このところ、あのおかしなお辞儀コンスの蔓延が収まらないことを何度かとりあげましたが、どうやらKoreaの日本の文化破壊の魔の手が、2016年09月08日、第 812回の 「★ 男言葉、女言葉」でも取上げた言葉にもおよんでいるようです。
ねずさんが、取り上げてくれています。まさか、こんなところまでと油断していました。こうなると、最近のおかしな言葉使いにも魔の手は延びているのかも。
とこういうところにまで手が伸びるは、やはり日本人が歴史を蔑ろにし、礼儀や言葉を大事にしなくなったことにも付け込まれる原因があることも間違いなさそうです。
やはり、きちんとした歴史教育がひつようです。
何時ものように全文をリンク元で読んでください。
ねずさんのひとりご とより 2016 年09月01日
男言葉、女言葉
・・・略
要するになぜこのような言葉の性差が生まれたかというと、これがまた実に日本的です。
日本では、男も女も、あるいは武士町人も、すべては人として互いに対等な存在です。
人として対等な中で互いの役割を果たしていこうとします。
ですから、兄弟であれば、弟は「◯夫」と呼び捨てにされますが、兄は常に「お兄ちゃん」と呼ばれます。
人としては対等ですが、兄には兄としての役割を果すための自覚が常に求められるからです。
これと同じで、男は男としての、女は女として、互いの特徴を活かして、子や孫たちが幸せに暮らせるようにしていく。
そのために、「男は男らしく、女は女らしく」と育てられたのです。
そしてこのことがあるから、男女の言葉の違いも生まれてきたわけです。
こうしたことは、人々が奴隷として支配され、収奪されているだけの社会には、絶対に育まれません。
人として対等だから、意図して役割語が育まれるのです。
上下と支配、支配と隷属の関係だけなら、役割語は不要です。
なぜなら、命令には服従しかなく、そこに言葉上の役割語は必要ないからです。
言うことを聞かなければ、殺すだけです。
まして、男言葉、女言葉など、まるで必要性がない。
歴史的にないから、日本語に性差があるということが理解できない。
だから、日本語にも必要が無いのではないかと、彼らの文化(といえるのかどうかは知りませんが)をゴリ押しする。
そしてそういうものが、いつのまにかクリエイティブだと、すり替えが行われています。
とんでもない話です。
それは、コリエイティブであって、クリエイティブとは対極にあるただの「文化痴呆」です。
その結果、番組中の男言葉、女言葉が、完全に崩壊してしまっています。
テレビは、一面において、文化の担い手でもあります。
そのテレビが、日本の文化をまるで理解しようとせず、むしろ日本文化の破壊に一役買っているということは、これはあってはな らないことです。
男言葉で喋らせたら、せっかくの美しい女優さんも台無しです。
美しい女性には、美しい言葉が似合うのです。
テレビ局の経営陣には、もっとしっかりしていただきたいと思います。
ちなみに、ウチの孫が行く小学校では、親が大金持ちでとびきり成績の良い子供たちの家には、テレビ自体が置かれてないそうで す。
ほぼ在日の方のお宅なのですが。・・・以下略
コンスもテレビから広まったように、言葉もやられているのですね。反日売国左翼・在日マスメディア、特にテレビ極にうようよしている在日を一掃する必要がありそうです。