キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

開戦記念日

2016年12月08日 | Weblog
12月8日といえば日本にとっては誇らしい真珠湾奇襲攻撃の日です。
75年前の今日未明、ハワイ諸島北から日本帝国海軍機動部隊が、戦闘機、爆撃機、雷撃機を航空母艦から発進させ、真珠湾にあったアメリカ海軍戦艦に対する空からの攻撃をした日です。
一部特殊潜航艇により海からの攻撃もしておりますが、これは大した効果がなかったようです。
南方熊楠は、この奇襲攻撃の成功に感激し、山本五十六に紀州蜜柑を送ったと、山田風太郎の「人間臨終図鑑」にありました。
これが真実だとすれば、南方熊楠という人はユーモアを備えた人で、多面的な分野での活躍がこの精神に支えられたのかもしれません。

今朝のニュースによれは、真珠湾で行われた慰霊式典で、正確な役職は覚えていませんが太平洋司令長官のような人が、「かつての敵が、今は最も重要な同盟国の一員となって同盟関係を堅持している」と話してました。

1981年いハワイ駐在をしていましたが、その時には真珠湾近くの中華料理店で北京ダックヌードルを毎週好んで食べに行っていただけで、戦艦アリゾナの上に立つ記念館を訪れたことがありませんでしたが、翌年か翌々年、客先をお連れしてハワイを訪れた際、皆さんと共に記念館に入ってみました。
日本人に対しての批判的な目にさらされ、肩身の狭い思いをしましたが、かつて身命をかけて攻撃をした先達の偉業を身近に感じました。
当時はアリゾナの水没した甲板から泡が出ていて、40年後にも攻撃の傷跡が完全に消えていないことを感じました。
戦争が好ましいものではないと重々承知していても、味方の大戦果に痛快を感じるのは人間として当たり前のことで、その上で戦争の悲惨さを思い、とにかく戦わないことが最もいい策であることを肝に命じることです。

吉田茂は断腸の思いで、経済復興を優先して、自立国家日本を後回しにしましたが、その後の日本人は金の亡者と化し、便利で快適な生活を手に入れたにもかかわらず、自立国家を目指す矜持を棚上げしてしまいました。

私の世代は、ちょうど高度成長のさなかに生まれ、父の給与がどんどん上がり、テレビや洗濯機、車などを購入し、生活のスタイルが急に変わってゆくのを経験しました。
気が付いてみると、落ち葉を集めての焚き火が禁止され、草野球をやっていた広場がなくなり、田んぼや畑が激減、山は宅地となり、生まれ育った風景も激変しました。
後年、ヨーロッパの田舎へ行くことがあり、100年も200年も変わらない町並みがあることに驚き、羨望いたしました。
故郷の風景が変わらないということが、どれほど人間の心を落ち着かせ安定させるものかとしみじみと感じました。

開戦記念日に、故郷の風景を守ろう、日本人としての自立国家の矜持を取り戻そうと、毎年思うのですが、思っているだけで未だその一歩を踏み出していません。
コメント
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