キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

異次元と昭和から

2007年01月21日 | Weblog
大寒の昨日と打って変わって今日の湘南は薄日が出ています。このまま強い日差しになってくれるとありがたいのですが。いかが相成りますやら。

昨日は、読みかけで途中になっていた結城信孝編”おいしい話”の中から田中啓文著”新鮮なニグ・ジュギベ・グァのソテー。キウイソース掛け”を読み思わず上手いと感心して一人手を叩いておりました。主人公はホテルのフレンチのシェフ、そこへレストラン荒らしの料理評論家が現れ食べる前から難癖つけるのですが、このシェフお金を包んでお引取り願うことをせず、料理人の矜持から特別料理を彼に食べさせギャフンといわせようと料理に取り掛かります。この時使った食材がニグ・ジュギベ・グァで、この肉のムニエルは天上の味わい、悪徳料理評論家は病み付きになりシェフは事なきを得たのです。何が面白かったと言って、俗物の悪徳料理評論家、我々のワイン業界にも居そうですが、実にリアリティーがある人物設定のこの男にニグ・ジュギベ・グァを料理して食わせるわけです。これは、この世の食材ではありません、異次元の生物の設定になっているんです。俗物の権力者(料理評論家)から圧力を受けたまじめな生活人(料理人)が異次元からの助け(ニグ・ジュギベ・グァ)を受けて権力を無化する話です。ウルトラマンと同じなんですね。馴染んだストーリだったので美味しくいただけたようです。皆さん俗物の権力者が現れたら対処の仕方もうお分かりですよね、耐え難い魅惑の芳香を持つ白身のニグ・ジュギベ・グァを使うんです。

また昨夜は懐古趣味の昭和人を魅了させるテレヴィプログラムがありました。青江三奈”伊勢佐木町ブルース”食入るようにして観たのひょっとして私だけなんでしょうか。似非”はまっこ”暦27年目の私としても地名に対してのの親近感が在りますし、時代を髣髴とさせ懐かしいものがこみ上げてきます。先週のザ・ピーナツの”ウナセラディ東京”にも痺れてしまいましたが、2007年問題の恩恵なんでしょう、昨年暮から今年にかけてテレヴィは昭和をキーワードとしたプログラムがやけに目立ちます。団塊の世代の方ありがとうございます。いつもあなた方の後を追っているだけで何も出来ませんが、永いお勤めご苦労様でした。

年頭には景気がどうだとかは騒がれますが、今年は昭和をキーワードにした事物を味わうことが出来る年の始まりなのかもしれません。
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銀座の朝湯

2007年01月20日 | Weblog
今日の湘南は冬っぽい陰気な天気、世間はセンター試験とか、昔の嫌な記憶が蘇ります。神奈川県は中学生に対しても当時アチーブメント試験を実施していました、この陰気な冬の天気になると試験に追われた青春時代を思い出させられます。この辺では、この曇った天気に霙混じりの冷たい雨が降ると”しおてようき”と称して特に嫌がります。湘南の住人は何につけ明るいことを好むからでしょうか。

昨日はおかげさまで名古屋で櫃まぶしを戴きました。皆さんが良くご存知なのは、熱田神宮近くの蓬莱軒だと思うのですが、昨日はそこで働いてた人が、わが社の本社最寄り駅の西春近くに出した”直来なおらい”というお店で頂きました。蓬莱軒より鰻が柔らかくボリュームがあり中々のものです。12時を過ぎた頃には満席の繁盛店、とても満足のお櫃でした。この櫃まぶし元々は鰻屋の賄い料理とか、それにしては洗練されておりますが、最後に出汁をかけてぶっ掛け飯にするところにその名残を感じます。

さて今日はお休みモード、ワインのお話は止めましょう。先週末銀座金春湯についてお話させていただいたところ、偶然にもその後読み始めた伊藤精介著”銀座 名バーテンダー物語”吉川緑郎とバー「クール」の昭和史に出てきました。奥付けを見ると1989年1月10日発行となっのており、もう18年前に出された本で、題名のサブタイトル通り昭和が色濃く書かれた本で、すでに現代についてゆけない懐古趣味に生きている私にぴったりの本でした。銀座7丁目のバー”クール”の古川さんと金春湯の関係ですが、彼が銀座町内会の役員をやっていた頃の話です。”朝湯会”という会があって銀座町内の酔狂な粋人が朝金春湯に集まってわいわいがやがや、新橋からは芸者衆が参加するってえそれはそれは楽しい会だったようでございます。上質のタボと混浴とあってはそりゃ楽しいでしょう。そしてこれ戦前のお話ではありません。昭和30年代の事と類推されます。
以上のことから、昭和30年代までは文化というものが銀座にまだ残っていたということがわかります。
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梅一輪ほどの暖かさ

