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団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★男言葉、女言葉

2019年09月15日 | 素晴らしい日本語

  このところ、あのおかしなお辞儀コンスの蔓延が収まらないことを何度かとりあげましたが、どうやらKoreaの日本の文化破壊の魔の手が、2016年09月08日、第 812回の 「★ 男言葉、女言葉」でも取上げた言葉にもおよんでいるようです。

  ねずさんが、取り上げてくれています。まさか、こんなところまでと油断していました。こうなると、最近のおかしな言葉使いにも魔の手は延びているのかも。

  とこういうところにまで手が伸びるは、やはり日本人が歴史を蔑ろにし、礼儀や言葉を大事にしなくなったことにも付け込まれる原因があることも間違いなさそうです。
  やはり、きちんとした歴史教育がひつようです。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんのひとりご とより    2016 年09月01日

    男言葉、女言葉

  ・・・略

 要するになぜこのような言葉の性差が生まれたかというと、これがまた実に日本的です。
日本では、男も女も、あるいは武士町人も、すべては人として互いに対等な存在です。
人として対等な中で互いの役割を果たしていこうとします。

  ですから、兄弟であれば、弟は「◯夫」と呼び捨てにされますが、兄は常に「お兄ちゃん」と呼ばれます。
人としては対等ですが、兄には兄としての役割を果すための自覚が常に求められるからです。

 これと同じで、男は男としての、女は女として、互いの特徴を活かして、子や孫たちが幸せに暮らせるようにしていく。
そのために、「男は男らしく、女は女らしく」と育てられたのです。
そしてこのことがあるから、男女の言葉の違いも生まれてきたわけです。

 こうしたことは、人々が奴隷として支配され、収奪されているだけの社会には、絶対に育まれません。
人として対等だから、意図して役割語が育まれるのです。
上下と支配、支配と隷属の関係だけなら、役割語は不要です。
なぜなら、命令には服従しかなく、そこに言葉上の役割語は必要ないからです。
言うことを聞かなければ、殺すだけです。
まして、男言葉、女言葉など、まるで必要性がない。

 歴史的にないから、日本語に性差があるということが理解できない。
だから、日本語にも必要が無いのではないかと、彼らの文化(といえるのかどうかは知りませんが)をゴリ押しする。
そしてそういうものが、いつのまにかクリエイティブだと、すり替えが行われています。

 とんでもない話です。
それは、コリエイティブであって、クリエイティブとは対極にあるただの「文化痴呆」です。
その結果、番組中の男言葉、女言葉が、完全に崩壊してしまっています。

 テレビは、一面において、文化の担い手でもあります。
そのテレビが、日本の文化をまるで理解しようとせず、むしろ日本文化の破壊に一役買っているということは、これはあってはな らないことです。

 男言葉で喋らせたら、せっかくの美しい女優さんも台無しです。
美しい女性には、美しい言葉が似合うのです。

 テレビ局の経営陣には、もっとしっかりしていただきたいと思います。
ちなみに、ウチの孫が行く小学校では、親が大金持ちでとびきり成績の良い子供たちの家には、テレビ自体が置かれてないそうで す。
ほぼ在日の方のお宅なのですが。・・・以下略

  コンスもテレビから広まったように、言葉もやられているのですね。反日売国左翼・在日マスメディア、特にテレビ極にうようよしている在日を一掃する必要がありそうです。


★日本のIT技術が周辺国より低下してる原因

2019年08月29日 | 素晴らしい日本語

  日本語を世界の共通語にと何度も書いていますが、孫向文さんが面白いツイートをされていました。何と、日本のIT技術が低下しているのはコンピュータ用語を安易にカタカナで取り入れているからじゃないかとの指摘です。

  明治の福沢さん達のような努力で日本語として取り込んでないからという考えは案外当たっているのかも。最近の何でも横文字で誤魔化すエリートのやり方かもしれません。
  やはり、日本語に変えて完全に自分のものにしてしまうという努力をしなくなったことが日本人の劣化にも繋がっているのかも。余りにも便利なカタカナで訳の解らない言葉まで誤魔化して使うから見に付かないのかもしれないですね。これは案外当たっているのじゃないでしょうか。

