もしれません。
では、
風が「そよそよ」と吹く
太陽が「かんかん」に照る
白い雲が「ぽっかり」浮かぶ
星が「きらきら」光る
などはどうでしょうか。
風は「そよそよ」などという音をたてないし、太陽は「かんかん」なんてしゃべったりしません。
ではなぜこのようなオノマトペが使われているのでしょうか。
きたのかといえば、、自然がそのような音を立てているのではなくて、受け止める側が自然が発する音をそのように聞いているので す。
このことについて考古学者の小林達雄先生は、「人々が、人と人との間で行うコミュニケーションのための言語活動と同じか、ある いはそれに近いレベルで自然と向き合い、自然との間で活発な言語活動を行ってきた結果」(『縄文文化が日本人の未来を拓く』 p.134)と述べておいでです。
つまり、日本語は「自然と対話しながら発達してきた言語」なのです。
だから欧米人にはただの雑音にしか聞こえないカエルの鳴き声や虫の声も、日本人には美しい秋の音色となって聞こえる。なぜ美し いのかといえば、それは人がカエルや虫たちとコミュニケーションしているからです。
では日本語は、いつ頃の時代から形成されはじめたのでしょうか。
言語の発達には、ムラの形成が欠かせません。
なぜならムラを営むには、言語が必要だからです。
そしてそれは磨製石器の登場と時期を同じにするというのが世界の考古学会の定説です。…以下略
こんな豊な表現力を持った日本語をすたらすのは余りにも勿体無い。それを防ぐには、世界共通語にすることです。
世界の人に虫の声を聞き分けさせてあげましょう。
ネットのお陰で、日本語の素晴らしさを知るにつれ、英語なんかに世界共通後の地位を取らせる訳には行かないと思いだしました。
それで、8日(火)、第1419回の「★日本語が世界共通語に最適な訳」などを書いてきました。
それだけに、英語教育ブームや企業が公用語に指定したりしているのを苦々しく思っていました。
そんな思いに答えてくれる記事がありました。やはり、今の英語教育には問題があるようです。
かなり長いので全文はリンク元で読んでください。ここでも、文科省に問題があるようです。
SankeiBizより 2018.5.4
この国の「言語教育」が迎える末路…専門家が直言「TOEICが日本を滅ぼす」
英語能力のテストとして、学校教育でもビジネスでも重要視されるTOEIC。しかし長年、企業の語学研修に携わってきた猪浦道 夫氏は「TOEICは英語能力検定試験として欠陥がある。TOEIC対策講座に成り下がった英語教育を進めることで、母国語をふ くめたそもそもの言語教育に悪影響が出ており、日本人の知的レベル低下を招いている」と警鐘を鳴らす--。
TOEICハイスコアは成功への登竜門?
筆者は長年、語学教育にたずさわってきましたが、30年ほど前から学校の英語教育が「文法偏重から会話力重視へ」と急カーブを 切り始めました。そのころからビジネス界でもグローバル化の標語のもとに、ビジネスピープルたるもの「誰もが英会話力は必須」の ような雰囲気になってきて、どこか不気味な感じがしていました。
その象徴的な存在がTOEICの急成長です。昨今では、あたかもこれからの教育界、ビジネス界ではTOEICのハイスコアが成 功への登竜門であるかのごとくみなされるようになってきています。
1990年ごろまで、英語力を認めてもらうには「実用英語技能検定(英検)」が一般的でしたので、この試験は英検に比べてさぞ かし画期的な試験なのかと思いました。そこで、この試験の問題を分析してみましたが、そのときの正直な感想は、「これがビジネス に役立つ実践的な英語力とどういう関係があるのか。全体的に英検のほうがまだ数段優れているな」というものでした。
にもかかわらず、TOEICの浸透はやがて文科行政、企業教育にまで及んできて、いまや猫も杓子もTOEICという状況になり ました。知人、生徒たちにTOEICの感想を尋ねてみると、その反応の多くは、TOEICなんてあまり意味がないけど上から受け ろと言われたので、就職の書類にスコアを書く欄があるので、また若い世代の場合、大学受験で一定のスコアが求められているから仕 方がない、という消極的またはやや否定的な意見でした。
いまや、小中学校から大学、大学院、そしてビジネスピープルに至るまで、なんでもかんでもTOEICで学習者の英語力を図ろう としています。
しかし、TOEICで測れる英語の能力は、あたりさわりない英語トーク(しかも米語の発音)の聴き取りと、専門性の低い英文の 理解力だけです。しかも、後者の場合、日本語をまたいでの翻訳力はまったく評価できません。この点では、いろいろな問題はあるに せよ、英検のほうが圧倒的に優れています。…中略
国語ができなきゃ英語なんてできるわけがない
