DAISPO WORLD BOXING EXPRESS

今年もやってるやってる~

続「ボクシング 10年」PartⅥ(ユーリ時代幕開け前夜)

2020年11月23日 04時50分18秒 | ボクシングネタ、その他雑談

このDaispo Boxingを始めた当初、不定期ながらも数回に渡り「ボクシング10年」という、自分(Corleone)がボクシングに興味を抱いてからの約10年の間のボクシング界について、ザっとしたものを書いていました。第一弾は2004年6月23日。当時引退したばかりのリカルド ロペス(メキシコ)がどれだけ凄いボクサーで、軽量級、特にミニマム(旧ストロー、105ポンド/47.63キロ)とそのひとつ上のライトフライ(旧ジュニアフライ、108ポンド/48.97キロ)のその後の課題はロペスの後継者を生み出すことであると強調しました。

今年の9月にSuperchamp1991というものを購入。そこには私がボクシングに惹かれる直前、1991年春先の世界王者たちの顔ぶれが掲載されています。その顔ぶれを見てみると懐かしさと同時に、新鮮味がある王者たちが載っています。

さて、当時の世界フライ級王者たちの顔ぶれは次のようになります。防衛回数は当時のものになります。

WBAフライ級:エルビス アルバレス(コロンビア/防衛回数0)
WBCフライ級:ムアンチャイ キティカセム(タイ
/0)
IBFフライ級:デーブ マコーリー(英/3)

アルバレスはこの年の3月に、東京のリングでレパード玉熊(国際)を破り新王者になったばかり。しかし6月には韓国のリングで金 容江(韓国)に敗れ、短命王者として終わってしまいました。しかしその技術を活かし、3年後にはWBAバンタム級王座に挑戦しています。

(短命王者に終わってしまったアルバレス)

アルバレス同様、日本のリングでもお馴染みだったムアンチャイ。前年に米国のリングでマイケル カルバハル(米)にバッタバッタと倒され、IBFライトフライ級王座と決別。しかしこの年の2月に、同胞のソット チタラダを破り2階級製制覇に成功。その後、ライトフライ級で一時代を築いた張 正九(韓国)、後にWBO王座を獲得し、5度の防衛に成功したアルベルト ヒメネス(メキシコ)の挑戦を退け、チタラダとの再戦も制するなど、正に油の乗った状態に。しかし翌年にはあのユーリ アルバチャコフ(露/協栄)に敗れ、虎の子のタイトルを手放しています。ちなみにユーリの2代後の王者がマニー パッキャオ(比)になります。そう、現在もウェルター級の世界王者として君臨しているパッキャオです!

(ユーリ、カルバハルと戦ったムアンチャイ。画像はジョー小泉氏のオリエンタル・ボクシングの記事)

マコーリーですか、正直、ほとんど知識のない選手です。この選手は王座を防衛する事5度。翌年6月に王座から転落しています。

(予想外?の安定王者だったマコーリー)

マイナー団体WBOのベルトを腰に巻いていたのは、WBCジュニアフライ級王者だった張や、WBOライトフライ級王者ホセ デヘスス(プエルトリコ)に挑戦し経験を持つイシドロ ペレス(メキシコ)。第4の団体WBOながらも、3度目の挑戦で念願の世界王座獲得を成し遂げています。フライ級で世界王座を獲得したペレスですが、彼の実力が最も評価されたのは、同級ではなく一つ下のライトフライ級での事。1987年師走に、極寒の韓国で張の持つWBC王座に挑戦。張にとって14度目の防衛戦となったその一戦ですが、ペレスは初回にダウンを奪うなどして大善戦。結果は僅差の判定負けでしたが、歴史に名を残す名王者相手に五分五分の試合をしました。

(張と激戦を演じたペレス)

フライ級というと、白井 義男(シライ)やファイティング 原田(笹崎)を輩出するなど、日本の伝統の階級のイメージがあります。しかし当時のフライ級王座は、日本からは近いようでとてつもなく遠い存在でした。ユーリが1992年にWBC王座を獲得しましたが、それ以前の日本のジムに所属するWBCタイトル保持者は1984年の小林 光二(角海老宝石)まで遡ります。WBAに至っては、花形 進(横浜協栄)が1975年に王座から転落して以降、1990年に玉熊が王座奪取。翌年に玉熊が王座を失うと、2007年に坂田 健史(協栄)が獲得するまで、日本から王者は誕生しませんでした。王座奪取の難しさを感じさせられる階級ですが、同時に歴史あるクラスという事が分かりますね。

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