  折角の、素晴らしい日本語を劣化させるのじゃなくもっと素晴らしいものにして行く努力が必要なのかも。余り劣化が酷くなると世界共通語へなんて言えなくなりそうです。 


★ピジンイングリッシュで良いじゃないか

2019年08月20日 | 素晴らしい日本語

  【Front Japan 桜】で、高山さんが英語について面白い話をしてくれています。ネイティブの人達にとって、アジア人等が流暢に英語を話すことを評価するかと思えば逆に疎ましさをおぼえるようです。
  やはり、彼らにとっては日本人など東洋人はランクが下とみなす習性が今でも残っているのじゃないでしょうか。

  そんな英語を小学低学年から教えることに力を入れている文科省はやはり狂っているとしか思えない。日本には世界に誇れる日本語があるにも関わらずその教育は好い加減です。

  やはり、日本語をきちんと習得し、本当の国家観と歴史観を身に付けさせることが必要です。日本を知らない者が流暢な英語を使ったところで却って軽蔑されるというのは良く知られるようになって来ているだけに政府・文科省は考え直すべきでしょう。  

  後半のsayaさんの消費税と派遣の話も衝撃的でした。これは、是非みてもらいたい。これはやはり竹中が仕組んだのでしょうか。


★日本は「言語階級社会」になる

2019年07月19日 | 素晴らしい日本語

  ネットで、ねずさんなどのお陰で、日本語の素晴らしさに目覚め、2014年3月3日、第5279回の「★★日本語を世界共通語に」で、その凄さを取り上げました。

  ところが、平和ボケ日本人にはまだまだ、西洋かぶれが多く、英語こそが世界共通語だと思い込んでいるようです。特に、政治家や文科省等にそう言う人が多いのか、小学校での英語教育なんてのに力を入れています。
  それだけでも心配していたら、とんでもない法律ができているようです。アイヌ法案などを作った政府・与党が又何も考えずにレッテルだけで決めたようです。
  それが、どんなに馬鹿げていて恐ろしいものかを【Front Japan 桜】で、佐藤さんが警告してくれています。
 
  日本語の素晴らしさを知らない政治家や官僚が又余計な仕事をしたということでしょう。奴等は、日本の破壊しかやらないようです。それも、自分がどんな恐ろしいことをしようとしているのかが分かっていないというのが恐ろしいとろです。

  やはり、早急な教育改正が必要です。そこで、正しい歴史を教え、きちんとした国家観と歴史観を持つ国民を育て、その人たちが政・官・財などで指導者となるのを待つしかないのでしょうか。それまで、日本が存続しているでしょうか。
  この動画も国民全てに見て貰いたいものです。


  日本語の凄さも分からない奴等を教育に関係させるな。その代表を昨日取り上げたところでした。


ローマ字、姓・名の順に

2019年05月24日 | 素晴らしい日本語

  英語で名前を書く時は名前が先と教わり、面倒くさいとは思いながらもそんなものかと何の疑問も抱かずに来てしまった素直な自分が情けない。これもGHQの仕業だったのでしょうか。とは言え、特段不便を感じたこともなかったので、単にあちらを立てたものだったのでしょうか。

  河野外相がそれを日本式にするように海外の報道機関に要請するのだそうです。別に反対もしませんが、何となく、他にやることありそうな気がします。どうせなら、日本人の名前は漢字で書くように要請したらどうでしょう。
  何と言っても、将来は日本語を世界共通後にと思っているので、今から慣れさせておく必要がありそう。


  それにしても、素直に受け入れてきた日本人はやはり民度が高すぎるのかも。


★日本語のローマ字化を断ってくれた人

2019年05月02日 | 素晴らしい日本語

  子供の頃はあの当用漢字すら多くて大変だと思ってました。ましてや旧の漢字などとてもじゃないが覚えられるとは思わなかったものです。
  今になって、当用漢字などで縛られずに多くの字を勉強していればもっと頭も良くなっていたのじゃないかと思ってます。やはり、楽をして得をしたとおもっていても、どこかでしっぺ返しを喰らっているようです。

  不思議なのは、その日本語を捨てよと提唱していた人に作家の志賀直哉がいることです。日本語の素晴らしさを認めない人が小説家というのも痛烈な皮肉に思えます。きっと、何かの思いがあったのでしょう。

  それでも、何とか日本語がローマ字になるのを止めてくれた人がいるそうです。感謝しなければならないですね。
  いずれ、日本語の素晴らしさが世界に知られ共通後になる日が来ると信じています。何と言っても虫の声を聞き分けることが出来る言葉なのですから。