私は、最近、英語のみならず母国語である日本語も含めて、日本人のコミュニケーション能力、論理的思考力が変調をきたしている のではないかと思うようになりました。この傾向は、一般の人々や若者ばかりでなく、ビジネスピープルや知識人と呼ばれる人々のあ いだでも顕著で、はたで他の人のトークを聞いていても話がかみ合っていないと感じることが多いのです。
私はこの度『TOEIC亡国論』という、あえて刺激的なタイトルの本を出版しました。それはなぜか。本稿でもこれまで、英語能 力試験としてのTOEICの欠陥を示してきましたが、そんな試験が社会に当たり前のように受け入れられてしまったことで、英語に とどまらない言語教育そのものに悪影響を及ぼしはじめているという、強い危機感があるからです。
認知科学者で慶應義塾大学名誉教授の大津由紀雄氏は、文科省「教育の在り方に関する有識者会議(第3回)」において、大学での 英語教育の現状を「TOEICの対策講座化に堕している」と評し、「TOEICでの高スコアは必ずしも英語の熟達度を示すもので はな」いと喝破しています。…中略
文科省の行政指導には、大きな問題があります。経済政策とか外交政策とか、およそ政策というものは、基本的には優れた専門家に よる検討を踏まえて決められていくものでしょう。ところが、文科省の(特に)英語教育に関しては、優れた専門家の諮問に耳を傾け ているとはとても思えません。志ある立派な専門家がどれだけ主張しても、一向にそれが好ましい形で英語教育に反映されません。
浮ついた英語学習を改めて、そろそろ日本人の言語教育がどうあるべきか、国際社会での真のコミュニケーション能力には何が必要 かを、国民ひとりひとりが原点に立ち返って考え直してほしいと思う今日この頃です。
なる程、文科省は専門家の意見も聞かずに指導をするんですね。道理で、未だに、小学校から英語会話なんてボケたことをやる訳ですね。
ネットを見ていると、英語の専門家ほど、日本語の大切さを強調していることさえ知らないのでしょうか。
まずは、日本語と日本の本当の歴史を勉強してから英語を始めるべきでしょう。特に、世界に出て英語で働く人には是非お願いしたい。特に、外務省や商社などには日本語と歴史は必須です。
日本語の素晴らしさを知るにつれ、日本語こそ世界共通 後にすべきだと書いてきました。何と言っても、日本語で育ては、虫の声を聞き分けられるというのは決め手でしょう。
只、その障害となるのが日本語の難しさと言われています。ところが、これが間違った常識のようです。
武田鉄矢さんが三枚下ろしで素晴らしい日本語の特徴を紹介してくれています。
外国人が日本に来ても、あっという間に日本語で意思疎通できる目から鱗の特徴があるのです。政府・外務省が、この日本語の凄 さを世界に広めれば、あっという間に日本語が世界共通語になるかもしれません。
日本語の簡単さについては、51分頃から。
【武 田鉄矢 今朝の三枚おろし】日本語には"名詞”なんて必要ない!―『日本語が世界を平和にするこれだけの理由』まとめ!【武田鉄矢のラジオチャンネル】
2014 年3月3日(月) 第 5279回 日 本語を 世界共通語に
2014 年4月30日(水) 第 5337回 鶯 の鳴き声が分らない
2014 年5月12日(月) 第 5349回 い よいよ世界共通語か
2017年 4 月 16日(日) 第 1032回 外 国人には虫の声が聞こえ無い?
2017年 5 月 13日(土) 第 1059回 日 本語で世界を平和に
今日の、「★吉田証言のようなことがあったら朝鮮の男は黙ってみていない」で、取り上げた【ボ ストンから一言】に、同じ女学生だった方が、日本語の素晴らしさも語ってくれています。
台湾の方もそうですが戦前の日本の教育を受けた方達の日本語の素晴らしさは現代人には到底及びもつかないものがあるようです。
やはり、前川のような次官を排出する文化省は解体して出直すべきです。
その韓国の女性は、日本語どころか漢字を捨てた韓国を馬鹿なことをしたと言われています。やはり、日本語は素晴らしいようです。世界の共通後にすれば世界はきっと素晴らしくなるはずです。
産経WESTよ り 2018.3.25
韓 国政府は馬鹿なことをした…漢字排した韓国語は「斜め読みが難しい」 蓮池薫氏翻訳本に感動する日韓バイリンガルの声
▼(6)日本の帝大や陸士を卒業、サムライ魂で韓国建国に尽力した朝鮮の秀才たち…から続く
米ボストンでは、日本から手に入れた本を読み終えると、去年7月に亡くなった韓国出身の友人、Hさんに貸していた。日本の文学 を愛し、本の好みも私と同じだったからだ。
そして、2人で読後感を話し合うのが常だったが、いつも内容だけでなく、彼女は人物名まで覚えているので「恐るべき記憶力です ね」と感銘したことがある。
すると、Hさんは「日本語ほど情緒深い表現ができる言葉はありません。ですから私は3度読み返し、作者の意を解釈するようにし ています」と語り、私は敬服させられていた。
6年前に蓮池薫氏の初めての翻訳本である「孤将」を日本から取り寄せた。
原作は、韓国の有名な作家、金薫氏の大ベストセラーである歴史小説「刀の詩」。