2007年01月19日 | Weblog
本日の湘南は快晴、光は春、噂では熱海の梅が可也咲いているようです。残念ながら今日は熱海を通過して名古屋で会議です。正月なのでいつもの味噌煮込みうどんではなく、櫃まぶしを食してから臨みます。

そんな訳で後10分もするとお出かけしなくてはいけません、期待された方すみません。明日この分は必ず、はい、ええ、何とかいたしますんで今日のところはこれで失礼いたします。いってきまーす。
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デスパーニュ通になる近道

2007年01月18日 | Weblog
昨日は雨の中華々しくもしんみりとデスパーニュ試飲セミナーが行なわれました。今日は折角ですのでその模様をお伝えしたいと思います。総てお話しすると大変長いものになってしまいますので、濃い所だけ掻い摘んで、それでいてこれを押さえておけばデスパーニュの核心が理解できるようにやってみましょう。

白ワインの敵は酸素、収穫からボトリングまで酸素に触れさせない事。これが彼らの方針、いいえそれは違うぞとおっしゃる方もいらっしゃるでしょうが、例えば晩年の麻井宇介さん、醸造途中で適度に酸素に触れる事によってある種の味わいや複雑さが得られるのではないかとおっしゃられておりました。ともあれデスパーニュではプレス機の中まで窒素充填し、最終ボトリングまで酸素に触れる事を避けております。

赤ワインについては、トリべを使っていること。これは黒ブドウを除梗した後の果実の粒を一定の比重溶液の中へ放り込み軽い粒は浮き上がってくる原理を利用し、比重の大きい粒=完熟した健康な果実をより分ける機械があるのですが、それを使って粒選りをしていること。ボルドーで初めて使ったのがアンドレ・リュルトン(10月のルヴィエールのの記者発表の時もこの件がポイントでした)彼の所で見て良かったので導入したとのこと。私は2005年シャトーラネッサンで実際にこの機械を使って選果しているのを観ております。ラネッサンでもこれを使っている事を威張って説明していました。

後は皆さん一番お知りになりたいモンペラの事ですが、1971年に今回来日したバザリンやチボーの親父ジャンルイデスパーニュが我がシャトー・トゥール・ド・ミランボーを購入し、売上好調でワインが足りなくなり、90年にローザン・デスパーニュとベル・エール・ペルポンシェを購入、それでもワインが不足して98年に購入したのがモンペラです。最後に購入したシャトーなので愛着は薄く、オープンマーケットにしたのですが、それが良かったのか、日本では”神の雫”に取り上げられて一番有名なワインになったようです。

2001年初リリースのジロラットについては、既にこのブログで詳しく触れているので今回は書きません。忘れる所でしたが今回の試飲セミナーは、シャトー・トゥール・ド・ミランボー新ラベル発表がその主要目的なので一言、デスパーニュとしては常に今の消費者が求める新しいスタイルのワイン造りをしてきたが、ラベルがあまりにも古典的だった。ワインの品質とパッケージが乖離している事を今回の新ラベルの採用で改善した。また、ボルドーワインのラベルの情報量が多すぎるため、簡潔なものにした。こういうことです。

以上の点だけ押さえておけば、あなたはデスパーニュについて世界的にみても通として大手を振って歩く事が出来ます。出来れば多少彼らのワインを飲んでおくこともお薦め致します。化けの皮がはがれ難いように。


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ブルゴーニュの若きスター

2007年01月17日 | Weblog
横浜陰。久し振りの雨です。今日はデスパーニュの試飲セミナーなのに困りましたね。東京が晴れていればいいんですが、そんなことはありえないでしょうね。

さて今日はオリヴィエの僚友ジャン・フィリップ・マルシャンについて少し。最初に会ったのはオリヴィエと一緒の時でした。カンヌの展示会の部屋を共有していたので、当時は本当に仲良く新しい時代を切り開こうと希望に燃えていたブルゴーニュの若者でした。年齢はオリヴィエより少し若く、80年代はドメーヌに当時売り出し中のロバートパーカーが訪れ、高い評価をしてくれており”ブルゴーニュの若きスター”なんて称号を頂戴しておりました。そのジャンフィリップも40代の腹の出たおじさんになっております。光陰矢のごとし、少年老い易く学成りがたしですねえ。