  「虎ノ門ニュース」で、櫻井さんがGHQの企みがあって、それを阻止してくれた人がいることを教えてくれています。
  その柴田武さんはローマ字の第一人者だったそうです。志賀直哉と反対ですね。おもしろいものです。


   参考:柴田武

  もしローマ字になっていたらどうなっていたでしょう。間違い無く日本人はもっと劣化していたことでしょう。


★いただきますが否定されている

2019年03月13日 | 素晴らしい日本語

  何時もの青山さんの「答えて、答えて、答える!」で、日本の文化を否定する衝撃的な質問があありました。
  何と、給食で「いただきます」を止めさせろとの父兄からのクレームで太鼓を鳴らすようになったのだそうです。
  クレームにも驚きますが、それを受け入れる学校にも驚かされます。やはり、日本の教育は終わっているようです。


  日本の劣化がここまで来ているとは衝撃です。やはり早急な教育再生が必要です。親の教育はもっと必要なようです。世界に誇れる「いただきます」を守りましょう。


★外国人も驚く日本語の表現力の多彩さ!

2019年02月05日 | 素晴らしい日本語

  昨日の高山さんの「★英語下手は誇り」に続いて、日本語の素晴らしさを教えてくれる動画があありました。
  やはり、日本人が気が付いていない素晴らしさを持っているようです。これも、日本が長く育んできた文化のお陰でしょう。
  こんな凄い言語を持っている日本が新興国の英語なんかに惑わされず自信を持って世界共通語への道を堂々と歩みましょう。

  もう外国語を勉強しなくてもAIがやってくれる時がそこまで来ています。仕事等でどうしても必要な人だけが勉強すれば良いのです。
  日本人はそんな暇があったら、戦後に無くなった古典などを読む勉強をして日本文化をより深く勉強する方が役に立つでしょう。


  かなり、破壊されたとはいえ、まだまだ再生する余力はあるはずです。全てを復活させるとまでは言いませんが、せめて昔の文献を読める程度には再生したいものです。
  それも、本当の日本の歴史を知る為にも必要なことじゃないでしょうか。


★英語下手は誇り

2019年02月04日 | 素晴らしい日本語

  高山・浅野コンビの【Front Japan 桜】で、2016年9月6日、第 810回の「★★ 英語化は愚民化!? 英語偏重教育に潜むワナ」で、取り上げた施さんの英語教育についての新聞記事を取り上げてくれています。
  高山さんは、施さんの考えに大賛成で、英語が上手いのは奴隷の国であり、きちんとした文明と言語を持った国の人達は英語が下手であることは誇りであると言ってくれています。

 これは、全面的に賛成です。この本質を理解すれば、小学生から英語を取り入れるなんてバカな考えも無くなるのでしょうが、肝心の文科省が分ってないだけにこんなおかしな教育を考えるのです。

 何度も書いてきたように日本人は日本語こそ世界一の言語であることに誇りを持ち、いずれは日本語こそが世界共通語になることを信じましょう。


【Front Japan 桜】英語下手は誇り / 冬の養生 / 統計不正調査問題に既視感?~政権を揺るがした社保庁“自爆テロ”[桜H31/1/30]


★★ひふみよいむなやこと

2019年02月02日 | 素晴らしい日本語

  当たり前のように使っている言葉にも深い意味があることを全く知らずにあちらの世界へ行くところでした。と言うか、知っていることなんてそれこそ9牛の1毛以下でしょうね。
  パソコンを始めた頃に、デスクトップの片隅を使っているだけと良く言われましたが、あれと同じです。

  そんな驚くべきことを何時ものねずさんが教えてくれています。あの、数を数える「ひふみよいむなやこと」に一字一字に意味があるのだそうです。
  そんなこと今まで考えた事もなかっただけに驚きです。やはり、日本語って凄いですね。

  それにしても、今の子供達はこの数え方を教えて貰っているのでしょうか。今まで、疑問も抱かずに使って来ただけに心配です。
  何と言っても、日本の文化の破壊を狙っている反日売国左翼・在日どもが文科省を筆頭として日本の教育を牛耳っているのですから。