文禄・慶長の役で、怒涛(どとう)のごとく押し寄せる豊臣秀吉の大軍と、朝鮮水軍を率い巧みな戦術でついに勝利を治めた李舜臣 (イ・スンシン)の物語だ。
李舜臣は、派閥争いに明け暮れている無能な大臣の讒言(ざんげん)や愚鈍(ぐどん)な王に翻弄され、兵の数で劣る自軍を勝利に 導く方法として潮の流れと満ち引きを緻密に計算した作戦すら、戦闘経験もない愚かな大臣たちの反対にあい、ついには、拷問され牢 につながれてしまう。
息子を案じる80歳を過ぎた母親が乗った小舟が沈み消息を絶ち、1人息子も戦死をする。
李舜臣が文禄の役から戦死直前まで書き続けていた日記が残っており、1人の人間として苦悩し葛藤し、そして絶望に陥る様を、蓮 池氏は見事な日本語で描き出している。
ハングルは読みづらい
この翻訳本を読み始めるやいなや、取りつかれたようにのめり込んでしまい、早速、Hさんに電話をして「急いで読み上げますから ね」と興奮して言った。
すると、「日本からもう1冊、手にいれることはできますか。蓮池さんの売り上げに協力したいのです」と申し訳なさそうに返事が 返ってきた。
毎月、取り寄せている文芸春秋で、蓮池氏の事情を知る彼女は、売り上げに少しでも協力したいとの思いだった。
ある年配の韓国人の話によると、韓国語の70%以上は中国の漢字からなのだそうだ。
漢字を排した韓国では、全てハングルで書かれているため、一字、一字は平仮名を読むのと同じことで、戦前の日本語教育を受けた 年配者たちは、非常に読みづらく時間がかかると嘆き、日本の本を好む。
韓国に住む友人のR教授などは、「漢字が使われている日本の本は、急いでいるときなど斜め読みができますが、韓国の本は難し い」と話す。久しぶりに“斜め読み”という言葉を、それも韓国人から聞かされた。
≪話は脱線するが、こんなことを聞いたことがある。
学生で混み合うバスの中、名札をつけた1人の男子生徒の胸元を見た女生徒たちがヒソヒソ話をしている。
「林信中(はやし・のぶなか)」という立派な彼の名は、漢字禁止令となったためハングルで「イムシンジュ」と書かれ、意味は 「妊娠中」となってしまうという。漢字禁止の影響はいろんなところに出ていたようだ≫
蓮池さんの本を読み終えたHさんは、私たち日本人が決して気づくことのない点を指摘した。
「原作には、同じ発音の地名や場所が多く、名前も発音が同じ人物が登場するので、どこの地か、誰が誰なのか分からなくなってし まうのです」
「これが漢字ですと、一目瞭然なのですが、政府は実にばかなことをしました。ですから蓮池さんは、まず初めに朝鮮半島の歴史、 文化、風習、地理、土地名等々、そして数多く出てくる兵や大臣たちの漢字名を探し出さないといけません。それから訳が始まるので す」
著者に「翻訳本の方が面白い」と手紙
Hさんは「想像を絶する忍耐と苦難に挑戦されたのですね」と話していた。
「原作よりも日本訳の方がはるかにひきつけるものがあります。勇猛な武将だけでなく人として身近に感じられるのです。能無し大 臣や愚かな王に翻弄される苦悩や孤独、それは蓮池さんが題名とした「孤将」そのものです」
「長いとらわれの身で、日本語から遠ざかっていながら、これほど格調ある日本語を書けるとは、生まれながらの文学的素養がある のですね」と感銘していた。
Hさんの感想を聞いた私は思わずこう語りかけた。
「Hさん、あなたが言われたことを日本語で蓮池さんに書いてください。気づいた読者が1人でもいることを知らせましょう。彼の 苦労が報われます。きっと喜ばれますよ」
下手な日本語だと尻込みするHさんを叱咤(しった)激励して手紙を書かせた。
半月ほどして、思いもかけず蓮池氏から、Hさんと私にも、自筆で返事をいただいた。
人柄を表す優しい字体と、誠実さが伝わる内容の手紙だった。
Hさんへは横書、私へは縦書きで書かれ「額縁に入れるのには、縦書きの方がきれいですよ。かえっこしましょう」と冗談を言うほ ど感謝をしていた。
それからしばらくして「実は、勢いに乗って、韓国の金薫作家にも手紙を出しました」と恥ずかしそうに言うのには「えっ?」と絶 句。
数か月経っても返事はなかったそうで、「蓮池さんの翻訳本の方が面白かったと書いたでしょう。それなら返事がくるわけないです よ」と言って2人で笑っていたのが、昨日のように思える。…以下略
蓮池さんこんな仕事をされていたんですね。不幸を乗り越えて頑張っておられることに敬意を表さざるを得ないですね。極貧の身ではその本を購入することもできないことが情けない。
それにしても、日本語の素晴らしさに改めて、素晴らしい国に産まれた幸せを思わざるを得ません。尤も、その素晴らしい日本語を勉強してこなかったのは情けないです。
これからの子供達には本当の素晴らしい日本語を勉強してもらいたいものです。そして、将来は、日本語が世界共通語になる日が必ず来るはずです。
何と言っても、虫の声を聞き分けることが出来る素晴らしい言葉なのですから。