彼の初ヴィンテージは確か84年モレ・サンドニではなかったかと思います。お父さんがモレサンドニのドメーヌを持っていたのですが、父は父、子は子で事業を始めるのがフランス流?彼は独自でジュブレシャンベルタンにセラーとオフィスを開設し、周りの農家からブドウうを買ってワインを造ったのが始まり。以後、ジュブレ・シャンベルタンやモレ・サンドニの畑を購入して会社を大きくしてきました。現在では手広くブルゴーニュのワインを造り世界中にワインを輸出しております。

横浜ワインコレクションでは、ボージョレ・ヌーボーを過去20年近くお願いしており、ジャン・フィリップスタイルというようなものを既に確立している事は、ご存知の方も多いと思います。生まれ持った優れたワインを嗅ぎつける鼻と舌を持ち、彼が造るワインはもちろんの事、バルクワインを買い付けて造るブレンドも信頼に値する品質です。私も食べる事が好きで料理も自分でいたしますが、彼も一時シェフの経験もあり、二人で日本フランス問わず美味い店を探し歩くことを楽しみにしています。

これからデスパーニュの試飲セミナーに出かけなければいけません、今日は慌てた内容になってしまいましたが、これで失礼いたします。明日、ジャン・フィリップについてデープなお話をさせて頂きます。

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天才VDPシャブリメーカー

2007年01月16日 | Weblog
今日は横浜曇っております。どんよりとした冬の嫌な天気になりそうな気配。こういう冬の一日も冬らしくて良いといえばいいですが、続くと精神的に参りますね。

今日はお約束どおりオリヴィエの続きです。柔らかでフルーティなシャブリは、大きな声ではいえないですが個人的には好みでなく、硬質で切れのあるタイプが好きです。そのためうちのシャブリでは、ドメーヌ・ド・ボア・ディヴェールというのがあるのですが、これが良いですね。標高の高い所で造られているため酸が強く細く感じられますが、うちに秘めた強さを感じるシャブリ。オリヴィエも私の好みを知っており、”どうせ俺のシャブリはタカにはお気に召さないでしょうよ”などと嘯いておりますが、何時も私が、”オリヴィエ、君は天才的なヴァン・ド・ペイシャブリの造り手だ”とからかっているのも一因になっているようです。

そのオリヴィエのシャブリ・ヴィエーニュ・ヴィーニュが昨年秋の”ワイン王国”10月号で5★をとりました。電話でそのことを伝えたらもう鼻高々で、”そらみろ、これで俺が天才的なシャブリの造り手だということが分かったろ”まあ威張る事威張る事、目には見えませんでしたが胸を張って一人バックドロップの危険性があるくらい椅子からそっくり返っていた事は間違いありません。実はうちが取り扱っているエアライン・セレクション・シャブリも5★を同時に取っていたのですが・・・、まさかそのことは言えませんでした。

もう一昨年になってしまいますが、日本初のスクリューキャップのシャブリ・プレミエを開発発売いたしました。オレンジ色のスクリューキャップは斬新で、石頭をお持ちの方以外には大受けで、いきなりコンビニエンス・ストアの棚に並ぶ事になりました。その後ハーフボトルが、あるスパーマーケットに取り上げられ好調な売上を示しております。日本の市場に、味わい、ラベル、キャップシールをアジャストした結果が現在の好調な売上を示していると思います。ここまで日本の市場を観察分析して、商品として具現化したメーカーを他に見ることはできません。

日本では鮨屋でパリでは市場の魚レストランで奢ってくれるし、シャブリの自宅では朝早くから市場に出掛け新鮮な魚介類を用意してくれるし、何時も何時もお世話になっています。二月の網代では鮑の踊り焼きをご馳走しますから今までの悪言非礼を許してくださいね。もちろんワインは、VDPシャブリを用意しておきますから。

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ブルゴーニュの新しい風と呼ばれた頃

2007年01月15日 | Weblog
今朝は起きたときから飛び切り寒い朝でしたが、当地横浜も晴天で寒い朝です。日中はありがたいお日様のせいでぽかぽか陽気になればよいのですが。今週の横浜ワインコレクションは、17日にデスパーニュの試飲セミナーを虎ノ門パストラルで開催いたします。デスパーニュ家の娘、バザリンがワインの説明をいたします。人気のメーカーのため定員100名の席は既に埋まっているとの事、人気の秘密の一端でも垣間見る事が出来れば参加した甲斐があるというものでしょう。