  何時ものように是非全文をリンク元で読んで下さい。本当に驚かされます。 

  ねずさん のひとりごとより

  数詞(かぞへことば)の不思議

  数詞(かぞえことば)は、子供が最初に受ける教育語です。
ご飯の「まんま」とか、お母さんの「まま、はは」などは、食のための生活用語ですが、数詞は教育で覚えていきます。
その数詞に、日本人としての魂の自覚を得るための工夫がなされてきたのが、縄文以来の日本の知恵であったのかもしれません。

 先日「日本を取り戻す12の言葉」という記事の12番目で、「数詞(かぞへことば)」についてご紹介したのですが、本文でこれを扱ったことがないので、あらためてその数詞について書いてみたいと思います。

 我が国では1〜10までを数える際に、
「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ、いつ、むぅ、なな、や、ここ、とぉ」
という言い方をします。
これがもとからある日本式の数の読み方です。

 「いち、にぃ、さん、しぃ・・」というのは、China式で「イー、アル、サン、スー」が日本式に訛(なま)ったもので、日本古来のものではありませんが、算術が進化してくる過程で広く用いられるようになりました。
ですから算術では、「1+2」を、「ひぃたすみぃ」とは言いません。
昔も今も、「いちたすに」です。

 そうであるにもかかわらず、ではどうして昔ながらの「ひぃ、ふぅ、みぃ」といった数詞(かぞへことば)が大切にされてきたのでしょうか。
その理由は、そこに日本語(和語)の最大の特徴である「一字、一音、一義」の意義が込められているからです。

 一例を示すと次のようになります。

「ひ」 霊(ひ)のことです。何事も御霊が先です。
「ふ」 生(ふ)のことで、御霊(ひ)から生命が誕生します。
「み」 身(み)誕生するのが「身」です。
「よ」 世(よ)身が織りなす世です。
「い」 齋(い)「いつき」とも言いますが、不浄を清めた神聖なという意味です。

「む」 無(む)は神聖を意味し無であることによって億兆に心が通います。
「な」 菜(な)食のことです。
「や」 家(や)住まいです。
「こ」 子(こ)子供たちです。
「と」 戸(と)戸がひらきます。

 つまりここまでをまとめると、「人は、肉体が今生を生きているということだけでなく、永遠の生命である御魂の存在を自覚し、その御魂の乗り物である身が織りなす世を清め、自分自身を無とすることで億兆と心を通わせ、衣食住を足り、子どもたちの未来を担い、新しい世を築いていく、そのために私達は生きている」と意味になります。
深い意味が込められているのですね。・・・以下略

  まさかこれが廃っているなんてことは無いと思いたいですが、どうなんでしょう。ちょっと不安です。


★言葉を削り取ると時代が見えなくなる

2018年12月31日 | 素晴らしい日本語

  高山・上島コンビは、【Front Japan 桜】では初めてだそうです。このコンビは面白そうで興味深く見させて貰いました。その期待に違わずお二人とも良い話題でした。

  高山さんは沖縄について、相変わらず遠慮なく小気味の良い批判をしてくれています。

  後半は、上島さんの素晴らしい日本語を壊すマスメディアの問題に警鐘を鳴らしてくれています。
  
  将来は、世界の共通後になるべき日本語が崩れたのでは困ります。やはり、きちんとした本来の日本語を使えることが大事です。
  ここでも、反日売国左翼・在日共の言葉狩りによる影響が大きいと言えるでしょう。

  兎に角、国家観も歴史観も無い反日売国左翼・在日共の一層こそが日本の再生の為に急がれます。
  


  やはり、日本の再生は教育の改革と反日売国左翼・在日マスメディアの撲滅にあるでしょう。


★★履き違えられた権利意識とは

2018年10月18日 | 素晴らしい日本語

  ポリティカル・コレクトネスという左翼の得意な「レッテル貼り」が、生き難い世界を作りあげてきたことに流石にこれは行き過ぎだろうという反論も出てくるようになりました。これも、グローバリズムとナショナリズムの戦いに一環とも言えそうです。

  日本では、その上に言葉による原因が大きいようです。それは、「権利」なる言葉です。明治の方達の素晴らしい仕事で外国語を日本語に訳してくれたことで多大な恩恵を受けていますが、中には、問題のある訳が一人歩きして大変な問題を起こすことになったようです。その代表的なものが「権利」という言葉のようです。