70年の人生で一度も海外旅行の経験もありませんでした。英語を習得できなかったことへの反省もありました。
しかしながら、それも運命だったのでしょう。と言うか、ネットでねずさんなどにより日本の素晴らしさに目覚めることも無く海外に出ていたら日本人の評判を落としていたと思うとぞっとするものがあります。
今だったら、大丈夫ですが、残念ながら金も体力もなしですから面白いものです。やはり、これも運命でしょう。
そんな思いにさせてくれたのが、何時ものねずさんの今回の話題でした。
この部屋でも何度も書いてきましたが、海外で仕事をする人達には日本の歴史の試験を受けさせてからにして欲しいという考えを改めて思いました。
海外に出る人達には、せめて、これを読んでからにしてほしい。
大和心を語る ねずさんのひとりごとより 2018年02月24日
外国語がペラペラでも人間としての中身がペラペラでは
5年ほど前に、友人のOさんから聞いた話です。
Oさんは、長く海外で暮らして日本に帰ってきた方です。
「向こうにいますとね、
『君はチーヌか?』と良く聞かれるんです。
チーヌって、Chinaのことなんですね。
あんまり年中聞かれるものだから、
面倒くさくなって
『Yes.』なんて答えようものなら、
たいへんなことになります。
二度と相手にしてもらえなくなるんです。
だからちゃんと、
『No. I`m Japanese.』って答えるのですが、
そうすると相手は途端に
とってもうれしそうな顔になって、
いろいろ話しかけてきます。
私だけじゃない。
みんなそうです。
ところがね、そこからが問題なんです。
しばらくいろいろ話をしていると、
『No. You are not Japanese. 』と言われて、
とても不愉快そうな顔つきになり、
そうなったらもう二度と
相手にしてもらえなくなる
日本人が多いんです。
連中はっきりしたものですよ。
なぜ相手にしてもらえなくなるかって?
そりゃそうですよ。
日本人の男は、
高い文化意識と誇りを持った
SAMURAIだって思ってるんです。
先入観とでも言うんでしょうかね。
ところが最近の日本人と話すと、
その文化意識がまるでない。
空っぽなんです。
空っぽっていうのは、
バカだってことで、
バカと付き合っても
学ぶものなど何もないから
もうつきあわない。
意地の悪いチーヌ以下
ということになっちゃう。
こっちに来る連中ってのは、
日本では優秀とされる
若者が多いんですけどね。
いくら勉強ができて、
いい大学を出ていても、
民族としての誇りや価値観がない者は、
彼らは人間とさえみなさないんですね。
おもしろいです。
それにしてもね、
彼らは言うのですよ。
不思議の国ニッポンだって。
会う日本人は、
みんなひ弱で、
誇りも価値観もないチキンなのに、
なんで俺たちの植民地を
全部放棄させるような
すごいことができたのだろう、って。
昔の日本人といまの日本人は、
違うってことですかね。」…以下略
観光旅行でも、これを知って恥の掻き捨てをやめてもらいたいですが、やはり、外務省や企業の海外赴任者には日本の歴史の試験だけは必須にすべきでしょう。
日本がどれ程素晴らしい国であるかというきちんとした歴史観を持っていれば、特亜3国などの日本を貶める企みに負けることもないでしょう。子供さんへの苛めもある程度は防げるでしょう。
GHQの、ここまでやるかと思わされた日本堕落工作を、7日、第1298回の「当用漢字は日本文化破壊工作の一環」で、ねずさんが教えてくれました。
その続編とも言える工作を、ねずさんが教えてくれています。今度は筆順だそうです。先人の筆による達筆を見る度に恥じ入るばかりですが、こんなことまでやられていたとは恐れ入ります。
何時ものように全文をリンク元で読んでください。
大和心を語る ねずさんのひとりごとより 2018年01月09日
筆順が日本人をアホにする
かつての日本人がとてつもなく優秀だった理由のひとつが、漢字教育にあります。
なぜなら漢字の持つ象形性は、子供の抽象化、概念化する能力、推理力、主体性、読書力を拓くものだからです。
実際、昔ながらの漢字教育で、幼児の知能指数が漢字学習で100から130にも伸びたという報告もあります。
ところが戦後教育は、当用漢字や常用漢字によって漢字の持つ象形性を奪い、さらにこれに輪をかけたようにでたらめな筆順を子供達に強制することで、より一層、子供達の目のみならず、日本人全体から漢字から得られるべき抽象化、概念化する能力、推理力、主体性、読書力を奪ってしまっています。…中略
昭和21年頃といえば、昭和天皇のご意向を受けたマッカーサーが、日本人が餓えないようにと、さかんに人道支援を行った一方で、日本解体のために「良い」とされることは、片端から実行に移されていた時代です。
もっとも昭和23年には、GHQのジョン・ペルゼルが、日本語の表記をすべてローマ字に改めさせようと計画していますが、これは成功しませんでした。