さて、引き続き2月の横浜コレクション春の試飲会の参加メンバーのご紹介をしないと、なにぶんにも大挙して来日するので期日までに紹介し切れません。今日はスオのモニクに引き続き、付き合いの長いシャブリのオリヴィエ・トリコンについてです。最初に会ったのは確か1994年だったと思うのですが定かではありません。カンヌで開催されたワインコンヴェンションでジャン・フィリップ・マルシャンと共にお会いしました。ジャン・フィリップとはディジョンのワインスクールの同級生で当時は兄弟のように仲が良かったです。その後ドメーヌの経営方針などの違いから離れてゆく事になりましたが。

当時はオリヴィエも30代前半で若々しく希望に燃えていました。ワインも最新の技術を駆使した新しいスタイルのもので、フレッシュ&フルーティー。その上無名でしたので有名ドメーヌと比べて驚くほど安く、パッケージも新鮮、直感的にこの日とは成功するなと思わせるものがありました。確か二月か三月にカンヌでお会いしてその年の4月にジャン・フィリップと共に初来日しています。若さゆえか判断が迅速で行動が機敏、ブルゴーニュの新しい風を感じました。

現在は40代半ばの普通のオッサンになってしまいましたが、久し振りに最初の出会いの頃の気分を思い出しました。実際この12年間に30回程度来日し、日本の市場を熟知し、大きな成功を収めております。ことに感心したのは、”多くの日本人はシャブリという知名度でワインを購入している、しかしその多くの場合は決して辛口硬質な味わいでは満足しない。本当の辛口ではなくフルーティーで柔らかいシャブリが多くの消費者を満足させる”このことに非常に早い段階で気付いたんですね。そして実際日本向けにはこのタイプのシャブリを造り送ってきております。頭が柔軟なんですね、マーケットに商品をアジャストさせる事が出来る。多くのブルゴーニュのメーカーは、これが私のスタイルだ、飲んでみろ、美味いだろう。嫌ならよそをあたってくれ。同時にその方が量的な成功を求めなければこれで良いんですがね・・・。

明日に続く・・・。
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風呂が先か食事が先か

2007年01月14日 | Weblog
今日も一日湘南は好天気に恵まれました。昨日テレヴィでタンポポが開花して、1953年以来の観測史上最速、例年より二ヶ月も早いと言っておりました。私、休日は近所の散歩が日課になっておりますが、昨年暮にタンポポの黄色い可愛らしいのを見かけました。あれは年が改まっていなかったので、遅咲きと考えるべきなんでしょうか。

昨日の宿題のサントリー7年と12年は上手く調べられず不明のままですが、”ロッパの非食記”を読み進めたところ戦後の昭和33年の日記では、サントリー角と丸を飲んでおりました。してみると戦後のある時期寿屋さんはウイスキーの名称を変えたのでしょうか。それにしてもロッパはウイスキー党、戦争末期に手に入らないときは見境なく清酒をあおっておりますが、好みは洋食と洋酒でそれも目の覚めるような大食漢であったようです。戦争による食糧難を随分憎んでいたようです。

この著作の中にワインに関する”谷崎先生と葡萄酒”という掌編があります。兵庫県岡本に住んでいた谷崎潤一郎を、当時人気絶頂の日活女優岡田嘉子と共に訪ね、大阪宗右衛門町の本みやけへ牛肉を食いに行くことに、途中北浜のサムボアで谷崎が赤葡萄酒を調達、本みやけについて風呂で汗を流し、裸のままみんなで鍋を囲んだ。まさにこの時ロッパは、”牛肉には赤葡萄酒”と覚えた。ちなみに岡田嘉子は裸ではなかったようです。

うらやましい限りですね、料理屋で一風呂浴びられるなんて。最近駐車場に露天風呂を併設したり、出勤前に温泉に浸かるの流行っているそうですが、早く風呂つきの料理屋が横浜に出来るといいですね。そんなこと言って、お前いつもやっているだろうって、ええ、まあ。一度だけですよ、はい、それももうだいぶ前。銀座八丁目金春通りの中華で一寸した会合があったんですが、ここがなんと金春湯の隣、さっと汗を流して湯に浸かり、これがまた熱い、ほんと烏の行水いえそんなにゆっくりとしたわけじゃあないんですが、他の連中一人だけやけにスッキリしてなんてひがんじゃって・・・もう。