  この「権利」という言葉について、何時ものねずさんが何度も取り上げてくれています。言葉の恐ろしさを改めて認識させてくれます。

  何時も以上に長文なので、是非全文をリンク元で読んでください。

   ねずさん のひとりごとよ り     2018年10月13日

   履 き違えられた権利意識とは

  ある日のテレビ討論の番組でのことです。
売春をしていた女子中学生が他の出演者から責められていました。
ところがこの女子中学生、周囲から何を言われても、キョトンとしていました。
そしてこの女子中学生に発言の番が回ってきたとき、彼女が言ったのが、
「で、あたし、誰か、人に迷惑かけた?
 誰か被害受けた人いるの?
 いないでしょ?
 私が何をしようが私の勝手じゃん。
 私にだって権利があるんだから!」

彼女のこの言葉に、それまで彼女を責め立てていた周囲の者は、誰も言い返せません。
1分間くらいの沈黙が続いたそうです。
しかたなく番組は、コマーシャルに切り替えました。

さて。みなさんなら、この中学生に何と言い返しますか?

このお話は、戸塚ヨットスクール校長の戸塚宏先生が引き合いに出されたお話です。
戸塚先生は、この例え話をひいて、そもそも「権利」という言葉が誤訳であると指摘されました。
そこからすべて、こうした間違いが起こっているというのです。

 どういうことかというと、「権利」という語は、英語の「Right」の翻訳語です。
「Right」を「権利」と訳したのは、幕末から明治にかけて活躍した秀才、西周(にしあまね)です。
西周(にしあまね)は、30代で徳川慶喜のブレーンを勤めたほどの秀才です。
文久2年にはオランダに留学し、明治にはいってから機関紙「明六雑誌」を発行して、西洋哲学の翻訳や紹介を幅広く行いまし た。
藝術(芸術)、理性、科學(科学)、技術、哲学、主観、客観、理性、帰納、演繹、心理、義務などは、どれも西周の翻訳語で す。

 彼は「明六雑誌」の創刊号で、「洋字ヲ以テ国語ヲ書スルノ論」という論文を掲載し、概略次のようなことを述べました。
「たとえば英語の『philosophy(哲学)』を、
 『フィロソフィー』とカタカナ語で用いるのではなく、
 翻訳語としての熟語(哲学)を創作する。
 なぜそうするかといえば、
 外国語を外国語のまま紹介したのでは、
 専門の学者にはそれでいいかもしれないが、
 その心とする語彙が広く世間に普及しない。
 欧米の概念は欧米の言葉で学ぶだけでなく、
 その意味や意図を、
 我が日本のものとしていかなければならない」

 これはまさにその通りだと思います。
「リテラシー」などと言っても、何のことかわからないけれど、「読解力と記述力」と日本語で書けば、書き言葉を正しく読んだ り書いたりできる能力を指すということがわかるし、ネットリテラシーというのではなく、電子情報の読解力と記述力と書けば、 ネット上に反乱する情報を正しく読んだり理解する能力ということが、より理解しやすくなります。

 西周(にしあまね)は、こうして英単語のひとつひとつを、和訳し、造語していくという作業を、ずっと続けました。
そしてその西周が、英語の「Right」を翻訳した言葉が「権利」だったのです。

 ところが、この「権利」という翻訳語に、福沢諭吉が噛み付いています。
「誤訳だ!」というのです。
そして福沢諭吉は、ただ反発しただけでなく、
「『Right』は
 『通理』か『通義』と訳すべきで、
 『権利』と訳したならば、
 必ず未来に禍根を残す」
と指摘しています。

 なぜ、福沢諭吉が、そこまで厳しく噛み付いたのかには理由があります。

 第一に「権利」は能動的ですが、「Right」が受動的な力であることです。
「私がリンゴを食べる」というのが、能動です。
「リンゴは私に食べられた」というのが受動です。

 「Right」を「権利」と訳せば、個人が自らの利益のために主体となって主張することができる一切の利権という意味になり ます。
けれど英語の「Right」にそのような意味はありません。
一般的通念に照らして妥当なものが「Right」です。
つまり、「Right」は、個人の好き勝手を認める概念ではなく、誰がみても正当であり妥当なものが「Right」なので す。

 要するに、
「そのリンゴはお前が食べたのだろ?
 みんながお前が食べるところを見ていたんだ。
 間違いないよな。
 そのことはRight(間違いない)よな?」
というように使われるのが「Right」です。
誰も「お前がそのリンゴを好き勝手に食べて良い」などと言ってないのです。