というのは、事前にGHQの指導によって、当用漢字表が出されていたわけです。
朝令暮改は、さすがにマズイだろうということになった。
おかげで日本語の表記の漢字仮名交じり文は、維持されるのですが、「あらゆる日本的なものを破壊することが正義」とされた時代です。
それなら漢字の持つ象形性を失わせ、教育から漢字からの推理力・読解力を奪ってしまえということになって、「學」を「学」と書き、「敎育」を「教育」と書くという、いわば簡体字のような当用漢字の普及を図るだけでなく、筆順を指定することで、漢字の持つ意味を「わからないようにさせよう」という運動が起こったのです。
何も知らない日本人こそ、いい面の皮です。
子供達は、指定された筆順でなければ、テストで点をもらえない。
ですから素直に、その漢字と書き順を受け入れました。
それから70年。
いまでは、自分の名前の漢字でさえ、意味がわからない人がほとんどという状況に至っています。…中略
これは伊勢雅臣(いせ・まさおみ)さんが書いておられことですが、
「幼児の時から漢字を学ぶことで、
抽象化、概念化する能力、
推理力、主体性、読書力が
一気に伸びていく。
幼児の知能指数が
漢字学習で
100から130にも伸びたというのも
当然であろう」…以下略
何で、こんなに頭が悪いのかと嘆くばかりでしたが、こんなことにも影響されていたのでしょうか。
それにしても、GHQは余程日本を研究していたのでしょうね。今の劣化した日本人では、これだけの嫌らしい工作は思いつかないのじゃないでしょうか。
先人も、そこまでは気がついてなかったのかも知れません。それだけに戦後利得者達にとっても受け入れ易かったのかも、
もう一度、日本語を取り戻したいものです。と言うか、そうし無ければ、やはり日本再生は無理でしょう。それにしても、日本語の凄さを思い知らされます。
このサイトを曲がりなりにも続けてこられたのはPCだからです。これをもし自筆の文を書かなければならないとしたら一日で終わっていたでしょう。と言うのも、先ず漢字を書けない、語彙を思いつかないこともあって辞書を引くだけで疲労困憊することは間違いないでしょうから、どう考えても棒を折っていたでしょう。
それでなくても無知でも書いているように知らないことが多すぎます。先人の教養の凄さには到底かないません。確かに、古文や漢文などが無くなって勉強は楽になりましたが、それだけ教養はなくなってしまったということです。楽をして失ったものが多すぎたのかも。
そんな戦後教育にも、GHQの日本人を劣化させる企みがあったようです。何時もの、ねずさんが当用漢字にそんな企みがあったことを書いてくれています。
大和心を語る ねずさんのひとりごとよ り 2017年12月27日
当用漢字は日本文化破壊工作の一環としてつくられたというお話
…略
「当用漢字」は、GHQの指導に基づき、昭和21年11月5日に国語審議会が答申し、同年11月16日に内閣が告示しました。
要するに戦後の占領政策の一環として誕生しました。
もともとは、日本占領時に、日本精神弱化のために日本の公用語を英語にしてしまおうという動きもあったのですが、日本には1億か らの人がいるし、日本人が英語が堪能になって逆に文化侵略をしてくるのも恐ろしい(笑)ということから、日本語そのものに手を加 えようとして実行されました。
はじめに日本語の文章で使用頻度の高い1850字が「当用漢字表」に、「さしあたって用いる文字」として選ばれました。
そして実は、これによって日本人は國語文化の大切な部分を失いました。
たとえばいくつか例をあげますと、わかりやすいのが礼儀作法の「礼」という字です。
「礼」は、もともとは「禮」と書きました。
字を見たらわかりますが、「禮」は「示(しめす)へん」に「豊(ゆた)か」です。
つまり、おじぎをしたり、お礼を言ったりする礼というのは、相手にわかるように、はっきりと豊かにそれを体の動きで示す、だから 「禮」だったわけです。
ところが、それが「礼」という字になると、いったいなんのことだかわからなくなる。
学校の「学」に至っては、ものすごく重要な文化が失われました。
もともと「学」は、「學」と書きました。
「へん」のところが複雑な書体になっていて、「X」が上下に二段並んでいますが、これは人の手で、両側にあるのが大人たちです。
つまり「學」という字は、複数の大人が、みんなでひとりの子を立派な人にするために「引っ張り上げる」という意味を持つ漢字で あったわけです。
ところがこれが「学」になると、むしろ「子」が主体で、自力で学ぶことが「学」というように錯覚します。
要するに、教育者の側が子のレベルを引っ張り上げるというのが、もともとの「學」、子が自力で学ぶというのが、新字体の「学」で す。学ぶ主体が逆なのです。…中略
実際、よく使われる「当用漢字」が幼年教育に採り入れられることによって、現実に我々日本人は、日本的な精神性の大切な部分を 失うに至ったということができます。