温泉で飯が食えるってんじゃなく、風呂が標準装備されてるレストランてのを何方か早く造ってください。ええ、もうぜひ。

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東京タワーとウイスキーのこと

2007年01月13日 | Weblog
休日の湘南は快晴、先週は挨拶回りなどで終わってしまいました。昨日はフランス大使館経済部の新年会がありお邪魔いたしました。その道すがらライトアップされた東京タワーが余りにも見事だったので写真に収め形態の待機画面に使っております。小説の人気のせいか若い人達が随分多く記念写真を寝転がって撮影しておりました。なんだか若い人がいっぱいいると活気があっていいですね、東京タワーに代わって御礼を言いたいくらいです。

昨日復刻ちくま文庫と帯に書かれた古川緑派著”ロッパの非食記”を購入いたしました。ほんのさわりの昭和19年の日記抄に目を通しただけですが、食い物のことばかりです。いよいよ食料が欠乏し、まともな物にありつくためには、まともな方法ではすでに難しく、あらゆるコネを使い、闇物資を厭う事無くやってゆかないと目の前に餓死すらちらつく時代であったようです。鶏のすき焼き、カツレツ、ポタージュスープなどカロリーの高い食い物を食ったときに大いに満足している風情です。役者だったお陰でこれらのものを食う機会に恵まれたのでしょう。

酒は何を飲んでいたか。文中サントリー7年と12年がしょっちゅう出てきます。あるときは海軍主計中佐が差し入れで、大阪公演では壽屋が直接差し入れで楽屋へといった具合です。浅学にしてこのサントリー7年と12年を知りませんが、いずれにしろウイスキーであることに間違いはなく、戦前から愛飲して入ればこそ欠乏状態での欲望の対象になったのでしょう。ウイスキーが一般的に広まったのは戦後のトリスバーとの認識を持っておりましたが、一部の芸能人や文人、軍人の間では戦前から一般に飲まれていたようです。この件、今日は一日天気もよさそうなので、日向ぼっこでもしながらのんびり調べて休日の楽しみといたしましょう。
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オーゾンヌは確かに凄いけど

2007年01月12日 | Weblog
今回でモニクに関することはひとまず終わりにいたします。一番長いお付き合いなのでついしつこくなってしまいました。2月の試飲会までにに来日するメーカー9社総てをご紹介しなければならないので、ええ後はさらっと、はいもう本当にさらっといきますのでぜひお付き合いの程を。

昨年三月プライベートで娘を連れてフランス旅行をした折、モニクのところに寄らせていただきました。ワインというのがどのように造られるのか一度見せておこうと思い、畑とセラー見学をお願いした次第です。2005年に新樽醗酵熟成の将来CuveeTakaとして売り出そうと企画しているワインもカベルネとメルロを熟成中のたるの中から試飲させていただきました。まだ発展途中であるとはいえ素晴らしい出来で、ブレンド比率を変えて色々味わいを試して見ましたが判断が難しかったですね。10月に再度ボルドーを訪れモニクともう一度ブレンド比率について喧々諤々いたしましたが、50:50が一番良いであろうとの結論に達しました。モニクによると、彼女の英国のバイヤーが前の日に試飲したサン・ジュリアンのある有名シャトーより品質が上だとの事で、1パレットの予約オーダーを頂いたとの事です。今年春リリースされますのでぜひお楽しみにお待ち下さい。

娘の評価ではこのワインはとても良いとのことでした。当時中学を卒業したばかりでワインを試飲するのは初めてでしたが、子供を馬鹿にしていると大きなしっぺ返しを受けます。その翌日機会があってサンテ・ミリオンのオーゾンヌでオーナーから熟成中の2005を試飲させていただいたのですが、娘いわく”このワインは凄くいい、あなたはこういうワインを輸入しないから駄目なんだ”とのありがたい忠告を頂戴いたしました。

いえいえ言い訳ではありません。確かにオーゾンヌ2005は完璧なワインといってもいい。昨秋のプリムールのスタートプライスが500ユーロ、一週間後には1,000ユーロの2005年のスター。でもね、モニクのキュヴェ・タカは横浜ワインコレクションの創業の精神、”隠れた高品質のワインをリーズナブルな価格で消費者にお届けする”を体現した理想的なワインであるのです。
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