 ところがその「Right」を「権利」と訳すと、
「俺がリンゴを食べたのは俺の権利だ。
 リンゴは俺に食べられるために存在したのだ」
という理屈が成り立ってしまうのです。
これは明らかに誤訳というべきです。

 もうひとつ、「Right」には「正義」という意味が含まれますが、「権利」という翻訳語にはその意味が含まれていないこと です。
要するにひらたくいえば、誰がみても正しいといえる一般的確実性と普遍的妥当性を兼ね備えた概念が「Right」です。

 人のリンゴを勝手に食べておいて、
「あのリンゴは俺に食べられるためにあったのだ」
などと言っても、それは正義の名に値しません。
しかし「権利」だと、リンゴを泥棒した犯人が、
「リンゴは俺に食べられるためにあったのだ。
 それは俺の権利なのだ」
という言い方ができてしまうのです。

 ですから「権利」だと、お父さんが仕事上の都合でどうしてもパソコンを使いたいのに、子供がパソコンでゲームをしたいといえ ば、それは子供の権利であり、むりやりお父さんがパソコンを奪えば、それは子供の権利の侵害にあたり、親によるパワハラだな どという、もっともらしい「間違い」が起こってしまうのです。
要するにただのワガママが「権利」になってしまう。
なぜそのような間違いが起こるかと言えば、日本語の「権利」に、正義の概念が含まれていないからです。…以下略

  これを予測した福沢諭吉も凄いですね。どうせなら徹底的に反対して変えてくれていたら良かったのですが、不可能だったのでしょうか。
 
  それにしても、言葉一つでここまで日本人が劣化したことを考えると恐ろしいですね。これを変えることは出来ないのでしょうか。
  もし変えようとすると、「権利、権利」と叫んで反対する人達が沸いてきて叩き潰されるのじゃないでしょうか。
  人間って本当に面倒くさいですね。やはり、人類は滅びるしかないのかも。尤も、その方が地球は平和で良いのかも。


★★「日本語学びたい」米国で若者増加もクラス存続の危機…

2018年10月16日 | 素晴らしい日本語

  ねずさんのお陰で日本の国体であるシラス国を知り、権威と権力を分けると言う先人が築き上げて来た素晴らしさに感動しました。
  ねずさんは、この民主主義の上を行く日本の国体こそが世界を救うと教えてくれています。これには、全面的に賛成です。

  そうなると、やはり、2017年4月16日、第1032回の「★外国人には虫の声が聞こえ無い?」などで何度も書いてきたように日本語を世界の共通語にすることも必要です。

  ところが、折角、世界でも少しずつ認められてきている日本語を学びたいという人達をみすみす逃すようなことが起きているようです。
  これも、政府・外務省の怠慢じゃないでしょうか。その反省もされているようですが、ここは、思い切って、あの中国のスパイ組織孔子学園に負けない位の予算を注ぎ込むべきじゃないでしょうか。
  日本語を話す人が増えるということはそれだけ日本の本当を理解してくれる人が増えるということです。
  そうなれば、特亜3国が企むニセ慰安婦問題などによる日本貶め作戦にも対抗できるでしょう。

  産経ニュースより     2018.10.10

 「日本語学びたい」米国で若者増加もクラス存続の危機…日本、支援本格化へ

  米国で、日本のアニメやゲームに親しんだ若者を中心に日本語を学ぶ人が増え、中学・高校の学習者数は4割近い 伸び率となっている。一方、日本語の教員数は頭打ちで、財政難から公立校で日本語の授業を削減する動きもあり、在米日本大使 館は日本語教育の支援活動に乗り出す。教育関係者による検討会を立ち上げ、現場のニーズを吸い上げて政府の対策に反映させる 狙いだ。(ワシントン 塩原永久)

 首都近郊のバージニア州アーリントン郡で今春、公立高校の選択科目の「日本語」打ち切りが決まった。人気のスペイン語や就 職に有利とされる中国語に押され、履修者数が少ない日本語とドイツ語がコスト削減の合理化対象とされた。

 その後、郡教育委員会が開いた公聴会で、米国人の生徒らが「日本語を学び続けたい」と授業の維持を訴え、署名活動を展開。 郡教委は履修者の確保を条件に授業の廃止方針を撤回した。