「禮」という字を子供に教えるのはむつかしいという人もいるようですが、子供というものは、むつかしい字であっても、意味がわか れば、それなりに吸収するものです。
昭和30年代のことですが、ある子は幼稚園に市営バスで通園していました。
乗るバスは「西循環」という市内西部を循環するバスです。
いろいろな行き先のバスが次々とやってくる中、その子は、ちゃんと「西循環」という漢字を理解して、間違えずに毎日の幼稚園の行 き帰りにバスに乗っていました。
しかもその子は、自分の乗るバスの行き先の漢字を覚えて、ちゃんと紙に書くこともできたそうです。
大人がちゃんと「學(まな)ばせればできる」のです。
戦前の漢字を見て、こんな難しいのはとてもじゃないが覚えられなかっただろうと、簡単になったことを喜んでいたのですが、それによって大事なものを失っていたんですね。
子供の時に学ばせられていれば、私でもできたのかもしれません。やはり、勿体無いことをしたのじゃないでしょうか。
それにしても、GHQの日本弱体化計画は凄まじいですね。余程、日本を研究したようです。それにまんまと乗せられて劣化させられた日本人のバカさ加減にも呆れます。やはり、教育再生でもう一度先人の教養を取り戻す必要があります。
この部屋で、日本語の素晴らしさを何度か、取り上げて来ましたが、それも、ネットでねずさんなどのお陰で知ったことです。それまでは、どちらかと言えば、古典などを覚えなくて良い時代を喜んでいたものでした。
何と言っても、古典や漢文を覚えることを考えるだけでも気が遠くなりそうです。しかしながら、これもGHQなどによる自虐史観の所為であることを知り愕然としたものです。とは言っても、今更勉強する気力もないのですから情けない限りです。
そんな、不勉強を思い知らされる話題を何時もの産経抄が取り上げてくれています。
「『せつもく』の数字となりました」と読んで、全く理解できませんでした。産経抄さんもそうだったそうです。
産経ニュースより 2017.11.29
【産経抄】日本語があぶない
将棋の最年少プロ、藤井聡太四段(15)が先週、公式戦通算50勝を達成した。そのときのテレビ映像が興味深い。「『せつもく』の数字となりました」。藤井四段のコメントに、報道陣から困惑の声が上がる。「『なにもく』ですか?」。「僥倖(ぎょうこう)」「醍醐味(だいごみ)」など、これまでも中学生らしからぬ言葉遣いが話題になってきた。「節目(ふしめ)」のこんな読み方は、小欄も知らなかった。
▼国語学者の大野晋さんの『日本語練習帳』によると、新聞や雑誌に使われている単語は年間約3万語である。昭和30年代の高校の上級生が、ほぼ同じ数の語彙(ごい)を持っていた。読書家の藤井四段もこのレベルかもしれない。
▼ただし「今は大学生でも1万5千から2万くらいに落ちている」。この記述は約20年前のものだから、現在の学生の平均的な国語力はもっと低いはずだ。それにしても、昨日の中高生の読解力についての記事には驚いた。
▼「幕府は、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた」「ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた」。2つの文について、中学生の43%、高校生の28%が同じ意味だと答えたという。
▼これでは、新聞はもちろん教科書の記述もほとんど理解できないのではないか。調査では、中高生が1カ月に読んだ本の数やスマートフォンの利用時間と読解力の相関はみられなかった。本当だろうか。
▼作家の丸谷才一さんは、あるエッセーで訴えていた。「読書の訓練、作文の訓練は、テレビ時代、さらには携帯電話時代になればなるほど重要なんです」「土曜日を休みにすることを廃止しても日本語教育に力をいれなきゃならない」。エッセーのタイトルはずばり、「日本語があぶない」である。
まさか、「ふしめ」とは想像も出来ませんでした。本当かいなと、サーチしてみたら、ちゃんとありました。如何に勉強していないかを思い知らされました。
昭和30年代頃までの高校上級生まではまだ漢字教育も重視されていたようですね。40年代の団塊の世代には、もう語彙も減っていたのでしょうか。団塊の世代は、こんなところでも軟弱な教育を受けていたのかも。
そうした日本語を大事にしない気分が、今や日本語をボロボロにしていると言っても言い過ぎじゃないでしょう。
もう一度、日本語の素晴らしさを見直し、世界標準語を目指しましょう。何と言っても、虫の声を聞き分けることが出きる素晴らしい言葉なのですから。
何時からでしょうか、国会議員の街頭演説などで、「お示しさせていただきます」のように、有権者におもねって、何にでも「お」をやたらに付ける馬鹿丁寧な演説に違和感を覚え出 したのは。
あのおかしな日本語に、政治家もここまで堕落したのかと思ったのはわたしだけでしょうか。
