DAISPO WORLD BOXING EXPRESS

今年もやってるやってる~

続「ボクシング 10年」PartⅪ(名古屋初の世界王者)

2021年04月14日 05時50分19秒 | ボクシングネタ、その他雑談

このDaispo Boxingを始めた当初、不定期ながらも数回に渡り「ボクシング10年」という、自分(Corleone)がボクシングに興味を抱いてからの約10年の間のボクシング界について、ザっとしたものを書いていました。第一弾は2004年6月23日。当時引退したばかりのリカルド ロペス(メキシコ)がどれだけ凄いボクサーで、軽量級、特にミニマム(旧ストロー、105ポンド/47.63キロ)とそのひとつ上のライトフライ(旧ジュニアフライ、108ポンド/48.97キロ)のその後の課題はロペスの後継者を生み出すことであると強調しました。

昨年の9月にSuperchamp1991というものを購入。そこには私がボクシングに惹かれる直前、1991年春先の世界王者たちの顔ぶれが掲載されています。その顔ぶれを見てみると懐かしさと同時に、自分にとって新鮮味がある王者たちが載っています。あの時代から30年。「ボクシング10年」の続編的ものとして各階級の世界王者たちを簡単に紹介していきます。

今回はスーパーバンタム級となります。ここ数年、日本国内では屈指の激戦区とされる階級で、同時に、定期的に日本人選手が世界王座に絡み始めた階級です。それではこれまで同様、1991年春先時点でのスーパーバンタム級王者たちの顔ぶれを見てみましょう。防衛回数は当時のものになります。

WBAジュニアフェザー級:ルイス メンドサ(ベネズエラ/防衛回数2)
WBCスーパーバンタム級:畑中 清詞(松田
/0)
IBFジュニアフェザー級:ウェルカム ヌシタ(南ア/2)

他のジュニア/スーパークラス同様に、この階級でも団体によって呼称が違いますね。このような階級の場合、リングアナウンサーは契約体重をクラス名の代わりにアナウンスしていた場合がありました。例えばこの階級の場合、体重リミットである122ポンドのように。

コロンビアの技巧派メンドサは、3度目の世界挑戦で王座を獲得したしぶとい選手。この年の秋にWBCバンタム級王座を失っていたラウル ペレス(メキシコ)に僅差の判定で王座を奪われてしまいます。しかしその後1998年まで戦い続け、同級からスーパーフェザー級の間で4度もの世界返り咲きを目指しタイトル戦のリングに登場。世界王座奪回はなりませんでしたが、世界戦以外で黒星を喫しなかった好選手でした。

(しぶとい技巧派メンドサ)

ちなみにペレスからバンタム級王座を奪ったのがグレグ リチャードソン(米)で、リチャードソンから王座を奪取したのが辰吉 丈一郎(大阪帝拳)。ペレスのスーパーバンタム級王座を奪ったのが、日本のリングでもその剛腕を見せつけたウィルフレド バスケス(プエルトリコ)となります。

現在は畑中ジムの経営者として、田中 恒成を育てるなど、その手腕を発揮している畑中。「名古屋初の世界王者」という栄冠を手に入れましたが、世界王者としては短命に終わってしまいました。2月に強打のペドロ デシマ(亜)とのダウン応酬の激戦でタイトル奪取に成功した畑中。しかし6月の初防衛戦で、その後辰吉の天敵となったダニエル サラゴサ(メキシコ)に僅差の判定で敗れてしまい、虎の子のタイトルを失ってしまいました。サラゴサにとり、畑中から奪った王座が2度目のスーパーバンタム級でのベルトでした。その後この王座は失ってしまいますが、数年後には再び同王座の獲得に成功。そのサラゴサの3度目の王者時代に、辰吉をその軍門に下す事に成功しています。

(名古屋初の世界王者・畑中)

ヌシタはアルファベット表記にすると「Ncita」となります。WOWOWや日本の専門雑誌では、広く「ヌシタ」として紹介されてきましたが、当初ワールドボクシング誌では「エンシータ」と明記されていたようです。この選手、中々の実力者で、当時に世界王者たちの中で一番評価が高かった選手です。海外での試合経験も豊富で、世界王座を獲得したのは、何とボクシング不毛の地である中東のイスラエル。翌1992年の師走まで同王座を保持していましたが、4度の防衛戦をイタリアで行っています。この時期、IBFスーパーバンタム級/ジュニアフェザー級には実力のある選手が就いており、ヌシタを下したケネディー マッキニー(米)、そのマッキニーからベルトを南アフリカに持ち帰ったブヤニ ブングなど、その時代を代表する好選手たちでした。

(南アフリカの強豪ヌシタ)

まだまだマイナー団体だったWBOの王者はプエルトリコのオーランド フェルナンデス。そのマイナー団体の中でも一番評価が低い選手の一人でした。Superchampにも、「全団体全階級を通じて最も知名度の低い王者の一人」、「次の試合で陥落するだろう」と散々に書かれていました。しかもそれらのコメントは的を得たもので、同誌が発売される以前に行っていた無冠戦で、負けが先行している格下相手に判定負けを喫していました。そして5月末には王座からも転落しています。ただその後、敗れたとはいえ、ジュニア ジョーンズ(米)、マルコ アントニオ バレラ(メキシコ)、ケビン ケリー(米)等、当時の一流選手たちと拳を交えています。

(マイナー団体の中でもマイナーな存在だったフェルナンデス)

当時の世界王者たちも中々注目に値する選手たちですが、どうしてもサラゴサやバスケス等、彼らの後継者たちに注意がいってしまいます。その後もバレラ、エリック モラレス(メキシコ)、マニー パッキャオ(比)、西岡 利晃(帝拳)等、超が付く実力者たちを定期的に輩出してきた同級。今後、彼らに続く好選手たちが続々と誕生していくんでしょうね。

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