 国際交流基金によると、国の教育予算削減で2010年以降、日本語を含む外国語科目が削減される動きがある。日本語教員の 減少が拍車をかけており、地域の日本語教育を長年支えた教員が高齢になって引退するのを機に、授業が廃止されるケースもあ る。

 同基金による3年ごとの実態調査では、15年に全米の日本語学習者が約17万1千人と対12年比で9・7%増加。中学校で 43%増、高校で39・4%増と若年層の伸び率が顕著だった。一方で教員数は8・8%減り、教員育成をはじめ、日本語教育の 基盤拡充の必要性が浮き彫りになっている。

 こうしたことから、在米日本大使館は、現場の実情に沿った支援策を議論する「日本語教育懇談会」を年4回程度開く。12日 の初会合には、コロンビア特別区とバージニア州、メリーランド州の公立校の日本語教師や大学研究者らが参加。同大使館は「関 係者が情報を共有するプラットホームとしたい」(島田丈裕公使)といい、将来的に全米の政府公館や関係機関との連携も視野 に、日本語教育の基盤拡充を目指す。

 アーリントン郡で起きた日本語科目の廃止検討に危機感を抱き、日本語教室を主宰するNPOを立ち上げた笹栗実根(ささぐ り・みね)代表は、「日本語を学びたいという人は、学生だけでなく大人にも思いのほか多い」と指摘。“日本語ファン”を増や す草の根レベルの活動が重要だと指摘している。

  これは、早急に取り組むべきですね。草の根レベルも必要ですが、やはり政府が思いきった予算を出すべきでしょう。
  これは、軍備の増強にも負けない防衛費とも言えるでしょう。


★★コオロギの声が聞き分けられる日本語

2018年10月11日 | 素晴らしい日本語

  今年の夏で、不思議だったのはあの猛暑の8月初旬に突然クマゼミが鳴かなくなったことでした。何時もの年より数も少なそうだったのですが、あの熱さだったら何時もの甲子園大会が終わる頃よりもっと遅くまで鳴くのじゃないかと覚悟していました。
  ところが、突然何時もより早く鳴きやんだので、これは、案外猛暑は早く終わるのかも知れないと思っていたら、案の定台風の連続などで一気に夏が終わりました。
  セミは、この天候まで予測しているのでしょうか。不思議です。

  もう一つ、その後の虫の鳴き声も例年より少ないのです。何時もだったら寝るときにもうるさいのですが、今年はうるさいと感じる程の鳴き声はありませんでした。
  これも、何かがある前兆でしょうか。

  そんなことを思っていたら、産経抄がコオロギの話題を取り上げてくれています。と言うことで、2017年 4 月 16日(日)、第 1032回の「外 国人には虫の声が聞こえない?」などで、日本語の素晴らしさを書いてきた私としては反応せざるを得ません。
  

  産経ニュースより      2018.10.7

 【産 経抄】

 わが家にはこの夏、2週間ほど居候の客がいた。どこから来たのか、壁と棚の隙間を出入りしていたのは幼いコオロギである。 「ろくな食べ物もなかろう」と同情を催し、庭草に放してやった。虫のすだきを耳にする度、草陰に消えた小さな命を思い出す。

 ▼「すだく」は漢字で「集く」と書く。虫たちの唱和はなるほど、声をかぎりにわが夜を謳歌(おうか)する命の集いだろう。 日本では古代から歌や詩に詠み込み、アングロサクソン系の人々は「雑音」だとして聞き捨てた。「日本人は虫の音を左脳で聞 き、欧米人は右脳で聞く」の説がうなずかれる。

 ▼万葉集には〈陰草(かげくさ)の生ひたる宿の夕かげに 鳴く蟋蟀(こおろぎ)は聞けど飽かぬかも〉と声に聞きほれる歌が あり、〈蟋蟀の待ち悦(よろこ)べる秋の夜を 寝(ぬ)る験(しるし)なし枕と我は〉と夜長を持てあます歌もある。「耳の 秋」から咲いた詩情の花といえる。

 ▼虫のすだきに目がさえる夜も、あとどれほど続くだろう。8日は二十四節気の「寒露」で、半月もすれば「霜降」を迎える。 さわやかな秋涼はつかの間、庭草に結んだ朝露は、やがて霜へと変わる。先を急ぐ暦の足音がうらめしい。