もしかしたら、あの「ご注文は、これでよろしかったでしょうか」や、病院で患者を「…様」と呼ぶあのおかしな風潮と同じで、日本語の劣化の一つなのでしょうか。
そんな違和感を産経抄も感じていたようです。
産経ニュースより 2017.9.24
【産 経抄】よく耳にする「させていただく」 相手との距離を測れない不安の表れか
東京都内の女性からお便りが届いた。「現代若者の日本語が気になってしようがない」と文字が憂いを含んでいる。とりわけ、妙に へりくだった言葉遣いが耳に障るという。「決定させていただきました」「感じさせていただいてます」などなど。
▼動詞に見境なく「させていただく」をつける。店頭や電話口でよく耳にする謙譲表現だが、本来は行為について相手の許しを請う 言葉である。「決定いたしました。これが当然の言い方でしたというのに。なんて卑屈な」。女性の指摘には異論をはさむ余地がな い。
▼敬意とは相手との距離感の表現にほかならないと英文学者の外山滋比古さんが書いている。洋の東西を問わず、身分の差が大きく なるほど相手との間合いも遠くなる。「ことばでは敬語や婉曲(えんきょく)な言いまわしなどで、その距離感を表現する」(『日本 語の作法』)と。
▼「させていただく」の裏を推し量るなら、相手との距離を測れない不安の表れだろう。「いたします」では失礼かもしれない。も う一段下がるのが無難だ、と。社会から上下関係の厳しさが薄れ、敬語という物差しに不案内な人が増えたとすれば危うい時代であ る。
▼遠回しな物言いを美とする日本語への自信が揺らいでいる観もある。「国語に関する世論調査」では「背筋が凍る」「毒を吐く」 などの新語を使う人が増えた。「背筋が寒くなる」では足りぬ恐怖、「毒を含む言葉」では吐き切れない悪感情に満ちた世の中らし い。
▼冒頭のお便りは「よくがまんしていられますね。私は怒りか拒絶かで破裂しそうです」と結ばれていた。国語の乱れは国家の乱れ につながる、との懸念には小欄も背筋を伸ばさねばなるまい。精進させていただき…ではなかった。精進いたします。
若者どころか、お手本になるべき政治家が同じことをやっているのですから日本語の乱れは危機的状況じゃないでしょうか。
あの日本中に広まっている韓国式挨拶の「コンス」と同じように仕掛けられているのかもしれません。本当に、日本はどこまで劣化したら気がつくのでしょうか。それとも、このまま崩壊でしょうか。
日本語こそ世界共通後にすべきと「素晴らしい日本語」などで、日本語の素晴らしさを取り上げてきました。
その素晴らしい日本語が何時の頃からか、おかしな規制がかかってきて、昔からの素晴らしい表現が使え無くなって来ています。
私の子供の頃に使っていた言葉が、どんどん使え無くなってきいます。最初は、バカな国が規制しているのかと思っていましたが、どうやら、ここでも反日売国左翼・在日共が活躍しているようです。
マスメディアが反日売国左翼・在日共に騒がれた自己規制してきたのが真相のようです。つまりは、男女共同参画などで日本の家族を破壊するなど、日本の足を引っ張り続けてきた反日売国左翼・在日共が、こんなところでも日本を破壊しようと動いているということです。何とも、恐ろしい奴等です。
そんな、自己規制の世界を、百田さんと上島さんが熱く語ってくれています。
日本特有の反日売国左翼・在日共の撲滅をしない限り、日本は消滅させられるでしょう。日本には、国を愛する左翼の育成こそが必要です。
3 月 2日(木)、第987回の「資生堂、英語を公用語に」で、武田鉄矢さんの三枚おろしが、日本語の素晴らしさを取り上げてくれているのを紹介しました。
武田さんは、他にも日本語の素晴らしさについて取り上げてくれています。日本語の素晴らしさは、想像を絶するものがありそうです。もっと大事にしないとご先祖さまに申し訳ないですね。
とは言いながら、もう実現が近いと言われる翻訳機が普及すれば、以外と早く日本語が世界に広まるかも知れないですね。尤も、それでは、本当の日本語の素晴らしさを生かすことにはならないかも。どっちが良いのでしょう。
2014年3月3日(月)、第 5279回の「日 本語を世界共通語に」や、5日(水)、第 1021回の「日 本人の知能がずば抜けて高い理由」などで、日本語の素晴らしさを取り上げ的ました。
外国人には虫の声が分からないというのは有名ですが、その原因は、やはり、言葉にあったようです。詳しく教えてくれる動画がありました。
日本人 の音意識 角田 忠信 東京医科歯科大学教授/医学博士
日本 語人の脳 ―理性・感性・情動、 時間と大地の科学 角田忠信 ツノダタダノブ【著】
何時もネット巡回でお世話になっている「国際派日本人養成講座」が、詳しく書いてくれていました。少し長いので、全文はリンク元で読んでください。
上の動画も、ここを参考にしているのじゃないでしょうか。
国際派日本人養成講座より H14.05.12
国 柄探訪: 日本語が作る脳
虫の音や雨音などを日本人は左脳で受けとめ、
西洋人は右脳で聞く!?
■1.虫の音に気がつかない!?■
東京医科歯科大学の角田忠信教授が、1987年1月にキューバのハバナで開かれた第一回国際学会「中枢神経系の病態生理学とその代償」に参加した時の事 である。キューバではいまだ戦時体制が続いており、西側諸国からの参加者は角田教授一人だった。開会式の前夜に歓迎会が開かれ、 東欧圏から大勢の科学者が参加していた。キューバ人の男性が力強いスペイン語で熱弁をふるう。
しかし、教授は会場を覆う激しい「虫の音」に気をとられていた。なるほど暑い国だな、と感心して、周囲の人に何という虫かと尋ねてみたが、だれも何も聞 こえないという。教授には「蝉しぐれ」のように聞こえるのに!
午前2時頃、ようやくパーティが終わって、キューバ人の若い男女二人と帰途についたが、静かな夜道には、さきほどよりももっと激しく虫の音が聞こえる。 教授が何度も虫の鳴く草むらを指して示しても、二人は立ち止まって真剣に聴き入るのだが、何も聞こえないようだ。不思議そうに顔 を見合わせては、お疲れでしょうからゆっくりお休みください、というばかりであった。
教授は毎日、この二人と行動をともにしたが、3日目になってようやく男性は虫の音に気づくようになった。しかし、それ以上の感心は示さなかった。女性の 方は、ついに一週間しても分からないままで終わった。どうも日本人の耳と、外国人の耳は違いがあるようだ。…中略
■8.違うがゆえに独創的なものが生まれる■
日本語による脳の違いとは、我々にとってどのような意味を持つのだろうか? 理論物理学者の湯川秀樹博士は、角田教授との対談でこう語る。 [1,p114]
つまり日本人はいままでなんとなく情緒的であるというていた。(西欧人が)論理的であるのに対して、より情緒的であるといっていたのが、構造的、機能 的、あるいは文化といってもいいけれども、そういうところに対応する違いがあったということが、角田さんのご研究ではっきりした わけです。
そうするとそこで私が考えますことは、その違うということを生かすという方向です。違うということは上とか下とかいうことではなくて、その違いということ を生かす。(中略)違うがゆえに独創的なものが生まれるのである。西洋に比べてあかん、劣っているという考え方が根深くあったけ れども、そういう受け取り方をしたら劣等感を深める一方です。
「違うがゆえに独創的なものが生まれる」とは、独創的な中間子理論でノーベル賞を受賞した湯川博士の言葉だけに重みがある。日本語の脳の違いは人類の多様 性増大に貢献しているわけで、「虫の音に耳を傾ける文化」などは人類全体の文化をより豊かにする独創的なものと言える。
こうした「生きとし生けるもの」の「声」に耳を傾けるという自然に対する敬虔な姿勢は、今後「宇宙船地球号」の中ですべての生命と共生していくために貴 重な示唆を与えうる。
我々が受け継いだこの「日本語の脳」の違いを意識的に極め、その独創性をよりよく発揮していくことは、我々日本人の全世界に対する責務とも言えるだろ う。(文責:伊勢雅臣)
それにしても、人種じゃなく日本語が原因と言うのは驚きです。やはり、我が先人が造り上げてきた日本語は素晴らしいですね。
その日本語を、どんどん劣化させようとしているとしか思えない文部科学省って、やはり何処かの国の人達に乗っ取られているのじゃないでしょうか。
やはり、英語に代えて、日本語を世界共通後にするべきですね。日本語で育てば、戦争なんかしたくなくなる。
日本語の素晴らしさを何度か取り上げてきましたが、その日本語を消滅させようとGHQの企みを、2016年 9 月 6 日(火)、第 810回の「英 語化は愚 民化!? 英語偏重教育に潜むワナ」でも取り上げました。
もし、日本から日本語が無くなっていたら今頃日本の劣化は今とは比較にならないほど酷くなっていただろうし、もしかしたら日本自体が消滅していたのじゃないでしょうか。
そんな日本語の凄さの動画がアップされていました。これは、ありそうです。
文部科学省も、聖徳太子の存在を無くしようとするのじゃなく、こうした日本語の素晴らしさを生かした教育を考えるべきでしょう。
私も、漢字でこんな教育を受けていたら、もうすこし漢字にも精通して、頭も良くなっていたのじゃないかと後悔されます。