 ▼と、深まる秋を書き進めたところで、新潟県では6日の最高気温が35度を超えたとのニュースが届いた。「異常」と呼ばれ る空の変転には慣れているものの、虫たちにとっては歌声の調子が狂う迷惑な秋だろう。手元の国語辞典を繰ると「すだく」には 「呻く」の字もある。うめく、か…。

 ▼コオロギは成虫になった後、ひと月半ほどで短い命を閉じる。彼とも彼女とも知れぬこの夏のお客が、暦を逆さにめくる無情 の空模様に負けず、天寿を全うしてくれればいいが。詩情と異常の行き交う秋に、草花を揺らす澄んだ声まで呻吟(しんぎん)に 聞こえてくる。

  参考;す だ・く【▽集く】の意味

  コオロギの声もありました。

☆立 秋、コオロギの声☆


  この声が聞き分けられるのは日本語とポリネシアだけというのも不思議ですが、やはり、世界に人がこの声を聞き分けられるように日本語を世界共通後にしてあげたいものです。余計なお世話と言われるかも。

【世 界】日本人だけの能力「あの」声が聞こえるの?!特殊な能力に外国人が仰天!!「虫の声」は外国人には聞こえない? 生理学的な発見に驚愕!日本人の独自性


  それにしても、今年の虫の声の少なさは心配です。


★★日本語は胃袋が強い

2018年10月05日 | 素晴らしい日本語

  折角分り易い日本語があるのに、何で、ここまで分かり難い英語を使うのだろうと不思議でしたが、8月21日、第6897回の「★追い込まれると横文字に頼る『エリート』」で、産経の田村さんが教えてくれて目から鱗でした。

  確かに、便利な造語もありますが、最近のはやたら長いのが多くどうにも覚え切れないものが多すぎます。

  そんなおかしな風潮に産経抄が警鐘を鳴らしてくれています。これも、エリートがきちんとした歴史観を持っていないのも原因でしょう。やはり、政・官・財などのエリートさん達の教育が急がれます。

  産経ニュースより   2018.9.30

 【産経抄】

 神奈川県のある市役所で係長を「チーフ」と呼ぶことになった。20年ほど前である。世評はあまり芳しくなかった。「いつからレストランになったんだ」。非難が殺到したとの挿話を、井上ひさしさんが『にほん語観察ノート』に書き留めている。

 ▼今思えば、さほどに騒ぐことでもない。コンビニエンスストアよりコンビニが耳になじみ、アニメーションを縮めたアニメは「日本製の動画」を指す言葉として、英語の辞書にも載っている。「日本語は胃袋が強い」と書いたのは、英文学者の柳瀬尚紀さんだった。

 ▼右手に箸、左手にフォークのおおらかさは日本語の美質として、世界から千客万来の東京五輪が近いせいか、お役所の外来語だのみには見境がない。訪日外国人旅行を指す「インバウンド」や共同事業体を表す「コンソーシアム」に、かゆみを覚えた人は多かろう。

 ▼官公庁が使うカタカナ語に、「分からない」と答えた人が5割を超えた。国語に関する世論調査の結果である。意見公募で済むものを、「パブリックコメント」に言い換える手間は惜しまないらしい。略語の「パブコメ」を訳知り顔で使う鼻持ちならぬ官僚も多い。

 ▼徳川夢声は終戦直後の日記に書いた。「床の間が無くても生きては行けよう、だがそれでは吾々(われわれ)が考えている日本人の生活ではない」。日本人のアイデンティティー(同一性)と書かれるより腹に落ちる。日本語を端的に使いこなす方が、社会も滑らかに回ろうに。

 ▼いかに時代が流れても、ろくな身体検査もせずに舶来の言葉を受け入れるのは考えものである。何が必要で何が不要か。消化薬を飲みカタカナ語を整理する時期だろう。日本語の胃袋は強くても、このままではこちらの記憶の引き出しがもたない。

  この、「日本語は胃袋が強い」は、言い得て妙ですね。とは言え、その強い胃袋もここまで安易に使われると流石に消化不良を起こすでしょう。もしかしたら胃癌になってご臨終なんてことにもなりかねません。
  やはり、エリートの人達には幾ら追い込まれても節度を持って使って貰いたいものです。

素晴らしい日本語を大切に!